Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし98. 記憶色

2009年09月13日 | Kyoto city
 昨日は少し雨が降ってくれたので、埃も飛ばされ空気はおいしく、心地よい日となった。
 今日は先日撮影した曇り空の山の端に僅かにのぞいたしょうもない夕焼けを掲載した。実際私の眼には、曇り空で山の端が少し夕焼けになってい程度である。だがFUJIの撮影素子は、曇り空に僅かに残る太陽の色彩情報を拾い集め、このようになんとか見られる画像にしてくれる。
 だから最近は、FUJIのS5proのボディに、ニコンのズームレンズを付けっぱなしにしており、これでベルビアモードに設定すると、リバーサルフィルム並に撮影できる。
 相変わらずFUJIは、ニコンやキャノンに比べれば、はるかに良い色を出してくれる。良い色とは何かといえば、現実の色彩情報以上の美色だということである。
 ボディでみると、キャノンは相変わらず自然界の色が貧しいし、ニコンは現実色に近いが地味傾向である。どうも色彩の設計発想が測定器志向、或いは真面目すぎる結果だと私は類推している。
 ユーザーは、現実に忠実な色などを望んではいないと私は考えている。つまりしょうもない風景から色彩情報をかき集め、見ている以上の、そしてユーザーが気づかない発色の良い絵に仕立て上げる画像を期待しているのである。それはフイルム時代のベルビアが、まさにそのような特性を持ち、多くのユーザーに支持された理由でもある。
 写真が、現実世界を写し取る道具だとする認識は、私は間違いであると考える。特にデジタル化されれば、どうにでも後加工できるのだから、現実をモチーフにしながら、もう一つ別の世界を表現するための道具だと私は考えている。
 別の言い方をすれば、記憶色の世界だ。悪いイメージをそぎ落とし、記憶に残る良い色だけを人間は覚えている。FUJIはフイルムメーカーだけあって、そうした人間の色彩に対する心理を、プロダクトに反映させている唯一の機材メーカーである。プロ写真家が絶賛する理由もうなずける。
 そういう優れものが、WEBでは13万と初期の半額で売られているので、この機材はまさにお買い得だ。そろそろ発売から2年半がたつので、最近のEXRを取り込んだ新製品ボディが欲しいところだ。もし、新製品がでないのであれば、今のボディをもう1台追加するか・・・それ位にFUJI製の撮影素子は大変優れている。

清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED

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京都暮らし97. 渇水期

2009年09月12日 | Kyoto city
 秋は嫌いだが、毎日デスクワークばかりでは体によくないので、夕方清水寺迄散歩に出かけることにしている。今頃は午後6時から7時の間に、日没、薄暮とグッドタイムが訪れる。
 京都に棲んでいるから、でかけようと思えばいくらでも美しい風景にであえるのだが、いつも同じ清水寺の往復になる。散歩コースとして調度よいのだろう。しかも清水寺は、世界文化遺産だから贅沢な散歩コーズだ。最近は、清水寺の舞台からの夕焼けを眺めるために東山にあがり、薄暮の頃になると清水道や八坂道などの坂道で夕焼けの名残を正面に見ながら、追いかけるように下ることが多い。こうした時間の変化に伴う街のロケーションが、京都は盆地故に、よくできている。
 秋は、山に上がるとわかるのだが渇水期である。また街の中にいても、あまり雨が降らずダラダラと残暑が続き、水気のない庭は、美しさに欠けている。台風がきても局地的気象現象だから、コースから外れればあまり雨の恩恵はない。仮に雨が降っても、一気にドサッと降るので、雨に濡れた露地の石畳の撮影にでかけようというわけにはいかない。
 京都市の水源である琵琶湖も一番水位が下がる頃だろう。これから冬になり山に降った雪が地中に浸透し、やがて春になると琵琶湖の水となるわけだ。だから今が1年の溜まり水であり、まずいのではと思ったりする。そんなこともあり、どこか1年間のリセット前の耐えしのぐ秋という季節は、好きになれない。
 今朝は、ようやく待望の雨が降ったので、少し期待したが、すぐにやんでしまった。

