この画像は、混沌そのもののようだ。自転車の川、珍奇なモニュメント、混沌とした建築の背後にさらにこれを加速させるようなビルが工事中である。
そのモニュメントが嘆かわしい。おそらく自治体は駅前を整備しながら、モニュメントでも置いて整然とした地域の顔をつくろうと考えたのだろう。結果としてさらに混沌さを加速させてしまった。そういう凡庸な頭では、空間を整然とすることはできない。そのあたりが、文化系役人の知恵の回らないところだ。結果としてモニュメントは、虚空をにらんで孤独に耐えているかのようだ。そういっているときは幸せだった。
これが20世紀末、日本の人口が増加し続ける時代の都市の姿だった。こうした都市の成長とは全く逆の姿、都市が衰退する現象を今の敦賀市で経験した。30年前なら、敦賀市の街の中にはなんにもないのよ、とこぼしていればすんだ。それが今は、その都市そのものがなくなりつつある時代にいるといってよいだろう。
敦賀駅の駅前から相当数の路面店が1km以上続くのだが、その9割5分以上の店がシャッターを降ろしている。水曜日が定休日なのだから、今日は定休日ではないので普段からこの状態なのか。それはおどろおどろしいシャッター街なのだ。当然総人口66,560人(H28)であり一貫して低減し続けている。路線バスも1日2本という時刻表を見ていると唖然とする。商業もスーパーが地元商業を喰っている間はまだ立地できた。それが一定数以下になると維持困難だから即座に撤退するだろう。都市といえるのは人口5万人以上だから、やがてこの街は都市の資格を失うことになる。こうした光景から、20年後のこの街の姿が見えてくる。それは日本の県庁所在地ではないまさに地方都市の姿かもしれない。
都市でなくなる、もちろん都市機能は人口に応じて低減してゆき、交通機関もその本数が大幅に減り、不便だから人々の流出が始まる、それが負の循環となって止まらない。そういう状態なのである。いかなる振興策もすでに受け付けない末期状態だ。
都市がなくなる状態、それを「廃市」と読んでおこう。そういう都市が全国的に発生してくる。財政投融資など全く役立たず、税金を捨てている状態だ。そのなかで、国の補助金や交付金を用いてつくられたコミュニティセンターなどの現代建築だけが際立っている。だが、人はいない。いつも閉館状態なのだ。
そんな都市の未来の姿を敦賀市の街を歩いていて感じていた。それはまさしく国土崩壊の姿であろう。
1997年東京都大田区、NikonF4,AF NikkorAuto35-70mm/F2.8,トライX