街論の続きは、横浜にしよう。棲めばハマッ子という説に従えば、20年住んだから立派にハマッ子。
横浜の街の中には幾つかの丘があり、ギリシャのアテネと似ていると指摘した話もきいたが、実際に坂道の多い街だ。そんな街中を京浜急行や東急東横線が高架で通り抜けている。その高架下がディープな空間だったりする。運河沿いを歩けば宮川町の都橋商店街などという変わった空間もある。
私がデッサンの研究所に通ったのも横浜市東神奈川だった。東京に美術研究所がたくさんあるのに、何故か横浜でデッサンの基礎を勉強し、日ノ出町にある山手学院という予備校に通ったぐらいだから横浜の街とは縁がある。
東神奈川の美術研究所から5分ほど歩いたところに古い文房具屋がある。画材のケント紙をいつも調達していた。それも若く地味なお姉ちゃんに、いつも大きなサイズをカルトンの大きさにカットしてもらっていた。だから顔を覚えられていた。絶対あれは、お互いに気があったから、話し込んでお茶に誘えばよかったか。そんな余裕もないぐらいの律儀な浪人生だったのだろう。手を上げそびれて通り過ぎてゆく、そんな話は誰にでもあるだろう。
さてこの画像が、その浪人時代の文房具屋だったかどうかはわからない。でもこんな感じだったのだろう。歩いた街の風景が記憶の引き出しをあけてくれる。
話題は変わるが昨日も、少しだけ京都の街歩きをして猛烈な運動不足の解消に努める。昨年は七条のマッサージ屋に通うために途中の街を撮影していった。そしてそのデータを誤って消去し、ブログにアップした画像が僅かにのこるばかり。同じ画像をとる気分でもなく、今年は二条駅西の現像所へゆく道すがらを撮影している。不思議と同じ道を歩くことがないが、京都も狭いと感じている。さてダイビングに行くには、もう少し骨折の回復が必要だし、まだまだ我慢の日々が続く。
2000年横浜市、LEICA M4-P、Elmarit28mm/F2.8,T-MAX
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