八坂道
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし96. 秋は夕暮れと言うが・・・

2009年09月11日 | Kyoto city
 枕草子では、「秋は夕暮れ・・・」と述べているように、これから夕焼けの美しい日々が続く。夕焼けは美しさと同時に、 そこに落ち着きある寂寥とした感慨を歌う人もいるが、光が次第に力を失いながら弱々しく衰退してゆくわびしさにこそ、私は秋が嫌いな理由がある。
 秋は、確かに作物の収穫の時期であり、物事が実る季節であり、紅葉の季節でもある。京都の紅葉はつとめて美しいことも私は体験している。秋の嫌いな私にとって、そうしたステレオタイプ化された紅葉は残酷でさえある。
 だが個人的に秋が嫌いな理由は他にもある。今日は9.11だ。当時名古屋から横濱に戻ったら、TVでWTCに裂けたような大きな傷跡ができ煙がでている姿が放映されていた。朝の慌ただしいはずのニューヨークが、時間が止まった静かな空気を感じた。最初飛行機がぶつかった事故と報じていたが、2機目の飛行機がビルにつっこみさらに白煙をあげた。秋晴れの最中にアメリカがテロ攻撃を受けていたのである。やがてミノルヤマサキがデザインした二つのビルが崩壊してゆく信じられない様子を、ライブでみていることになってしまった。世界の誰しもが忘れられない、映像となった。
 また昨年のアメリカのリーマンブラザースの経営破綻も、秋であった。これを契機として世界経済は、大きな減速や衰退に巻き込まれ現在に至っている。それ以後経済の基本的な価値が変わってしまったような空気すら感じている。その空気が何かはわからないが、アメリカ主導経済から、中国やインドといった新しい国家による経済の枠組みへの移行なのかもしれない。現在では回復基調にあるとはいえ、まだ傷はいえない。
 最近秋になると、経済・社会的に激震が多いと思われる。 

清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし95. 秋!

2009年09月10日 | Kyoto city
 今日は、8月11日に撮影した夏の空を掲載した。このように、今年の夏は、例年に比べれば、夏日というものが少なかった故に、どこか北ヨーロッパをを思わせるような空である。
 それでも盆地である京都にとっては、蒸し暑かった日もあったが、それは自然の暑さである。
 東京や大阪の街のように、自然の暑さに加え都市熱とでもいうような人々の活動に伴う人工の熱が加わると、やはりものすごく蒸し暑い夏だっただろう。
 そんなことはともかく、今日は窓を開けていればすごせる快適な気候になってきた。もう立派に秋であり、あと三ヶ月半もすれば正月である。個人的には、夏への未練が大いに残る寂しい時期である。秋が嫌いな私としては、夏を未練がましく反芻しながら、お正月が近づくという気分だ。
 欧米の大学の新学期は、秋である。だからこの個人的に嫌いな秋に、新入生がはいってきてバタバタしている時期をやりすごすと、新年を迎える。そして1年の成果をまとめあげると、夏休みになるというタイムライフの方が、個人的には好ましい。
 今年の夏は、例外的なのだが原稿を書くといった仕事がなかった。そのため少し時間をもてあまし気味な夏であった。今度は一夏高原ですごすというアイデアもあるなと思った。

高台寺界隈
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし94. 当世学生気質

2009年09月09日 | Kyoto city
 昨日、独立美術教会の作家と、お茶をしていた。師曰く
「我々が学生だった頃は、作品の公表会で、指導の先生から『4年にもなってまだこんな絵しか描けないのかぁー、大学やめちまえ』なんて言われて怖い先生だと思いながら、そうやって怒られながら先生の指導についていったけど、今は、違うんだよ。ヤメチマエなんて言うと、女子学生は泣き出すわ、その後親から電話がかかってきて、4年迄進級させていてヤメチマエとは何事だ、というわけだよ。」
 そういうことは、私の大学でも似たようなことが沢山あるよ、ということで大笑いとなった。
 「でっそういうときどうすんの?」と尋ねられたので、私は、ド壺にはまる迄放置しておくのさと答えた。卒論でも制作でも、ああっ、このまま走ったら、その先はド壺にはまり抜け出せないなと思うけど、自分で抜け出せなくてヘルプがきたら引き上げに行くのさ。それまで放置よ!。
 昔だったら一生懸命教えようという意識が教員の側にあったから罵声も発したが、今はそうすると親からクレームがくる時代である。クレームをなくすには、一生懸命教えないに限る。つまり放置に限る。だから今では、教えるべき事をプログラム化して学生にやらせておけばよい、という無責任な教育方法の方を学生も親も好むようである。それが当世学生気質である。
 ところで当世学生気質とは全く正反対の気質の学生、つまりクラシックなタイプの学生が私の研究室に来ていた。私も熱心の余り「アホかよ!」等と何回も罵声もあびせたが、学生は神妙な顔をしながらも心の中で舌をだしていたかどうかはしらないが、その後研究業績をあげていった。今では博士号を取得し旧国立大学系の准教授になっている。

