さて画像は、レンズを向けても物怖じしないのでバーやスナックのママ達の出勤だろう。繁華街には、例外なくバーやスナックがある。それも混沌とした空間を引きずって。
都市開発プロジェクトの仕事をしていた頃、同じ地方都市へ何回も出張することがあった。でっ、夜は暇だというときは地元のタクシーの運転手さんをホテルに呼んで、運転手さんの馴染みのスナックに連れてってよ、と頼むと大体連れていってくれて行きつけのお店ができる。それで変なお店に捕まるという失態は避けられる。青森市ではそうだった。
それで何回も通えば、祇園のお茶屋と同様に、お店のママ達と顔なじみとなり、こちらも夜の退屈な時間をつぶすことができるし、土地固有の地場の空気を感じることができる。大体スナックなどのお店はタクシーの運転手さんにバックマージンを支払うなどの便宜がはかられているし、夜お客が帰るときも同じ運転手さんを呼んでくれて、お店とタクシーとは商売で持ちつ持たれつだ。そうでもしないと地方都市のタクシーは営業にならない。
それはもう20年以上前のことだから、さてその当時の青森市内のお店が今どうなっているかをGoogleで探すと、もう存在していない。それは一期一会の時間だったのかもしれない。一生に一度の出会いであることを心得て、亭主、客とも誠意をつくせ、とする茶会の戒めを思えばスナックも現代の茶会だったか。
そんな行きつけのお店ができると、その街が好きになる。名古屋で同様のことをタクシーの運転手さんにいったら、「そんなこと、しません」とあっさり断られた。大都市では通じない方法である。だから名古屋では行きつけのお店探しは別の方法で、つまり同級生達につれていってもらった。ただし同級生の趣味で場末のフィリピンパブだった。それも結婚して日本に働きに来ているというフィリピィーナ達だった。
一期一会の良い時間をつくってくれて、そして消えていったお店が多かった。
1997年東京都渋谷区、ミノルタCLE、Elmarit28mm/F2.8、トライX