団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★あまりてなどか人の恋しき

2021年10月18日 | 誇れる日本

 この部屋でさん付けなどの呼称問題で少し迷っています。ある程度容認出来る方達はさん付け、反日売国左翼・在日と思える人達は呼び捨てとしていますが、やはりこれは日本の文化には合わないようです。

  ねずさんがそんな指摘をしてくれています。とは言え、感情的には売国奴どもはやはり呼び捨てにしたい気持ちが強い。さて、どうしたものか。

 何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/10/10

  あまりて などか人の恋しき       
  
  ・・・略
  一部の大手メディアや、メディアに登場するコメンテーターさんたちは、総理や副総理のことを、「安倍さん」、「麻生さ ん」と呼ぶことが、まるでならわしでもあるかのように行われていますが、私的な・・たとえばゴルフのスコアがどうだったとか いうことを述べるときには「安倍さん」、「麻生さん」でも良いのですが、国政に関することを論評するときには、「安倍総 理」、「麻生副総理」等とお名前をお呼びするのが日本人として日本語を扱う者の正しい姿です。

 もちろん、野党の党首の方々なども同じです。
枝野幸男氏であれば、立憲民主党党首なのですから、その職務上の公的な発言について云々するときは、「枝野さん」ではいけな い。
たとえば政党に関する事柄であれば、あくまでも「枝野代表」とお呼びするのが日本語を話す者の最低限のルールというべきもの です。

 なぜならそれが秩序だからです。
秩序がなければ、社会は成立しません。
そして人は、人々という集合体の中・・・いまの時代で言うならば、日本という国家の中において、その一員として生活していま す。
「そんなことはない。俺は自分で人生を切り開いて生きているのだ」と仰る方もおいでになりますが、そういう方であっても火災 が起これば消防署のお世話になるし、犯罪被害にあえば、頼るところは警察です。
病院で使う保険証も、国という集合体の中で営まれているものです。

 要するに人はひとりでは生きていないわけで、あくまでも集合体の中で、集合体のひとつの細胞として生かされ、生きているわけ ですから、そうした集合体における役割を互いに自覚していくためにも、呼称はとても大事なものといえます。・・・中略

 けれど男は、その妻子を責任持って養っていく愛です。
わが国では、男子であれば、ただ妻子のことを思うだけでなく、また知行地を持つような高官であれば、その知行地に住む人々の 暮らしまでをも含めて、自分の庇護下にあるすべての人々が、すこしでも豊かに安全に安心して暮らして行けるように責任を持 つ。
それが男の愛だと考えられてきたのです。

 これが日本の文化です。

 個人的にこの歌が好きなのは、これはどのような仕事をしていてもあることですけれど、何事かをしようとすれば、必ず、少し極 端な言い方をすれば、利害の衝突や闘諍(とうじょう)、あるいはもっといえば戦いがあるものです。
悪口や中傷を受けるくらいは、ある意味、あたりまえのことでもあります。

 そしてわが国は、大陸や半島と違って、反対意見を持つ者だからといって、軽々にその人達を8000万人も虐殺したり、北の共 産党員かもしれないというだけで、数百万人を虐殺したりするような、横暴な文化を持ちません。
たとえ、敵対し、対立していたとしても、どこまでも話し合いを重んじ、相手の立場や思いを尊重しながら、ともに生きていくと いうのが、わが国の古来からの文化です。

 従ってこのことは、何事かをする人は、常に反対者や悪意ある中傷をする人たちと共存していくしかないという、選択しかないこ とを意味します。

 それでもがんばるのは、なぜかと言えば、「あまりてなどか人の恋しき」だからです。
そしてこのことをわが国では、古来「正義」と呼びます。
それは言い換えれば、わが国では「愛こそが正義」だということを意味します。

  ここまで言われると自分の狭量さにがっかりさせられます。とは言え、当分は今のままで行くつもり。
  どうしても、反日売国左翼・在日共を許す気になれない。ちょっと情けない。


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