Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak132. 個人情報

2017年11月12日 | diving

 個人情報はパソコンで扱わないのが望ましいのだが、例えば自宅でパーティーをするときに友達に送った案内状に、住所や地図や電話番号ぐらいはメールやスマホで送っているでしょう。Deleteしても情報は回復できるので、PCがクラッシュしたときにHDを抜いて破壊したりする個人ってどれぐらいいるだろうか。世の中のPCの台数を思えば、相当数のPCがそのまま捨てられている可能性が高いのではなかろうか。

 賢い回収業者がPCを回収し、データを拾い出し、裏のルートで個人情報を販売していたりもするだろう。だからすでに個人のプライバシーに関する情報は、WEBの世界に流れていると理解した方がよかろう。実際私も初期MacG5がクラッシュし備品がないために修理不可能で廃棄したし、iMacに至っては修理不可でそのまま廃棄した。個人でパソコンを開けてHDだけ取り出す作業は結構面倒くさいし、HDのディスクは容易には壊れない。それに壊したHDをどうやってゴミにだすかということも悩ましい。

 だから個人情報は、既にWEBの世界に流れていて、既に秘密の概念ではない。Googleは個人情報にリンクしないだけであり、それが存在しないことを示しているわけではない。そのことを私たちが知らないだけ。

 であれば、流れている個人情報にどれだけの価値があるのかが問われる。大概は、一人一人の個人情報では価値がないが、それが一定量集まると価値が生まれる。問題なのは、それがどれぐらい把握されているかが、私たちでは追記できないことだ。

 そして個人情報は、本来社会で共有されるべきものである。氏名、住所を隠したら宅急便や郵便物が届かなくなる。だから個人情報を守るのではなく、悪用や名誉毀損から守るアグレッシィブな法律が必要だというのが、「青柳武彦:情報化時代のプライバシー研究、NTT出版,2008」の論説だ。

 スカシテンジクダイの群れをみていて、そんなことを考えていた。あの1匹1匹が私たちや個人情報であり、群れになって社会を形成し、大きな魚の餌になる!?・・・。人間とは何か!。それは大きな存在の餌だ。そういうのを人をくった話というのだろうか・・・。

 

沖縄県石垣市竹富島ビタローの根

Nikon AW130,ISO125,焦点距離18.1mm,f/4.8,1/200

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Nikon Freak131. 冬が来る前に

2017年11月11日 | diving

 さておととの続きでもアップさせようか。画像はノコギリダイですかね。沖縄の魚は、海水温が高いために身が締まらず味は淡泊だから刺身というよりは、煮付けとか唐揚げ位だというのがWEBの料理情報。当然WEB情報などは信用していないので、寿司屋につれていってもらう。

 沖縄の寿司は、本土の寿司とは食材の違いもあるがやはり私には美味だった。さてその寿司屋のある通りの空間は覚えているが、名前を覚えていない。GoogleMapで調べると、多分あけぼの寿司だろう。こういうことはブログに書きとどめておかないと忘れてしまいそうだ。寿司盛り合わせで石垣島のこの季節の代表的な寿司は食べたつもりだが、空腹だったのではて何を食べたかの記憶が全くない。

 さて今月中旬ぐらいには冬前の沖縄へ今年最後のダイビングへ行こうと目論むが、仕事で忙殺されているうちにその中旬に近づきつつあり、しかもこの頃京都の町内ではお火焚祭がある。これはお稲荷さんの前で、ゴマキを燃やして焼きミカンをつくり冬の病封じをする京都恒例の行事である。

 そして来週半ばから京都も気温が下がる予報だ。しゃあない、月末の北風が吹き始めた頃に寒風吹きすさび心が折れそうな沖縄だな。もう慶良間は波があるので無理だろう。あと6日は潜りたい、冬が来る前に。

 

