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トリコロールに燃えて

2013年07月29日 12時59分11秒 | 洋画2004年

 ◎トリコロールに燃えて(2004年 アメリカ、イギリス、スペイン、カナダ 121分)

 原題 Head in the Clouds

 staff 監督・脚本/ジョン・ダイガン

     撮影/ポール・サロシー 美術/ジョナサン・リー

     衣裳デザイン/マリオ・ダビグノン 音楽/テリー・フルーワー

 cast シャーリーズ・セロン ペネロペ・クルス スチュアート・タウンゼント

 

 ◎1944年8月、パリ解放

 シャンゼリゼのパレードの際、丸刈りにされて、

 その上、ドイツ軍を相手にした娼婦だったと札まで下げられ、

 行進させられた女性たちは、しばしば映像化される。

 ところが、シャーリーズ・セロンが演じたのは、

 それすらもさせてもらえずに濡れ衣を着せられたまま殺される役だ。

 けど、実際のところ、

 ドイツ軍の内情をさぐるために娼婦になりすましていた女性はいたろうし、

 人間の人生を左右してしまうのが戦争ってやつなんだろう。

 で、そんな彼女だけど、

 芸術家であるという前提からも想像できるように、

 常に、肉体的な快楽と精神的な至福を追い求めていた。

 ただ、平時だったらそれでよかったろうし、

 ふつうに男も好きだし、レズビアンの対象とする女もいるという両刀使いも、

 それはそれで何の問題もないんだけど、戦時だったことが悲劇になる。

 ペネロペ・クルスの死と共にセロンに芽生えたものは戦争への嫌悪で、

 セロンはおのれの肉体を利用して戦争を滅ぼそうと考え、行動する。

 ちょっと前にも書いたとおり、

 肉体的な快楽はセロンにとっては、ごくふつうの当たり前のことで、

 精神的な至福により重きを置いているため、

 彼女が情報を得るために肉体を惜しげもなくナチスに差し出すのは、

 一般人に置き換えれば、美味しい食事を共にするという程度のものでしかなかった。

 と考えれば、戦争が勃発する前の爛れた日々についても合点がいくけど、

 そうした性質が生来のものか、わざと自分を追い込んだものかはよくわからない。

 けど、奔放な女性という括りでいえば、たしかにそうだったろう。

 ただ、

 こうした女性に観客が共感、あるいは感情移入するかどうかは、よくわからない。

 パリの解放をめざして身体を捧げた女性に訪れる悲劇という点では、

 多少の同情を禁じ得ないという感想はあるかもしれないけど、難しいところだ。

 前半で、セロンは占い師に「34歳から先が見えない」といわれる。

 それがトラウマになって34歳が近づくにつれて自暴自棄になり、

 ドイツ軍を相手に娼婦になりすましたのかどうか。

 となれば、彼女の運命を決めてしまったのは占いということになっちゃう。

 占いが当たったんじゃなく、それに引き摺られちゃったってことにならないかしら?

 なんにしても、セロンの感情がうまく見えてこない分、

 ぼくらは想像するしかないんだよね。

 でも、30年代から40年代にかけてのデカダンスな雰囲気は実に好かった。

 むろん、セロンとペネロペの美貌に負うところは大きいけどね。

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