回りを気にしながら電話をかけている叔母はん。用件はなんだろうか、借金の催促か不倫相手との電話か。洗濯仕立てのTシャツのスッキリ感がさっきまで一発やってシャワーを浴びて出てきた感じもさせてくれるカップル。そして全く退屈している青年。とまあ勝手な解釈ができるところがストリートの面白さだろう。そんなのが三角形の位置にいるからどこか芝居かがってもいる。つまりここは劇場街か。
そんな街の光景をカフェテラスで眺めていたいのだが、日本ではなかなかそんなところは少ない。多くは珍奇なインテリア空間に押しとどめ、壁を見ながらお茶をする最悪の選択肢ばかりだ。なかには窓にスクリーンを貼り付けて視界を遮ってくれたりする。外の目線から隠れようというのが日本人の気質なのだろう。
そこには民族的な気質が関係している。ラテン民族の陽気さとはうらはらに、日本人は路地の奥の店の一番奥の席で落ち着くという気質だ。確かに路地の奥というのは、落ち着いたよい空間だと思うが、路地奥の小料理屋で季節の料理をつまみながら酒を飲んだろ旨いだろうというのは多分建築家の幻想でしょう。
実際京都市内には路地が多いので、そんな店があるのですが、むしろ誰と飲みに行くかの方が重要事だよな。
路地をみていてふと思うのは、日本人は隠し事が大好きなんだ。新聞を見ていても、自衛隊の海外派遣の報告書を隠したり、森友問題で税金を隠したりと隠し事が多い。これらの事件は、日本人の体質ですね。これから先もなくならないですし、私達の身の回りでも不倫問題とか税金とか、いろいろと思い出すと隠し事だらけではないですか。あの谷崎潤一郎に陰影礼賛を書かせたぐらいだから隠し事が体質なのだろう。それは農家のすべてバレバレの世界とは違う、都市固有の現象かもしれない。日本の都市の人間は隠し事が好き!、と結論づけておこう。
1997年下北沢、京セラSlim-T,トライX