国の安全保障


安全保障と言えば
日本では、外国が攻めてきたときの備え、いわゆる防衛の軍備を意味する。
 アメリカでは、加えて、新インフルエンザ対策などの防疫やエネルギー対策なども安全保障に加えていると言う話も聞いた。
 
 敷衍して考えると、自然災害や地球環境の異変、防災、食、水、廃棄物など、浮上してくる。脅威の科学的根拠や、必然性、度合い、被害の規模などを考えると、人の安全は相対的なことが分る。
 こう考えると、日本の安全保障の考え方や対策は憲法9条の如何を問わず狭く、不十分すぎると思う。
 要するに総合的な安全保障や危機管理の対策が考えられていない。
 
 軍拡競争が示すように、世界の安全保障の考え方も、総合的とはいえない。
 時節柄、予算配分でで考えると、人や国の安全保障のメニューーを並べ、お金をどう配分するかを考えなければならない。鳥インフルエンザ流行の可能性や被害の規模が戦争より小さいとは簡単には言えない。メニューの中身は現実的で具体的な分析し優先順位と脅威の規模で配分する。状況は変化し固定しない。

 今日の安全保障の人為的脅威と、自然的脅威を比較すると、後者の割合が次第に大きくなってきているように見える。理屈的にも人為は人の意思で何とかなるが、自然はそれが効かない。

 日本の9条をめぐる改憲や護憲の主張は総合的な安全保障を考えると見ているところが狭く現実的ではない。以前から、この辺の事で何か言いたかったが、言葉にならなかった。

 これを書きながら、妻に聞いてもらったら、「皆が抜け落ちていたところだね」とまんざらお世辞でもないように言った。(こんな当たり前のことを、今までどうして誰も気が付かなかったのだろう?)と私は調子に乗って「これは、ノーベル平和賞だ。」と言ったら、「もらえるかもしれないね」と、顔色一つ変えず、パソコンを打ち続けている。老眼鏡の夫婦は何となくそんな関係だ。
 
   すずめに何かあったのか、朝から餌に寄って来ない。

 

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なぜ国の借金に無頓着か?

予算審議を見ていると、自己破産するような国の借金を抱えた為政者は、お金の使い方ばかり話し合い、借金を返す素振りさえ見せない。 考えて見ると、国債を発行し、国の借金を決めたのは為政者だが、総理大臣始め、為政者は次々代わるのだから、返す責任者ではない。だからと言って国民が借金返済の責任者の自覚があるようにも思えない。あんな膨大な借金をこしらえ、だれも返済の責任者の自覚が無い。「借りたものは返す。」は子供以外守られていない。 ※国の借金は国民が借りたことになるから、いずれ、税やほかの方法で国民の資産  を返済に充てるほかない。さもなくば、不渡り手形というか、戦後やったような形でチャラにするほか無い。 どちらにしても大人は、無責任なことをしている。
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