足指骨折で出歩けないから新しいブログ画像がない。古い画像なら沢山あるが、春先の新年度に使う気分ではない。使い回そう。
さて映画「ハンナ・アーレント」が面白かった。ユダヤ人哲学者であり、マルチン・ハイデッガーの教え子であるハンナ・アーレントの物語である。その論説が、そそっかしい凡人には、ナチス賛美に聞こえるが実はそうではない。
ナチス戦犯アドルフ・アイヒマン裁判を観察・考察した結果、アイヒマンの性格として当事者意識の欠落、問題回避・責任転嫁、目の前の行為が起こす結果への判断力の麻痺、想像力の欠落、といった特性が浮かび上がった。これらを凡庸な人間の特性と呼んでいる。凡庸だからこそ大虐殺もできたのだろうとするハンナ・アーレントの論理は興味深い。
さてハンナ・アーレントが指摘した凡庸な人間の特性は、実は現代の私達の身の回りに結構数多くいる。換言すれば私達の身の回りでアドルフ・アイヒマンのような凡庸な特性を持った人間達の存在を否定できないのである。だからこれからもアイヒマンのような凡庸な特性の人間達による残虐な事件が起きても不思議ではない。
すると何故私達の日常、あるいは社会は 、凡庸な特性を持った人間達を繰り返し、繰り返し、生成してゆくのかという事へ関心や研究対象が移ってゆく。
だからアンナ・ハーレントは、「凡庸であるな!、考えて、考えて、考え抜け!!、考えることで人間は強くなる」と結論ずけたのである。
凡庸であってはならない、私達の回りの環境について、考えて、考えて、考え抜くことこそが私達の世界の基本なのだということ。そんな多くの知見を与えてくれた映画でもある。
京都市
α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS
ISO640,31mm,露出補正+0.3,f/4,1/60