山科 東海道・徳林庵
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし93. ヒューマンウェア

2009年09月08日 | Kyoto city
 週末に二日ほどブログを書きためてまとめてアップし、ブログを休んでいた。実は、このプログを書かない休みが精神衛生上大変快適なのである。毎日せっせとブログを書くなんて暮らしを3年も続けていると、マンネリ化してくる。そうなると、書かない方が、つまり忘れている方が心地よくなってくる。
 さらにいうと、パソコン自体を操作しない方が、はるかに心地よい。もっと大切なものが見えてくるようにも思われる。今ではパソコンは、大半の用事がメールで事が済むぐらいに、仕事にはなくてはならないツールだと思われている。だが私の経験からみても、そんな仕事を1週間ぐらいほかしておいても、さらにはそのまま永久にほかしておいても、私は何も困らない。もっと大きく考えると大体我々のような中産階級に、そんな大切な仕事が社会から与えられているわけではない。であれば、パソコンも暫くお休みする日があってもよいだろう。
 そんなことを考えてゆくと、パソコン上のヴァーチャルウェアも必要性が薄くなる。大切なのは、直接人と語らうヒューマンウェアの方だろう。そちらの方がはるかに大切であり、そして面白いからだ。

山科 東海道・徳林庵
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし92. 地蔵盆

2009年09月07日 | Kyoto city
 京都の話題に戻ろう。仙台のトロトロした個性や京都くさい退屈な風景から、少し日常の感覚に戻ったようだ。
 8月23日の日曜日は、町内会が主催者となって京都の街の中で一斉に地蔵盆が行われた。京都の町内は大変数が多く、そうした多くの町内会毎に行われるお盆の行事の一つである。街を歩けば町内には必ずあるお地蔵様を綺麗に飾り立て、お坊さんを呼んでお経を唱えていただき、そして様々な子供達の遊びが始まる。つまり、子供達のお祭りといってよい。そして夜になると大人達のご苦労さん会が始まる。
 私の町内でも、昼の子供達のお祭りは隣でお寺で行われ、そして夜になると車が来ないので露地にテーブルをだし肴や酒をならべて、拍子木が鳴ると、町内の各人がお地蔵様のところに集まり大いに盛大な宴会となる。京都人が年に1回羽目を外して大いに驚喜する世界であり、観光ガイドにもこの行事は掲載されていない。私には、京都人のホント或いはホンネの祭が、この地蔵盆だと思われる。
 京都では 瀟洒なマンションなどが多いのだが、ここに棲んだら隣近所のコミュニティは少ない。 マンションで一つの町内会なのであるが、まとめ役がいて多くの人が参加しないと何もおこらない。通例は、何もしたくない人々がマンション住まいをするので、取り残されたように何もおきないのである。だからマンション住まいは、京都ではつまらないと思われる。
 やはり古くても町屋は、立派に市民権を得て町内で認められる存在なのである。だからお当番もあり、地蔵盆だって準備をすることがあるかもしれない。それでも、私は 町屋に棲んでいてよかったと思う。
 地蔵盆と合わせ六地蔵参りという催事がある。京都に入る六本の街道の入り口にお地蔵様を祀ってあり、この日に六カ所をお参りしてお札を集めて祈願するというものである。過去に六地蔵参りをしたが、いずれも京都の入り口・つまり郊外故、交通不便なところが多い。炎天下に回るのは大変であった。そんなわけで今年は、山科の四宮の六地蔵だけにでかけた。

