団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★香港の火焔瓶部隊「勇武派」は、いま何処で何を考えているのか

2022年07月10日 | 中国

 習皇帝が勝ち誇ったように香港で25周年の演説をしました。その裏で踏みにじられた民主主義。
  それを防ぐことも出来なかった西側国家。と言うか、未だにそのChinaを本気で叩き潰そうという気概が西側諸国には見られないようなのが何とも恐ろしい。

  その香港で立ち上がった学生達はどうなったのか。彼らを追跡した本が書かれたようです。

  宮崎さんが書評で取り上げてくれています。豊かな生活を体験した若者には団結して国に対抗するなんて気概は殆ど無いのでしょう。
  その代表が日本かも。その弱みを見透かしたように独裁者がやりたい放題。こんなものを許していたらいずれ世界は奴等の独裁に踏みにじられるのかも。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)7月3日(日曜日)
 通巻第7391号 

  書評 

 凶悪な暴力団(中国共産党)に立ち向かった、ささやかな「暴力」 
香港の火焔瓶部隊「勇武派」は、いま何処で何を考えているのか

 楊威利修・著、勇松・訳、坂井臣之助・解説
香港秘密行動──「勇武派」10人の証言』(草思社)

 2022年7月1日、香港では習近平出席の下、返還25周年の『記念』式典が開催され、共産主義独裁の香港支配を祝う 裨益 者だけが参列した。中国語は「返還」ではなく「回復」と表示する。
 このもったいぶった儀式の演出で明らかになったことがある。
習近平は「一国二制度」を評価する演説をしたが実態は異なった。逆さまだった。「港人治港」(香港人が香港と統治する) の理 想はかき消え、実態は「共匪治港」である。
香港行政長官が習に宣誓するという従属儀式を私たちは目撃した。この光景をみれば、香港支配を誰が牛耳ったかが鮮烈に理 解で きるだろう。習は「愛国者が香港を統治する」のだと嘯いたが、現実に香港を誰が統治しているか、香港市民はもはや語ることも なく、子供たちを西側へ送る算段で頭がいっぱいである。
著者は言う。
「国安法が発効したその時から、香港人は精神的な腐刑を経験することになった。これ以降、何を言うにも、何を書くにも、 何を するにも、みな小心翼々となり、恐れを抱き、かつての自由奔放さは過去のものとなった。昔から『崖山の(闘いの)のち、中華 文明はすでになく、礼失われてこれを野に求む』と言うが、海外に漂い広がる香港人は、この時代の民族の記録を温存する義 務を 背負っている」(31p)。

嘗て林房雄が言ったことがある。
「政治の本質はゲバルトである」。
 香港の民主活動は、暴力によって踏みにじられ、デモに参加しただけで逮捕起訴され、香港の自由は死んだ。香港は国際金 融都 市の機能をかろうじて維持しているが、有能な頭脳の多くは海外へ流失し、ウォール街、ザ・シティの大手銀行証券は香港の規模 を大幅に縮小した。一部はシンガポールヘ拠点を移動させた。
 なぜこうなったかは説明するまでもない。習近平という妄想中華思想にとりつかれた暴君がその野心、その覇権を達成する ため の前段階が香港制圧であり、次は台湾である。ただし台湾侵略は日本とセットだから、日本で議論されているように尖閣諸島だけ が危ないのではない。

 さて、香港大乱で、勇ましくも独裁権力の傭兵たちに立ち向かい、火炎瓶を投げていた集団があった。香港のメディアは 「勇武 隊」と名付けた。
 本書は当該勇武隊が海外へ逃亡した先を追って長時間のインタビューをした記録である。「いくらデモ行進をしても、みん なで 歌をうたっても、そんなのは無意味なんだ。議論はいらない。全員が火炎瓶を持って、直接敵になげつける必要があるんだ。それ も、勇気を振り絞ってなげているようじゃダメで、本当に暴動扱いされるくらいまで投げ続ける必要がある」と一人は感想を 語っ た。
評者(宮崎)はこの間に香港に三回取材に赴き、衝突現場で催涙ガスの中、撮影を続けた(拙著『チャイナチ』、徳間書店参 照)。

 勇武派はとくに香港理工大学を最後の「自由の砦」として数千の火焔瓶などを準備し、独裁者の傭兵と戦った。これは 1960 年代後半の「東大安田講堂」「早稲田大隈講堂」を千早城と喩えた状況を彷彿とされた(ただし図式は逆で日本では暴力志向の独 裁をめざしていた過激暴力団が籠城組で、自由と安定を守ったのが機動隊だった)。
 歴代王朝は新らしい暴力で倒された。清王朝は辛亥革命という名の暴力によって仆れた。
それまでの暴力的試みは「南昌起義」に代弁されるように失敗の連続で、孫文は米国で見ていただけである。「革命」とは暴 力の ことであり、組織され、司令部がなければ目的が成就されることはない。毛沢東や周恩来は日々の失敗の積み重ねから不抜の組織 を形成し、暴力革命で政権を握った。それゆえに体制を維持し保守するには常に暴力団を扶翼しておく必要がある。人民解放 軍な るものは「人民抑圧軍」でしかなく、しかも共産党の傭兵である。

 香港大乱は次の結末を迎えた。
「(裁判官や弁護士などの)専門職の人間や、学者がその政治的見解を理由に免職となり、外国人記者は香港への入境を拒否 さ れ、地元の記者は身分を隠した警官に攻撃され、メディアは封鎖され、学生組織や労働組合は取り締まりに遭い、民選議員は集団 で投獄された。町には建物から墜落しした『死因の疑わしい』遺体があり、海上には全裸の女子学生の遺体が浮い た。。。。」
火炎瓶で立ち向かった若者は巨大な暴力装置の前に力尽きた。
 香港の勇武隊には長期目標もなく、整合性のとれた組織でもなく散発的だった。評者は現場で見ていて、その行き着く先を 深く 懸念していた。
 悲しい歌の一節が浮かんだ。
♪「うたをわすれたカナリヤは、うしろの山に捨てましょか」(西条八十・作詩)。

  今回のウクライナ戦争でも西側は本気で戦う気はないように見えます。所詮、人間なんてこの程度なのかも。
  

一体、世界はどうなるのか!


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