沖縄県石垣島黒島V2

NikonAW130,ISO125,焦点距離9.2mm,露出補正0,f/4.3,1/125

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Nikon Freak130. カメの泳ぎは早かった

2017年11月10日 | diving

 カメは、吉兆のシンボルでもあり実直さや勤勉さを表し、実際日本庭園では鶴亀といった暗示もなされるなど日本人にも好まれている。それは人間の性格の一つだが、実直勤勉という言葉は、それだけしかなく能力がなく、他に発揮や貢献できる能力がないことへのいいわけにしているようであり、つまりアホだよねということになる。もっといろんなことを学んで聡明な人間を目指せよ!。つまりカメのような人間と言われたら勉強不足のため能力がたりないのでございますと、いわれてると私は思うけど。

 ウサギより遅くとも実直に努力すれば最後は一番だという寓話も今の時代にはあてはまらない。遅ければ、置いていかれるだけ。それは遅い人への慰めの言葉。早さという点では中国の近代化がその典型例。日本の数倍以上の早さで走り抜け、いまではアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国。私も中国の人口5万人の都市計画で、構想からマスタープランの作成まで5ヶ月という経験をした。早いことは、細かいことを省くなのではなく、ものすごく密度の高いことを集中的に考え抜くということ。中国人は、そうした頭の働かし方に秀でているというのが私の理解。

 さてダイビング中に、ふと気づくと私の正面にアオウミガメが、こちらへまっすく進んでくる。このままでは正面衝突。こちらは咄嗟に左へ急反転。おかげてエアが減るぜよ。そのカメは、そのまま直進して通り過ぎていった。人間に慣れすぎたカメだよ。もしぶつかっていたら、こちらは吉兆の産物とは思えない。

 だが胴体は造波抵抗の少ないよい形をしていることが画像からわかる。アメリカのステルス爆撃機B-2みたいだ。だから水中では遅いはずはないと思いWEBで調べると最速時速20Kmで泳ぐとある。水泳男子自由形の時速が8.6kmとあるから、人間の泳ぎよりも早いことがわかる。あれは長い年月の生存で海の流れによって磨かれてきたスタイルだよな。

 それにしてもMac proのアップデートが随分遅いではないか。既に1時間経過している。もうやめたいと思っても起動キーでは終わらないので電源ケーブルを抜くほかない。やれやれだなぁー。こちらはカメ以下かよ・・・。

 

沖縄県慶良間諸島儀志布島カメパラダイス

NikonAW130,ISO125,焦点距離8.5mm,露出補正0,f/4.3,1/250

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PEN LIFE1500. トイレの男女区分

2017年11月09日 | diving

  このブログのPEN LIFEシリーズがようやく1400番台を抜け出した。

 実をいうと1400とか14という偶数数字が嫌なのです。ラッキーナンバーという言葉もあるぐらいだから数字にも好き嫌いがありますが、それには全く論拠がありません。その1400番台から早く抜けだそうと考えたのが春頃、ようやく抜けすことができました。

 なぜ嫌いなのかというと、まず3で割れない。つまり建築では、寺院の柱と柱の間の空間数であるスパン数が、法隆寺金堂を除けば5間とか7間といったように奇数が圧倒的に多い。中央があって脇があるという空間構成の方が寺院としての風格を演出しやすいのかもしれません。それはデザイン上のバランスがとりやすいからです。

 14という偶数は二つに割ることができますが、それがトイレの男性用、女性用と2分割されるのと一緒で面白くない。近年では、多機能トイレもあるので必ずしも2で割るというわけではありませんが。

 20年前大学のアトリエ棟新築の計画段階で、トイレの男女別区分をやめたことがあります。化粧室のついた広いブースがいくつもあるというスタイル。そのほうが着替えもできるし、育児機器をおけばおむつの交換だってできるし、車いす用のブースだって設えられます。つまり完全にプライバシーな空間をブースとして実現しようという意図でした。それがいつのまにか、不要な洗面台がブースの外側につき、建築が完成したら男性用、女性用のサインまで付いている。