山科 東海道・徳林庵
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし92. 地蔵盆

2009年09月07日 | Kyoto city
 京都の話題に戻ろう。仙台のトロトロした個性や京都くさい退屈な風景から、少し日常の感覚に戻ったようだ。
 8月23日の日曜日は、町内会が主催者となって京都の街の中で一斉に地蔵盆が行われた。京都の町内は大変数が多く、そうした多くの町内会毎に行われるお盆の行事の一つである。街を歩けば町内には必ずあるお地蔵様を綺麗に飾り立て、お坊さんを呼んでお経を唱えていただき、そして様々な子供達の遊びが始まる。つまり、子供達のお祭りといってよい。そして夜になると大人達のご苦労さん会が始まる。
 私の町内でも、昼の子供達のお祭りは隣でお寺で行われ、そして夜になると車が来ないので露地にテーブルをだし肴や酒をならべて、拍子木が鳴ると、町内の各人がお地蔵様のところに集まり大いに盛大な宴会となる。京都人が年に1回羽目を外して大いに驚喜する世界であり、観光ガイドにもこの行事は掲載されていない。私には、京都人のホント或いはホンネの祭が、この地蔵盆だと思われる。
 京都では 瀟洒なマンションなどが多いのだが、ここに棲んだら隣近所のコミュニティは少ない。 マンションで一つの町内会なのであるが、まとめ役がいて多くの人が参加しないと何もおこらない。通例は、何もしたくない人々がマンション住まいをするので、取り残されたように何もおきないのである。だからマンション住まいは、京都ではつまらないと思われる。
 やはり古くても町屋は、立派に市民権を得て町内で認められる存在なのである。だからお当番もあり、地蔵盆だって準備をすることがあるかもしれない。それでも、私は 町屋に棲んでいてよかったと思う。
 地蔵盆と合わせ六地蔵参りという催事がある。京都に入る六本の街道の入り口にお地蔵様を祀ってあり、この日に六カ所をお参りしてお札を集めて祈願するというものである。過去に六地蔵参りをしたが、いずれも京都の入り口・つまり郊外故、交通不便なところが多い。炎天下に回るのは大変であった。そんなわけで今年は、山科の四宮の六地蔵だけにでかけた。

山科 東海道・徳林庵
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京都暮らし91. メディアパーク

2009年09月06日 | field work
 土・日曜日は大学の仕事なので、まとめてアップさせることにする。これまで暗いお寺が続いたので、明るいイメージで仙台回遊のシメとしよう。 
 仙台市も、街づくりという視点でみれば、政令指定都市故に規模は大きいのだが街の個性が感じられない。仕事という目的でおとずれることはあっても、個人的に行きたくなるようなところではない。そんななかで、仙台メディアパークは、建築的に興味深かった。建築学会が催事を行っていたこともあり大変賑わっていたということもあり、私が見た時の心象はよかった。
 デザインの視点で見てゆくと、従来の建築に見られた、エレベーターや階段室や化粧室などを一体にしたコアというものが存在しない。それから各機能を持った居室の間仕切り壁がない。だから一体的な空間の中に、展示スペースがあり、ショップコーナーがあり、カフェコーナーがあるといった具合に、マルチパーパスな空間がゆるやかにつながっている点が大変面白い。そのことによって、こんなにフレキシブルな使い方と活気ある風景が実現ができる空間になっている。どこかセカンドライフ的空間といった捉え方もできるだろう。21世紀のデザインの方向性を明快に示しているようだ。
 これまで暗い寺院巡りだったので、このような明るいイメージをみると、ようやく現代に戻れた安堵感する感じられる。やはり四寺廻廊もそれなりに知識にはなったが、個人的には現代建築の方が面白い。現代建築デザインやブランドデザインといったようにデザインは、現代人が心をよせる精神世界の現れなのかも知れない。

仙台市・メディアパーク
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし91. メディアパーク

2009年09月06日 | field work
 土・日曜日は大学の仕事なので、まとめてアップさせることにする。これまで暗いお寺が続いたので、明るいイメージで仙台回遊のシメとしよう。 
 仙台市も、街づくりという視点でみれば、政令指定都市故に規模は大きいのだが街の個性が感じられない。仕事という目的でおとずれることはあっても、個人的に行きたくなるようなところではない。そんななかで、仙台メディアパークは、建築的に興味深かった。建築学会が催事を行っていたこともあり大変賑わっていたということもあり、私が見た時の心象はよかった。
 デザインの視点で見てゆくと、従来の建築に見られた、エレベーターや階段室や化粧室などを一体にしたコアというものが存在しない。それから各機能を持った居室の間仕切り壁がない。だから一体的な空間の中に、展示スペースがあり、ショップコーナーがあり、カフェコーナーがあるといった具合に、マルチパーパスな空間がゆるやかにつながっている点が大変面白い。そのことによって、こんなにフレキシブルな使い方と活気ある風景が実現ができる空間になっている。どこかセカンドライフ的空間といった捉え方もできるだろう。21世紀のデザインの方向性を明快に示しているようだ。
 これまで暗い寺院巡りだったので、このような明るいイメージをみると、ようやく現代に戻れた安堵感する感じられる。やはり四寺廻廊もそれなりに知識にはなったが、個人的には現代建築の方が面白い。現代建築デザインやブランドデザインといったようにデザインは、現代人が心をよせる精神世界の現れなのかも知れない。

