「人の言葉に間違いはない。」

「人の言葉に間違いはない。」この話は学生時代、聞いた話しの断片である。 
 だれのどんな言葉や話も、その人の言いたい事を、言ってるのだから間違いではなく、単に一般的な言葉遣いでないだけ、と言う。
 そんな理屈はその時初めて聞いたから驚いたが、暫くして納得し、感動したもんだ。その後、時々その言葉を思い出し、他人の話をそう受け止められたら良いなと思うが、実際の場面では、そうはいかない。
 やっぱり自分の価値観や是と思う言葉遣いが優先され、それに合わないと良い顔をしなかったり、否定してしまう。殆ど癖になっている。
 物事を俯瞰して見るといいとか、現憲法の憲法力はは他者の立場で考えられる力の事と、せっかく思いついても、実際に実行するのは、本当に難しいものだ。多分、一生をかけた修行のようなものになるのだろう。
 明日、教育懇談会がある。言葉の上では自分の意向に反した話も沢山出てくる。その時こそ、お互いの学びのチャンスに違いない。異なるときは、さらに言いたいところを尋ねることにしよう。
 言葉は、ある意味で、白米ともみの関係かもしれない。上っ面は異なるが中身は同じ、またどちらがふさわしいかは使い道によって違う。どっちがどっちの立場かは、お互いに殻を剥がす作業を一緒にやらないと分らない
 きっとそういうものなんだ。 
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自分が日本の顔だったら。

世界が教室で、200余の国々が子供で、その中に日本と言う名前の自分がいるとしたら。

  1、クラスの皆に嫌われないように、身の丈にあった行動をし、 良い振りこきはしない。

  2、1番強いA君の言うことを聞くような振りをするが、家来には               ならない。

  3、学校では、そこそこ勉強をするが、全体として 自分の        やりたい遊びは、どんなことをしても貫く。

  4、いつも 好きなKさんを意識して、その子に好かれるように動く。

      この動き方は、自分の小学校5年生の頃を思い出して書いた。

   国に顔があるとしたら、今の日本の顔より、子供のころの日本君の顔の方が今でも好きだ。

何故なら、思い出した日本君の顔は、今の日本の顔とは反対でカッコウいい。今の日本に尋ねたい。「何故そんな顔をするの?‥‥ 」 と。
(今の日本君の顔は昔の学級では、表向きはよくても、陰口をたたかれ、最も嫌われ、友達が出来ないタイプの顔だ。)

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