 例えば化粧をする。それが同性だったら許されるが異性はお断りという現在のスタイルから、同性でもお断りができるプライベートな空間に格上げしようとしたわけです。それがあかんというわけですから、それは文化性の違いだろうなと思ったわけです。

 だからここに書いておこう。もし私が公共建築や民間のパブリックな建築の計画や設計をしたら男女別のトイレは、つくらないからね。社会的な施設においては、男女別という性別区分ではなく、パブリックかプライベートという公私区分にすべきだというのが私の考え方です。トイレはプライベートな空間ですから、その方が考え方が明快でしょ(笑)。

 

沖縄県慶良間諸島久場島紺瀬の鼻

OLYMPUS E-M1,FISHEYE8mm/F1.8

ISO200,露出補正-1.7,f/2.2,1/400

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PEN LIFE1499. DMO

2017年11月08日 | diving

 DMOという言葉がある。Destination Management Organizationの略で国土交通省の定義は以下。

『日本版DMOは、地域の「稼ぐ力」を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として、多様な関係者と協同しながら、明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人です。』

 そんな実例が日経流通新聞11月6日号に載っていた。例えば地域連携を目的とするディスティネーション十勝をはじめ、気仙沼DMO、雪国観光農園、南信州観光公社、ノオト、広域連携せとうちDMOなどがある。例えばノオトは、限界集落の古民家を宿泊施設や料理店に再生させるるなど50棟以上の実績を持ち、せとうちDMOは小型豪華客船ガンツウを就航させて瀬戸内海クルーズを行うなど、地域連携しながら観光地域づくりを行おうとするものであり、そのための戦略や調整機能を備えた法人に対して国が支援する事業だ。 

 こうした事業をおこなうためには、事業立案ができ且つ調整機能のできる人材確保が課題だそうな。わかりやすくいえば観光プロデューサーが必要になる。私は今年1月にプロデュースについての本を東京の出版社から発売したので、「これでも読んでよ、観光については書いていないけど事業の構造や組み立て方は一緒だから・・・」といったとしても、あたまの固い読者からは「これ観光の本ではないから、パスだな」というユーザーは結構いるのです。

 観光だから観光の書籍棚へ、という考え方は既に古い。今の観光市場は素直にはできていない。観光の仕事だから観光の本をという考え方よりは異分野の知識の方が有効だ。本は配架方法だけのことだが、難儀なのは人間の頭が猛烈に固いことだ。そこが一番私の頭を悩ましくさせてくれる。若くして既に頭の猛烈に堅いクソ真面目人間が多いのだ。だからDMOでも、プロデューサーの育成が課題となっている。

 そういうことは大学教員時代に学生の就職活動をみていると顕著だ。「建築を勉強したから設計事務所へ、あら水準高いんだ、ならば身の丈サイズのハウジングメーカーへ」そういう学生達を数多くみてきた。しかし「建築を勉強したからといって、なんで建築の分野に就職するのかなぁー?」、という疑問をもった学生は少なかった。実は、そういう疑問をもてる柔らかい頭がプロデューサーの資質の一つ。つまりみんなが流れてゆく様相を眺めつつ、「ホントにこっちでいいのかいなぁー、もっと面白い方向があるんじゃないかなぁー」という問いをたてられることがポイントなのです。

 どんな場合や状況においても、問いをたてられる、あるいはみんながこうだといっている自明の方向を疑ってみる、それが柔らかい頭の発端。もしそうした気づきがなかったらダサい方法だけど全てを疑ってみる。実をいうと科学技術の研究は、そこから始まるんですね(笑)。

 

沖縄県石垣市大崎ハナゴイリース

OLUMPUS E-M1 Mark2,M.ZUIKO DG FISHEYE8mm/F1.8

ISO400,露出補正-1,f/4,1/1250

 

 

 

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PEN LIFE1498. 地球環境のホンの一部分

2017年11月07日 | diving

 私のアトリエに差し込む日差しが弱々しくなってきた。物音一つしない静かな時間が過ぎてゆくのは心地よいのだが、こちらは先月に沖縄で夏を謳歌していたのだから、紅葉が色づき始めるともう冬の気配が濃厚で戸惑う。