仙台市・メディアパーク
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京都暮らし90. 四寺廻廊その四

2009年09月05日 | field work
 この地域は飽きたといいながら、もう一つまわらないと四寺廻廊にはならない。もう少しおつきあいを。
 四寺廻廊の最後は、誰しもが訪れる中尊寺である。松尾芭蕉はここでも名句を残している。
「五月雨の 降残してや 光堂」 芭蕉
 光堂とは金色堂であるが、歴史屋に言わせれば、「仏と人との間に介在する光とその光の彼方にある盛衰の歴史に芭蕉のまなざしが向けられていた」そうだが、デザインの立場から見れば、五月雨の鬱蒼とした杜のなかに燦然と光を放つ姿を感覚的に捉えたにすぎない。歴史屋は大げさな解釈がお好きなようだ。一体歴史屋は、芭蕉に合ったのかい!?。
 金色堂は、コンクリートの壁に囲まれた建物の中にあり、さらにガラスケースの中に鎮座している。そうなると建築ではなく建築サイズの工芸品である。金を張り巡らしたからといって、私にはあまり興味がもてない。やはりここも退屈だ。
 だから金色堂を早々に退散し境内を歩いていると、覆い堂があった。但し書きによれば、昭和30年代の修復まではこの覆い堂が金色堂を囲っていたのである。そうであれば壁の隙間から、燦然と輝くお堂が見え隠れし、境内の緑に少しは映えていたのかも知れない。その方が芭蕉の句の世界に近いだろう。
 現在中尊寺一体は、世界文化遺産登録を目指している。だが、コンクリートで覆われた工芸品金色堂と周辺寺院の廃墟ぐらいでは無理でしょう。中尊寺には、古い僧房も多いのだが、山中に点在しており寺としての構えがない。それにこの地域の真ん中を、東北自動車道が走っており歴史景観とは言い難い。昨日の研究仲間の話では、最近のユネスコは世界文化遺産の登録を厳しくしているとのこと。まあ、登録は無理筋と笑いながら、ここを後にした。
 それにしても、私は拝観料と300円のバス回遊券くらいしか、使わなかったので、あまり地域振興に貢献していない。平泉にも歴史を紹介する施設はあるようだが、つまらなそうなのでパスした。そのために所定の時間より、2時間早く回ることができた。おかげで夜の8時頃には、京都についた。
 「四寺廻廊」そして松尾芭蕉の句という、言葉によるつながりをもった四寺であった。それにしても、どこか暗さを感じさせてくれる。それはこの地方のそして東北という風土の体質なのだろうか。建築学会の論文発表という機会がなければ、訪れることがないところばかりであった。もし自分の旅行であれば、もう少しデザイン的に面白そうなところにゆくけど。

平泉・中尊寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし89. 四寺廻廊その三・続

2009年09月04日 | field work
 平たく言えばデザイン研究とはいえ、大半のお堂が消失しているいささか退屈な毛越寺を歩いていたら、出口付近に往事の姿の復元図に遭遇した。
 複数の寺が池に向かって廻廊を延ばしてゆく姿は京都にもあまり例がなく、独創的なデザインだ。おそらく本堂から左右の廻廊に囲まれつつ、正面の池を望むことが出来るのであろう。だから建築やランドスケープの空間としては、興味深い構成だと思われた。毛越寺の歴史を読むと、往事は堂塔40僧坊500と記載されているので、 復元すれば、なかなか堂々とした立派なお寺である。実現には多額の資金をようするが、復元する価値はあるだろうと判断できた。
 浄土式庭園で知れ渡っているのは、宇治の平等院鳳凰堂である。往事の毛越寺は、それと並び称されてもよいぐらいの特色あるデザインであったといえよう。それにしてもこの地方の京都志向、正確に言えば都志向には何故か根強いものを感じる。
 1189年この地方で自害した源義経主従をしのび松尾芭蕉は、ここでも名句を残している。
 「夏草や 兵どもが 夢の跡」

