組織化された知

困難に直面し、何故人は立ち往生しているか?
(知の所有者は本来、個であるはずなのだが)
多くの人は「組織化された知」に頭が占められているからではないかと考えた。人工的知とか社会的知と言ってもいい。




 知と言うのかどうかは別にして人は誰でも、もともと自然の(法)を身に着けているはずだし、先祖や親からもらった智恵も持ち合わせているはずである。しかし、現代社会では専門知識のような「組織化された知」がものを言い、それが人の「知」だと自他共に思われてはいないか。?しかし「組織化された知」は過去を束ねた知であり、目の前の現状が求めている「知」とは違う。求められてる知は新たに生み出され組織化(社会化)されなければ役に立たない。
 過去の組織化された知を持ってるがゆえに、自然の法や智恵が働かず行き詰まっているのではないかと考えた。
 地球の温暖化が地球や人類の存否をも脅かしかねないと言われるが、温暖化の因果も対応も難しいはずはない。何故なら、地球を掘り返し燃やすのを止め、自分達の食べるのを自分達で育てて食べればいい、それだけのことである。
 人間の業とか欲といってしまえばそれまでだが、子供達が危ないことを考えると、親からもらったちょとした「理」の程度ではないか。そんなに難しいものではない。
 今日で、結婚44年、映画を見に行く電車の中で、女房はうたた寝、俺は一人そんなことを考えているんだ。 ‥‥情けなしや‥トホホ???

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枠内の変化

米大統領選の指名争いに代表されるように、世界の政治に変化の風がふている。
 一見、現政権からより変化を求めているかのようだ。
 政権交代や大連合の模索は日米に限ったことではない。ところが、どこも表面的な物言いの違いは大きいが、言うほど基本的な認識や対策は違わない。
 今や「最大の世界的な政治課題」とも言われる、地球の温暖化や国際紛争も世論をひきつけ政治的基盤を強める政治力学上の優位性を求める以外に、ブッシュとオバマ氏 の間にどれだけの違いがあるだろうか?
 温暖化問題も両者が世界的にイニシャチブを握ろうとするやり方の違いの他は、排出量などにこだわり、基本的な原因や対策から目をそらし、違いは見出しにくい。
 日本も政権交代とか大連合とか政局の問題ばかりで、温暖化の問題も先進国の中でも日本の事情は特異なところがあるのに、どの与野党とも、相変わらず、代替エネルギーや省エネ、エネルギー市場・エネルギー税のいきを出ない。
 地球温暖化は、単に炭酸ガスの排出量の問題と繋げるから、温暖化を止める=炭酸ガスの規制 → 数値目標→排出税→炭酸ガスの外国との譲渡権→   代替エネルギー→原子力
と言うことになる。

 今の温暖化の論議は本質から目をそらし、言い訳して逃げ回っているようなもの。
  それなら、タングステンなどの金属、水や食糧はどうしようと言うのだろう?
  地球を掘って焼き尽くすと言う文化の上に立っている産業があちこちで行き詰まるのは分りきってること。
 こんな事をしていては温暖化ばかりでなく資源の枯渇始め、水や食糧など、1日とて放っておけない物に次々迫られる。
 結局人間が自分達が食いつなぐには基本的に、自分達が育てたものを食する他に方法があるはずがない。
 本来の産業基盤を強固なものにするために他の産業が支える。そのような図式になるはず。
 これで始めて開発や成長路線は意味を持つ。
 現在の開発や成長は、共食いしているようなもので、農家の田分け者が先祖伝来の田地田畑を切り売りして当場を凌いで自滅するのに等しい。
 日本はすでに、切り売りするものがあまり残っていないことに、かつて経験したことがない困難さがある。
 しかし、どんな困難な中にあっても、初心にかえり、産業は基本に戻す他ない。
 ささやかではあるが、その試みがないでもないらしい。
 だが、ほとんどその声が聞こえない。
 ジャーナリズムやマスメディアほか政治・経済・学問・宗教・文化芸術そして井戸端会議どこでもいい、本来の産業構造に戻すべく、声が多く大きく、聞こえるようになるといいのだが。

現在の日本や世界の状況は過去に経験がない枠の外にある。枠から出ないと解決するはずがない。

昨日テレビ朝日で4時間温暖化問題を取り上げたが、最後の最後まで「産業のあり方」は入り口ぐらいまでは来るが、すぐ話はそれていく。入り口の先は関係ないのかそれとも、見えないのか?

と思うj。

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