Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編343. 渋谷

2018年04月23日 | Tokyo city

 さて東京の街シリーズが続いている。街が変わるごとに撮影機材の話を挟んでいるというスタイルはここまで。というのも、骨折から一ヶ月経過している。もう足のギブスはとれたし、そろそろ雑事をかたづけたいし街も徘徊したいところだ。だから過去画像は、もうええやろという気分濃厚。それに元写真屋の息子とはいえ機材マニアではないので、思い入れのある機材は払底した。つまりあとは処分してもええやろ、なのだ。

 さて渋谷は、多くの人間達に語られているので、街論として述べる必要も少ない。だがこの街がなぜ、ここまでモノ・コト・ヒトが集積し繁華街として成長してきたかについて少し振り返ってみよう。

 先ず谷底型の地形、底へ滑りおちるように都市機能が集積していった。次いで副都心だから鉄道のターミナル性は当然ある。JR、半蔵門線に銀座線、井の頭線などが集まる一点集中型の駅があり、谷底の焦点が明確であること。さらに東急と西武のライバル企業の競争。これによって東急プラザや東急ハンズができつつ、西武系のPARCOやLOFTが進出し、それぞれの企業文化を主張しつつ、街のあるいは人々の吸引核として成長してきたこと。そうした吸引核が点在し街の回遊性を形成してきたこと。さらには表通り、裏通り、横町、路地といったみちのヒエラレキーが空間上回遊する面白さを付加したこと。あとはオフィス街ではなく住宅に取り囲まれていたことの特異性。そのあたりが20世紀に渋谷が発展してきた要因だろうか。だから多彩な思惑と人々とが集積する街になった。

 東京の街は、多数の副都心つまり大きな繁華街がある。渋谷、新宿、池袋、上野、浅草、銀座、最近では台場といった具合にだ。ニューヨークでも大きな繁華街というのはそんなに数は多くはなく、むしろ上海などのアジアの都市構造そのものなのだろう。そこはうらやましいですね。京都だったら大きな集積地は四条通沿いと京都駅前ぐらいだし、大阪でも北と南と大きな集積地は明確だ。

 ここまではアカデミックな街論の解釈の範囲なのだが、それに画像を加えるとにわかに人間くさくなってくる。画像の持つ意味が、論理を拡大させ、最後には混沌としておとしめてくれる。そのあたりが画像の面白さなんだろう。難しいことを述べるよりは、気の向くままに歩き、感性を刺激したらレンズを向けてみる、そんな画像がいろんなことを意味する記号表現、R.バルトの言葉ならsignifiant(シニフィアン)が読みとれるかもしれない。

 

1997年東京渋谷、京セラslimT、トライX

コメント
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