平泉・毛越寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし88. 四寺廻廊その三

2009年09月03日 | field work
 8月28日は、京都に戻る予定だ。8時代の新幹線で仙台を発てば昼過ぎには京都につく。そう思ったとき「四寺廻廊」という言葉を思い出した。時間もあるし、残る後二つのデザインを視察してゆくか。そこで東北線のローカル列車を3本乗り継いで、平泉に向かった。
 平泉は、全くホスピタリティを感じさせない閑散とした街だ。東北のなかでは少しましなのかもしれないが、私は、必要がなければ二度とくるような街ではない。
 先ずは毛越寺。本堂はあるが、それ以外にも多くの寺院が浄土式庭園に向かって建っていたようであるが、いまでは跡を記した柱だけが建っていた。だがその浄土式庭園なのだが、どうも敷石などが妙に綺麗であり、現代のランドスケープ・デザインの手法で再現されたのだろうと思われた。だが調べると往事の形態をそのまま残していると記されている。少し拍子抜けしたが私には、いささか退屈な庭園だと思いながら視察していた。
 観光ポスターでは、古代の催事の時の意匠をまとった人達が撮されていたので、それは大変絵になるのだが、何もない庭園は至極退屈である。催事があってはじめて風景になるのだろう。毛越寺の催事を調べていたら、曲水の宴や送り火が行われている。平安時代に端を発するこの地域は、あくまで京都志向が強いのだろうと思われた。
 デザイン研究の視察とはいえ、そのような寺を京都人の私が見ても、おもろうないので次へ行くことにした。

平泉・毛越寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし87. 四寺廻廊その二・続々

2009年09月02日 | field work
 昨日の京都は、雲一つ無い晴天で日差しは強かったが風があり、どこか晩秋の気配だ。さて仙台の話を続けよう。
 立石寺にゆけば、必ず誰でもが撮影するスポットがある。だから私は、掲載をやめようかと思ったが、晴天に恵まれたので、俗っぽいのだが岩にへばりつく納経堂を掲載した。最後の夏の空気を感じてもらえれば幸いだろう。
 立石寺は、山の急斜面に立地するお寺やお堂に加え、周囲の緑の濃い山肌のテクスチャーが面白い。通例ならば、このようなところに送電塔が見えてしまう風景が多いのだが、それがないとこんなにも山は美しく見える。
 そんな風景を楽しみながら山を降りてくると、もうシャツは汗だくになっていた。
 夕刻、仙台に戻り、ホテルでシャワーをあびてから、研究仲間の懇親会にでかけた。昔から学生達のたまり場であったクラシックな居酒屋にしけこんだ。名前が「ラブミー牧場」と古き時代を感じさせてくれている。ここは、昭和の大学紛争時代には、活動家学生達の高歌放吟の場であったようだ。
 私達は久しぶりの再会だったので、これからの大学施策の情報交換に始まり、世界文化遺産の話から (ここまでは出張の目的に適っているが)、調査のために持ってゆくEOSは2回でポロポロになり廃物状態だという話に飛び火し、オリンパスペンのデジタル一眼がええではないかと言う話に脱線し、高歌こそ無いが放吟三昧となり、そのまま肴だ、酒だと4人ではしゃいでいるうちに大いに盛り上がり夜もふけていった。それにしてもリーズナブルな居酒屋であった。
 最後に人間の頭ぐらいの特大サイズの焼きおにぎりを4人でほおばり、お開きとなった。久しぶりに大いに語り、大いに食べた。どこの大学でもそうなのだが、建築学会の大会は、発表というノルマを果たすと後は懇親会、よくいえば情報交換であり、新しい研究へのアイデアブレーンストーミングであり、平たく言えばお祭りである。

山寺・立石寺
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京都暮らし86. 四寺廻廊その二・続

2009年09月01日 | field work
通例登山道であればあまり感じないのだが、立石寺の五大堂に向かう柵のない道は、恐怖感が迫ってくる。何しろ200m下にある麓の景色がモロに見えているので、道幅が広いにもかかわらず、不思議と怖さを感じる。こういうときは、頭の中で念仏を唱えながら歩くしかないだろう。
 だが実際には、道の外がいきなり200m下の麓というわけではなく、下からあがってくる階段に、この道が接しているのである。それでも落ちれば、重傷だろう。
 実は、みえがかりて麓が迫ってくるように視界に入ってくるような、道の設えなのである。なにしろ修行者達の山だから、こうした設えが随所にあるのかもしれない。恐怖感にとらわれていないで現実を静かに観察しなさい、そうすれば恐怖感は消えるであろう、という仏教の教えなのではないかと私は、類推した。まあ考え過ぎかと思うが。
 それにしても、麓の風景がどこかヨーロッパ的にみえる。ここは、そういう地域の自然環境なのだろうけど、案外山形県は美しいのもかも知れないなどと、勝手にイメージしてしまうところが、心憎い。

山寺・立石寺
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