カラダで考えられた時代

昨日に続くが、私自身が良い時代だったのは、戦後10年ぐらい(昭和30年)までかなと思う。思い出してみると、食べるのがやっとだった日本が、焼け野原の跡に、にょきにょきビルが建ち、ネオンが光りだし、東京へ東京へと人が動き出した頃から、世の中がおかしくなり始めた。昭和35年、北海道を離れ大学へ行ってすぐノイローゼになり、カラダ(身体感覚)を喪失させた。それ以来カラダに拘り、やっとのことでカラダを取り戻すことができたと、感じられるようになった。やっと自分のカラダを取り戻して、周りを見ると、まわりの人たち、特に子供達のその感覚が希薄化しているようで気になる。

勿論、大人たちにカラダを育てる時間も空間も奪われたのだから子供のせいではない。

 

昔は、「国敗れて山河あり、時、春にして草木深し。」だった。

今は、「国(経済)勝っても山河なし、時、春にしてどどじょっこ   

     もフナっこも出てこない。」になってしまった。
                            シマッタ!

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