Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編344. 渋谷2.

2018年04月24日 | Tokyo city

 論文ではないから、ブログを書くときは文献を調べるということがない。あくまで私の記憶と理解なのだが、記憶違いや理解の間違いも当然ある。そうしたことはブログを書いている途上で気がつくこともあり、あればその都度毎に訂正はしているつもり。

 じゃあなんでブログを10年も書いているのかと自問すれば、文章の練習。つまり文章を書いていないと書けなくなるのです。だから書き続けて、その能力が低減しないための知のトレーニングといってよい。

 じぉあなんで公開するのかと問えば、それは編集することの意味が大きい。文章を書き画像を貼り付け、画面全体を眺めてレイアウトされている状態を眺めるという快感がある。

 実は、編集するという行程は、私達のどんな場面でも登場する。上司に出す報告書をつくるときも説明順序を考え目次を考えて編集してといった案配もあるし、プロジェクトの提案するときも、どういう順序と素材を使って説明しようかと考えることも編集である。編集とは、相手の存在があって成立する概念だからWEBで公開するというのも、文章と画像を組み合わせて何を語ろうかとする編集魅力があるのだろう。

 でっ、そのためのパソコンツールとして私は何を一番使っていたかと思い出すと、意外なことにPower Pointは使わない、じゃ、Keynoteだろ!、それも使わない。一番使っていたのがIndesignなのである。もちろんIndesignは、本や雑誌をつくるのに不可欠な編集ツールなのだが、これで私が書いた原稿から抜粋して頁レーションをおこない一つのストーリーに仕立て上げ、PDFでかき出してiPadで説明する事が多い。

 いやそれ以前に、本や論文の原稿をつくる必須ツールだった。本や論文を一定の形式で作成し、社会で公表されれば、国会図書館に原則永久保存されるわけであり、そこに私というアイデンティティが存在する。そういう点でまとまった形式にするのにはIndesignは必須のツールである。

 しかしPowerPointで原稿を書いても、本などの形式ではないから保存されることもなく説明して終わりとすると、個人のアイデンティティはどこへいったのだろうか。しかも説明してPowerPointを消去したら個人が何かをしたとする記録は皆無になる。PowerPointで記録を残すというシステムは、国会図書館では行っていない。

 だから大方の人間が、情報を消去したらお終いという生活をしている。まあ人間はなんだろうかと笑えるのだが。このブログも消したらお終いの世界であり、本にしようという気分でもない。言い換えれば消されてもかまわない事しかブログには書かないということになる。

  さて今日のブログを書いているのが4月8日。18日も早いではないか。そんなに早書きしてどうすんだいと自問自答。

 

1997年東京都渋谷区、ミノルタCLE、Elmarit28mm/F2.8、トライX

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする