団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★歴史にとっての美とは何か

2016年05月12日 | 日本再生

  昨日、取り上げたグラス・スティーガル法やグ ロー バルスタンダードなど、マネーゲームが二極化により、現在の世界の99%の人を不幸にする経済のおかしさを書いてきました。

  ところが、このところ、このグローバル経済のおかしさを非難する説が増えて来たように思います。一番面白いのが、あ のト ランプ氏がその代表じゃないでしょうか。もしかして、トランプさんが大統領になって、真剣にこの考えでやってくれれば、日本 だけでなく世界にとっても良いのじゃないでしょうか。

  その、グローバルスタンダードの真反対の方策ともいえる鎖国をやるべきと、2014年12月 3日 (水)、第 192話の 「平 成の菅原道真出でよ」などで取り上げてきました。

  ところが、偶然でしょうか、宮崎さんが、その菅原道真の遣唐使廃止などを取り上げている本を紹介してくれています。

  「宮崎正弘の国 際ニュース・早読み」より 平成28年(2016)5月5日(木曜日) 通算第4895号 

  宮 崎正 弘の国際ニュース・早読み

  書評

 歴史を合理主義や経済性だけで解釈するのは間違いである
   メタフィジカル・ヒストリーによる壮大な歴史試論

 井尻千男『歴史に とって の美とは何か』(啓文社書房)

 井尻千男先生、没後まもなく一周忌を迎える。遺作評論集がこのたび編まれた。それが本書だ。
 歴史には合理的経済効率や、コストなど作戦面における戦術の愚劣、拙速などからは計り知れないものがある。戦争を結果 や、 作戦の齟齬だけでは論じられない。
つまり精神性であると井尻さんは常日頃から強調してきた。
 日本はなぜ、あの無謀な戦争を最新兵器で重武装した列強を相手に、しかしひるむこともなく堂々と闘ったのか。そこには 絶望 のはての、無計画な、行き当たりばったりの作戦しかなかったのか。
 
この井尻さんの気魄に満ちた歴史試論は、『宿命に殉じた者たち』という副題が示すように、メタフィジカル・ヒストリー (形而 上の歴史)をひたすら希求する、精神的求道者としての、井尻歴史学の真骨頂がある。
 それは「日本人が肇国の太古から試みてきた国つくりの精神史をいまこそ再点検せねばならない」使命感が強く漂っている から であり、このメタフィジカル・ヒストリーという難題に挑み続けた著者の遺稿でもある。

 まずは「遣唐使の廃止」について、井尻史学ではこう解釈される。
 西暦894年(寛平六年)、宇多天皇は遣唐使の廃止を決めた。同時に摂関政治の廃止を決めたのである。
つまり天皇親政が始まった同期性に井尻さんは注目して筆を進める。
 「この摂関政治の廃止は当然、名門貴族たちの反撥をまねいたことだろう。加えて宇多天皇は非名門の菅原道真を登用し、 当時 最重要の外交案件だった遣唐使派遣についても道真の建議によって廃止に踏み切った」
  この思い切った措置は「通説になっている財政上の理由によるというよりも、国風文化高揚という精神の必要だったので はな いか」
  つまりこんにちの親米派、親中派、国際派と国粋派、保守派の対立があるように当時の親唐派と国粋派との精神的対立の なか で、起こった『大事件』である。
  遣唐使はすでに十七回も派遣されたが、海難事故、財政負担、とくに貢ぎ物の負担が重かったうえに、もう一つの疑問が 残 る。
それは「航海術も(十七回も派遣しているのだから)、造船技術も進歩してしかるべき」であったにも関わらず海難事故が頻 発し ており、とくに十七次派遣の『遣唐使の副使の地位にある小野が渡航を拒否しているほどだ。
  したがって、「費用対効果というような経済合理性の観点に立てば、とうてい均衡は期待しがたいこと」だった。
たしかに第一回派遣以後、『律令国家の建設と遣唐使の関係は密接に』繋がってはいたため、遣唐使派遣事業を経済的合理性 から 疑う者はいなかった
 「あるときから遣唐使が変質した」と井尻氏は、ここで指摘する。
  何か?
 「律令国家の理想を求めて唐国に渡った秀才たちが、その国で見たものは何か。理想と現実のあまりの乖離に驚き、かつ絶 望し たことだろう」。それは厭唐気分というものではなかったのか、と井尻氏は推論を続ける。
  留学帰りの秀才らが日本にもたらしたものは絶望だったのだ。もやもやとして鬱屈した、歴史家には残らない「気分」 が、そ こはかと読み取れる。そして、国風文化の交流が起こる。
  文学史的にいえば歴史を画期するのが『古今和歌集』である。
  これこそは「美意識に於ける宣戦布告」であったと井尻氏は論をさらにすすめ、こう言う。
 「敵は唐という大国と、その美意識に膝を屈した臣のすべてが含まれる。その大国たる唐帝国が滅亡したのは西暦907年 であ る」
即ち、遣唐使廃止から十三年後に唐は滅び、そして、醍醐帝の御代に『美意識上の独立宣言』ともいえる古今集が編まれた。
  本書は、遣唐使だけを論じているのではなく日清・日露から大東亜戦争へ至る過程での国民の精神の歴史を克明に論究し てい る、傑作の凝結である。

  「美意識上の独立宣言」とは良いですね。今の日本は、この遣唐使の廃止の時と同じ環境と言えるのじゃないでしょう か。今 こそ、菅原道真の快挙を見習うときじゃないでしょうか。
  経済界もこの宇多天皇と菅原道真公の「美意識の独立宣言」の心意気を見習い、一時の損を覚悟して、世界のために中国 から 撤退すべきでしょう。それこそが、世界の見本となるべき日本がとるべき道です。
  それをやり、中国を崩壊させることこそが、世界平和にとっても最良の方策です。これをやりとげることにより、日本の 時代 は間違い無くやってくるでしょう。

平成の菅原道真出でよ!


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