 今年の京都は2週間紅葉が早く、台風で葉が随分落ちたので色づきがよくないというのが巷の話だ。そんな紅葉も今週末が見頃。ツアーで12月初旬の観光を予定していたら紅葉は終わっている。それは自然相手ですからしょうがないので、まあ京都の食材でも堪能していってよ。

 さて午前中は、撮影機材をもって宮川町から南下し七条のマッサージにかかるという日課に久しぶりに戻った。歩くことが足腰の鍛錬にもなり普段の体調にもどりつつある。といって七条に行く散歩コースは、あらゆる道や路地を歩き尽くしたので、いささかマンネリ気味であるのだが、机上のEOS1Ds mark3+16-35mm/F2.8レンズをかついでゆく。散歩用としては大げさだ。

 というのも、かってEOSはフィールド機材として用意した。1週間は電気のないフィールドに滞在することもあるだろうから選択肢はこれしかないと考えていた。今でもそんな長きにわたって無充電で使える機材はEOS1シリーズとNikonD5ぐらいである。電気がなければ、スマホやコンパクトデジタル機材などは、2日もあれば容易にバッテリー切れになる。

 だから撮影機材談義など私には意味がない。どんなに細かい仕様が優れていても電気がなければ使うことはできないからだ。要は無充電で何日持つかが撮影機材の評価だ。それ以外は、丈夫であるとか雨に強いといった性能ぐらいだろう。私のEOSは一世代前だから発色が今ひとつのようにも思われるが、photoshopで修正ししても画像はほとんど変わらない。まあこの機材の性能でええのか。

 電気がないぐらいならまだよい方だ。ダイビングなら酸素も必要になる。そんなことをつらつら考えていると人間が活動できる範囲なんて地球環境のホンの一部分だということを痛感する。

 

沖縄県慶良間諸島紺瀬

OKUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FiSHEYE8mm/F1.8

ISO400,露出補正0,f/8,1/125

 

 

 

 

 

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Practice2. 蛸錦プロジェクト・建て方終わる

2017年11月06日 | Design&3DCG

 昨日は、1日京都の街歩きだった。たまには日干しでもと思いEOS1Ds mark3に16-35mmのレンズを付け、一乗寺のあたりから垣間見える紅葉のはじまりを横目に見て、白川疎水沿いを丸太町まで歩いた。途中でえらく古い共同住宅に遭遇したり、古本屋に立ち寄ったり、喫茶店のはしごであった。近年の傾向だが、使い古したデスクやまちまちの椅子といった具合に古民家のリニューアル喫茶店が多くなった。

 というのも最近デスクワークばかりだったために、足が階段を転げ落ちるように弱くなってゆくことを身をもって感じた。そこで1日歩いてみようという健康目的だった。そのためか夕食後ソファーで無意識のうちに15分ほど仮眠してしまったのが心地よかった。それはウォーキングの望ましい効果だろう。

 そのデスクワークは、蛸錦プロジェクトと呼んでいる3DCGにかかりきりだった。延床面積で40,000㎡は超える建築の1/10,000の3DCGだが、目下ようやく建て方が終わり建築のボリュームが見えてきたところだが、よくみると調整箇所が随分とある。これから地道にそれらを調整した上で、中庭の部分をつくらなければならない。これがまたまた難関。まだしばらくは、時間がかかるので明日からは健康的なダイビングの画像に戻ろう。

 今日は、疲れ果てたのでここまでとします。

 

ハードウェアMac pro,ソフトウェアVue Infinite2016R

 

 
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Practice1. 蛸錦プロジェクト

2017年11月05日 | Design&3DCG

 私は勉強という概念や漢字が嫌いだ。

 小学館日本国語大辞典で勉強をひくと『①努力をして困難に立ち向かうこと。また、そのさま。②気がすすまないことを、しかたなしにすること。③将来のために学問や技術などを学ぶこと④商品を安く売ること』とあり、努力もしたくないし、困難があるわけでもなし、気がすすまないわけでもないし、将来をみすえたわけでもない。それに日常私たちは何事につけ知見を吸収しているのだから、いまさら勉強という言葉を使う必要もない。ただし最後の安売りは、つまり知識の安売りだけはあたっているが・・・。

 それに月下の元小机をだして勉強するなんていう漢詩のイメージを思い浮かべると、そんなことをした故人達は大変多かっただろうけど、そのなかで歴史に名をのこしたのは僅かな人だけでしょう。そんな僅かな人が学問云々と蘊蓄を説いても特殊解だから説得力がないですよね。歴史は運良く著名人になれた人たちだけのヒ・ストーリーだし、その全てが大仮説なんだから、私が参照すべき世界ではない。だから勉強という概念や文字が、そんなパラダイムをイメージさせるので嫌いなのだ。

 そこでここでは"Practices"とした。つまりデザインの練習という意味だ。実際のプロジェクトをブログにアップさせるわけにもゆかないから仮想のプロジェクトでもというわけだ。このプロジェクトに名称をつけるとすれば、「蛸錦(たこにしき)プロジェクト」としておこうか。

 目下ある都市の市街地ボリュームの3DCGをMac上につくっておいた。これをつくるのが目的ではなく、中央のあいた(実際にあいているのではなく私が建築をのけた)敷地に新たにどんなデザインの建築をつくろうかという仮想のスタディ。実学的にいえば都市再開発になる。今は地球上のGISデータもWEBでダウンロートできるので地球上の土地を相手にできるから休日の時間つぶしには調度よい。そこまで緻密にゆかなくても都市ぐらいだったらGoogle mapで世界の都市の建築ボリュームが起こせる。そして我がデザインで空地に建築をはめ込もうという意図で準備したものだ。

 この画像は、縮尺1/1000でCGを制作しており模型に換算すると街区の縦横寸法が36cm程度、そして中央の空地に予定している建築の寸法が12cm程度となり実社会でも使わない小ささであり、手のひらにのせられる大規模再開発の模型なんてかわゆいので一寸つくってみたいですが超精密工作機械が必要だろう。今回はCGなのであまりスケールにこだわることもないが意図通りつくれるのだろうか。結構難しそうだ。

 私がデザインするのだから法規や構造や設備などは検討済み。実際これで都市再開発をしてもらってもよいですが、そういうことはお好きに!。

 そんなデザインの練習をしているとあっというまに1週間たつ。怖いのは制作に没頭していて、その間に入れてある予定を全部踏み倒してしまうこと。そうならないためにも、ボチボチつくりながらアップさせてゆこうと思う。もちろん途中で飽きたので放棄するというケースもある。いずれボチボチと制作記など紹介できれるところまでこれれば幸いだが・・・。

 

ハードウェアMac pro,ソフトウェアVue Infinete2016R

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PEN LIFE1497. 性転換

2017年11月04日 | diving

 ダイビングの通りすがりに撮り納めた魚。ゴジラのような珍奇な背びれだ。調べたら胴体の模様などからサラサゴンベと判断した。

 WEBの解説に寄れば、サラサゴンベは雌から雄へ、雄から雌へと性転換する。これは、群れの一方の性が多くなりすぎた場合、性転換して新しい群れを形成したり、群れの中の支配的な雄が、より強力な雄にその座を奪われたときに、これまで支配的だった雄は雌へと性転換したりするそうだ。

 なるほどそういう手できたか。人間の世界でも性転換はあるが、性転換して新しい群れを築いたり、新しいボスにその座を追われたら、性転換してそのボスを口説きしかえしをするとか・・・。例えば不倫疑惑で騒がれたタレントや議員がいたけど、仮に彼ら彼女らが性転換して居直ったらメディアはどのように伝えるのだろうか。選挙前は雌で選挙後は雄でといった具合に・・・。男女雇用機会均等法などは存在理由がなくなるのか。

