義経ジンギスカン説は本当にワクワクします。何と、ねずさんは静御前も子供も日本を脱出して義経と一緒に活動したとの説を取られているようです。
これは、何とも胸が踊る説です。そんなことがあっても良いのじゃないでしょうか。
その静御前の話は何度読んでも涙です。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/11/24
歴史を通じて愛 され続けた静御前の物語
・・・略
坂の下の方から、静御前と、その母の磯禅尼が歩いてきました。我が子が殺された、しかも信じる母によって、我が子が奪われ 殺された。そう思い込んでいる静御前です。歩いてくる姿は暗く沈み、並んだ母との間に言葉のやりとりもありません。
坂の上で馬を降りて待つ安達清経のわきを通り過ぎようとした静御前を、清経が呼び止めました。
「静殿、こちらを通られると思い、お待ち申しておりました」
けれど目も合わせようとしない静御前に、清経は「おい!これへ」と馬の後ろにいる女性に声をかけました。その女性が、赤ちゃ んを抱いています。
(私の子も、生きていればこれくらいになったろうか)
意識の片隅で、なんとなく目線を向けた静御前に、清経が声をかけます。
「ささ、抱いてやってください。ほら、わ子や、母君ですぞ。
静殿、ささ若君ですぞ」
静御前には、まだ事態が飲み込めません。けれど、母というのは不思議なものです。何十人も似たような赤ちゃんがいても、わが 子を瞬時に見分けます。このときの静御前もそうでした。静御前は、母を見ました。母の磯禅尼は、にこやかに微笑み、静御前を 見ながら、大きくうなづきました。
胸に抱いた赤子の重み。
「生きていた。和子だ。生きていた!」
赤ちゃんを抱きながら、静御前の目から大粒の涙がこぼれ落ちました。そして静御前の頭のなかで、すべてがつながりました。母 の磯禅尼は、清経を武士と信じて赤子を渡したのです。祖母にとって孫というのは、我が子以上にかわいいものです。孫が殺され るとわかって他人に手渡せるような祖母は、我が日本にはひとりもいない。見れば、笑顔で立っている髭面の安達清経も、こうし てみれば清々しい良い男です。
その後の静御前の足取りは、母の磯禅尼、生まれた子も合わせて、歴史からまったく消えています。そして何故か不思議なこと に、その後の静御前ゆかりの地なるものが、全国各地にあります。
こうなると、元寇も義経の日本への復讐が根にあったとも言えそうです。何とも歴史は面白い。
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