つくずく思う

囲碁の知り合いで、もと建築関係の大学教授をしていた人がいる。
 1局終わった後、【地球の温暖化はどうですか】と尋ねると、すかさず【科学者が言い出したときはもう遅い。】続いて【温暖化だけの問題ではない。】とこともなげに言い、【我々の(世代)責任だね】と伏目がちに言った。
 先日の世界同時株安後の、首相や関係大臣の記者会見の言葉を聞くにつけても、世の中は、偉そうに見える立場の人が沢山いて、今まで、「自分には思いも及ばないところで、考え対策も考えられている。」と暗に頼っていた。

 上記の温暖化や経済の崩れを前にした、リーダー的立場の人の言動を見ていると、【人の知恵】は、大人と子供の関係同様、見かけや立場とは全く関係なく基本的に対等なのだと、つくずく思う。
 私は、権威や立場で判断する悪い癖がべったり自分の体に染み付いていることを、いまさらながら思い知った。
 
  でも、その事に気が付くと、何だかとても気が楽になった。
  権威者に対しても、古い友人との付き合いのように、権威以外の特別の理由も無く、プラスア・ルファの余計なな価値を勝手に付加しないように自戒しよう。
 当たり前のことだが、人は見たまま、ありのままで、それ以上でも以下でもない。
 教師時代、子供達に、年から年中、そういうものだと教えてきたのに。
 私は、今から【在りのまま】を勉強しなおそう。
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【同時株安は日本の問題ではない】

 小見出しは1月22日の世界同時株暴落後の、首相の記者会見で述べた言葉。【日本の経済の基調はしっかりしてる】とも述べている。
ちなみに、
大田金融担当大臣は、【今のところ、政府として対策は考えてい                         ない】     
額賀財務大臣は         【静観する】
   
  この世界や日本の経済の混乱下、「バタバタすべきではな               い。」  
と私も思う。
    しかし、意味が全く違う。
    ここではコメントはしないが、日本の政治の実態を表す(記念          すべき?)言葉として残しておきたい。 →    

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温暖化対策

温暖化対策で福田首相は、低炭素社会の実現を呼びかけ、サミットでは、日本の技術力を以って世界の指導的役割を果たしたいと表明した。是非、そうあってほしい。

 ただ日本が考えてる仕組みや構想で地球を救えるか?とも思う。環境や経済の壁を前にして、壁の内側、我々がいる所からの発想と対策のようだ。壁をはさんだ上から、壁のこちら側と向こうがを俯瞰して考えられないものか思う。
 みんな一緒に進むのはいい、しかし温暖化はこちらの都合で進行しない。我々の都合でどうにかなるものなら、とっくの昔に対策はは講じられ、問題は発生していないはずである。
 
  要するに、人為によって地球が異変を起こしているのだから、地球の立場で人間がどうしなければならないかを発想しない限り、解決しない。例えば削減目標を設定する場合、根拠を我々の都合を優先するか、地球の都合?を優先するか、それによって結果は異なる。
 言うまでも無く、温暖化の場合、地球の都合に人間が合わせない限り、解決するはずは無い。
 日本だけでなく全体的に発想の転換が出来ていないように私には見える。
 「低炭素社会」と炭素に限定する発想そのものが、いかにも人間の都合ではないか。地球は炭素だけで悲鳴を上げているのではない。

 同じようなことが世界や日本経済の混乱や崩れにも言える。経済もまた壁の内側からみた話になっている。

 何故今日のようになったのか?地球と世界と日本を俯瞰して見るといい。限界のある地球を掘り起こし燃やして富を得る経済が行き詰まるのは当然なこと。
 財政投資したり金融緩和は人間の都合を優先した手段で、人間の都合だけで経済は成り立っていない。が成り立たっていない。

  ここで、株が上がるか下がるかするだろうが、どちらにしても          「付け」を先送りする事にしかならない。   
   
     子供達や地球のための1票は
                         どこへ投票したら良いのか? 
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