 雄、雌という属性を変えてしまえば全てがリセットされるということは、WinがMacに変わるようなものか。いやそれ以上か・・・。それにしても人間は固有の属性に縛られていることだらけだ。人間の関心や新聞の評論なども属性が動かないという前提で論じられているわけだが、その前提とする属性が変わるというのは、知的居直り強盗のようでもあり面白い現象だ。実は自然界では、属性がころころと変わるということは、よくある話。だから属性をコロコロと変異させる構造(メカニズム)、あるいは環境という各要素間の関係性に関心が行くわけだが。

 さて・・・、何を書こうとしたか忘れてしまった。

 

沖縄県慶良間諸島久場島

OLYMPUS E-M1,FISHIEYE8mm/F1.8

ISO200,露出補正-1.3,f/2,1/400

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PEN LIFE1496. 研修と試験

2017年11月03日 | diving

 昨日は管理建築士の講習会だった。建築の構造計算偽装問題が社会問題となり、当然国会でも議題になり、これ以降建築関係の法制度が大いに再整備され、3度に渡る法改正が行われ、その結果従来は一級建築士を取得したら生涯資格だったのが、実務で使うのには3年ごとの研修と試験が義務づけられた。こちらは30年以上前の知識しかないので、全てが新しいことだらけ。浦島太郎の気分だぜ。

 朝9時に研修会場へ行くと200頁は超える分厚いテキストをわたされ、とても文章を読む時間などなく斜め読みでアンダーラインを引いて次々と進み午後4時にはテキスト200頁越えの講義が終了。そのあと試験を受けて開放される。分厚いテキストを1日で理解し試験というのはなんともハードスケジュールだが、まあダラダラとされるよりはましか。これって尋常のペースではないだろう。

 そのあと水泳教室でリフレッシュして1日が終わった。なんともまあ充実の1日ではあった。それは疲れたという気分を通り越しなぜか体が重たい。唯一お昼は進々堂のサンドイッチで少し充実だったけど。

 さて画像は、アカククリ。クリーニングをしているときは胴体が黒くなるんだってさ。魚眼レンズなもんでグイっと寄ったら、アカククリに警戒されて黒い色が消えてしまったよ。ゴメンな、個体差かと勘違いしていたんだ、まあ撮ったもん勝ちだけど。さて今日はもうブログを書く元気はないな。

 

沖縄県石垣市大崎アカククリの根

OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8 mm/F1.8

ISO400,露出補正-1,f/8,1/125

 

 

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PEN LIFE1495.  ジョーフィッシュ

2017年11月02日 | diving

 

  インストラクターの先生が「ジョーフィッシュ見たことある?」

「もちろんないですぅー!」

・・・と海底を徘徊している。ほどなくスケールポインターを置いて戻ってきた。その先に魚がいるらしい。まあこちらは魚眼レンズだからね撮れないよ。まあ、とりあえず撮っておこう。

「はい!!、みた次へ行こう」。

本当はみたという認識がないけど・・・。

後日撮影画像を拡大したら、オオッ!、ちゃんとジョーフィッシュが写っているではないですか。近寄るとすぐ穴の中に引っ込むので遠目にしかみられないようだ。和名はカエルアマダイ、WEBで検索すると雄が口の中で卵を孵化させる画像があった。カエルのように愛嬌があり色も多彩で大変小さな魚であり撮影マニアが結構いるようだ。

 昨日の京都は雲一つない秋の空に戻る。朝晩は冷え込んでいるが、雨が続くよりはよいか。秋は寂しくて嫌いな季節なんですよ。それにダイビングも海上は北風が吹くかもしれない。冬が早いとなると11月中旬でも遅いかなと方向違いの懸念をしている。

 

沖縄県慶良間諸島ドラゴンレディ

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8 mm/F1.8

 ISO200,露出補正-0.3,f/3.5,1/1000

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PEN LIFE1494. 専門知識は誰のもの?

