団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★35兆ドルの負債を抱えるアメリカがなぜドル高なのだ

2024年08月16日 | アメリカ

 

 宮崎さんがChinaの大富豪達の浮き沈みをとりあげてくれていましたが、国も金の亡者になっているのかも。
  アメリカの夫妻もChinaと変わらずたいへんなことになっているようです。

  これも、宮崎さんが取り上げてくれて今す。何だか、金が全ての世界ですね。ほんなkとで良いのでしょうか。何かが狂っているような。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和六年(2024年)8月15日(木曜日)
  通巻第8367号    <前日発行>

 35兆ドルの負債を抱えるアメリカがなぜドル高なのだ
  円安は国辱と考える経済学者、エコノミストはいないのか?

 8月13日、米国国債十年物の利率は3・854%である。ドルの為替レートは日本時間8月14日午前の取引で146円50銭である。
これを元に仮定の計算をしてみる。

 米国の財政赤字は国債の起債、借り換えで測定できるが、現時点で35兆ドルと推定される。邦貨換算で5274兆円。日本の国家予算のおよそ五十倍に匹敵する。日本で言えば五十年先まで借金していることになる。

 さて十年物の利息が3・854%だから、一年間に支払う利息だけで203兆2560億円、一日あたり5586億円となる。アメリカの人口は3億3650万人(24年6月推計)だから、ひとりあたり、一日の国債利息負担分は1660円になる。念のため利息だけである。

昨今の日本の円安は異常なインバウンドを産み、どこへ言っても『安い、安い』を連発する外国人観光客であぶれかえり、とりわけ東京、大阪、京都のホテルは 予約満杯状態。円が安いのは、国ノ威信に関わることだが、経済評論家で、このことを言う人がいない。円安は国辱ではないのか。

 円安の仕組みはいたって簡単、日米の金利差である。巨額の投機資金は利率の高い金融商品に流れる。それがアメリカの赤字国債を支え、ドル高が維持される。しかし基本的な長期的な国益を考えると、これこそが自殺行為である。
米国債はいずれ紙屑となる。それが分かっているからロシア、印度、EU。とりわけ中国が金備蓄を増やしている。なにも対策がないのは日本だけである。

  みんなが公平にとは言いませんが、格差の少ない昔の日本のような時代はもう不可能なのでしょうか。
  やはり、シラス国は、夢なのか。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神はサイコロ遊びをする (サムライグローバル鉄の道)
2024-08-16 02:47:28
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する
地政学的文明論 (国際政治学関係)
2024-08-18 18:58:00
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
返信する

コメントを投稿