2017年11月01日 | diving

 いまは刊行されていないが19681972年代にアメリカで、"While Earth Catalog"という本が刊行されていた。私の手元にあるのは、その後断続的に出版された続編。内容はすべて、Do it yoursilfを基本的考え方とし、そのために必要な知の情報にアクセスするためのカタログです。この本には生活の全てを自分で行える実践的なノウハウ本が解説付きで紹介されている。その大分類をみると生活、健康、遊牧民、コミュニケーション、学習、5つの方法といった具合に生活に即して体系化されている。例えば自分で住まいをつくる方法、自分でバイクをつくる方法、泳ぎ方、赤ちゃんの非常時の対処の仕方、人命救助の方法、あるいは自分で出産する方法から死をみとる方法(ホスピスという言葉はここからきたのか)などをはじめ、人間として生活するための情報にアクセスするためカタログです。

  そうした集められたノウハウ本がどの程度の水準かというと、例えばここで紹介されている本をあげると、ドナルド・アプリヤードの"Livable Street"は、大学院時代のテキストだったし、クリストファー・アレギザンダー"A Pattern Language"は都市デザインの仕事をしていたときのバイブルの1つだった。つまり専門書であり、そのための入り口を示したのがWhile Earth Catalogです

 日本人の悪しき気質として、「それは専門の領域だから専門家に任せて、我々は専門領域には踏み込まないでおこう」そんな腰が引けた気質があるのではないですか。特にマスメディアは、専門的なことになると専門家を登場させて逃げてしまう。怖い人がきたからあんた対応してよ!、といって逃げてしまう、それと一緒。

 新聞なんか特にそうなのだけど、専門家の発言を多数掲載して何の疑問も感じないのだろうか。それでいて社会問題など発言しやすいものには論述の基本である定量的な数値データを無視して発言するという荒唐無稽な姿勢が、私を新聞嫌いにさせてくれる。

 それでは問いますけど、専門知識は誰のためのものですか?

 答えは、専門知識は地球上の人々のためのものです。より賢く活きるために、あるいは子供の様子がおかしい、あるいは国を追われ悩んでいる人たちのために、どうしたらよいのか、そうしたことに専門知識が必要なのです。

 そうした人々が勉強するために、専門家が到達した知識を本にあわしているいるのです。私も大学を去るときに、それまでの知見を本にしました。いや本にしておこうという義務感みたいなものがあったと思います。

 だから専門知識の入り口に到達できるカタログが必要なのです。それがWhile Earth Catalogでした。この本はすでにありませんが、もし今の社会でこの本の役割を果たそうとすれば、さしあたり新聞ではないですか。たんに専門家に図書の書評をかかせればよいというのではありません。それでは前述した怖い人がやってきた、という話と一緒です。この地球の情報を体系化し、そのなかで必要とされる専門書を記者自らが紹介できることが本来のメディアの能力でしょう。

 日本人は勘違いしている人も多いですが、専門知識は専門家のものではありません。専門家が専門知識を勉強したってしょうがないわけですから。専門知識は地球上の全ての人々のためにある。そのことを理解しているのがアメリカ。だからこのような専門知識への案内書が毎年刊行されてきたわけです。日本人は腰が引けていますから、専門家に近寄らんとこう、でしょ。それじゃ無知な国民が増えるばかりではないですか。

 最近の映画「ドリーム」のなかで、NASAで働く黒人女性が、お金がないから図書館で「Fortran」というコンピュータ言語の本を盗んで勉強し、やがてNASAに初めて導入されたIBMコンピュータのオペレーション・スペシャリストになったという話が登場します。専門知識を活かした逸話ですね。映画では、専門知識は知っているだけではなく、人々が活かすことが大切ということを教えてくれています。


沖縄県慶良間諸島久場島紺瀬

OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8MM/F1.8

ISO200,露出補正-1,f/3.5,1/1000

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