月よりの使者⑨

ヒトビトが「お金、お金」と言うから、今度はサーとニューヨークへ飛ぶことにする。(しかしここで休憩し,午後は天体の勉強がてら、碁会所へ行ってくる。フー。)

天体の勉強を終えて、ニューヨークへ行く前に、この町で見ておきたいことを思いついた。

この町の自然と子供は一応見たが大人のヒトも見てあの目の奥の秘密に一応の結論を得ておきたいと考えた。

この町には電気や自動車の日本でも代表的な大会社がある。一方丘陵地始めあちこちに住宅地が展開する。

朝夕大会社の門を群れして通る会社員の顔が何故か無表情。

会社の仕事は社会のために自分が為す誇りある行いだ。

行き帰りは意欲と満足の顔があって良いはずだ。人々の群れの中にそれを見出すのは難しい。何故だろう?

会社の幹部に経営のポイントを聞くとどこも【成果主義】だという。なるほど目に見える利益を一定期間に能率的にやりこなすのだから当然かもしれない。でもおかしい。月ではみんなもっと良い顔をして働いている。おしゃべりも笑い声も聞こえる。

月では仕事に余裕や遊びがあったほうが合理的だと考えられている。何故なら、今日の成果や結果より、未来への財産をつくる

のが仕事だと考えているので、未来のことを考えるには夢のある想像力が必要だと誰でも思っているしそれが普通になっている。ここでも「普通」が違う。それにしても驚いたのはあの学校の先生も成果主義だそうだ。未来を担う子供達を未来を描くことなく、成果を求めると言う。子供は未来に生きるのに未来が与えられていない。先生達の顔を見ていると、会社の門を通る無表情な人の群れを思い出す。

庭付きの高級住宅地へ行って見た。ここでは旦那が会社へ行った後の主婦の様子がどうかを探査して見たいと思った。

2人はすずめになって電線に止まり窓越しに中を覗いた。

すると昼ごはんの時間になるのに意外や意外、主婦が家にそれほどいない。仕事に行ったり習い事で出かけたり中には趣味のパチンコへ出かける人もいる。

それでも家にいる主婦を覗いてみると、せっせと掃除や仕事に励む姿もあるが中にはテレビやパソコンやゲーム、携帯に夢中になっている主婦もいる。その目はパソコン室の子どもの目とどこか似ている。買い物に出かける主婦の顔は会社の門をくぐる無表情な人の群れに似てもいる。

コリャどうしたことか?

あの目の奥の秘密。

月も地球も同じだが、生き物は一人では存在できない。

他と繋がって存在する。自然の一個体としての人は他の自然物と繋がって存在する。それが自然界の自然であろうと人の心の自然であろうと自分の自然は他の自然を求める。

時間的・空間的・精神的《心》に自然が与えられなく繋がれなくても人はひたすら何かに繋がりを求める。

自然との繋がりが得られないとき人はテレビでもゲームでも何でも【繋がり】を必死に求める。

求めているが得られず代替の他と繋がろうとする、その目ではないだろうか。

目の奥に潜むものが分った気がしたのでいよいニューヨークへ行き世界的なお金社会の構造を見てきたい。

だがその前にせっかく日本へ来たのだから今日から京都見物をしてこよう。京都へは地球でたまたま知り合ったある年相応の女性と地球人なのか月よりの使者なのか分らない若者2人に会ってくる。仮住まいのこの家にはやっぱり地球人なのか月よりの使者なのか分らない若い女の子をひとり残して行く。
 
  そんなわけで月よりの使者は3日間の休暇に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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月よりの使者⑧

我に返って、あのオーラのような甲羅のことを思い浮かべべていると、急に思い立った。翌日早々に、中学校へ行った。時間ごとに教科の先生が変わる。教科担任制と言うらしい。次に高校へも飛んでいった。やっぱり教科担任制である。大学へも飛んでいった。やっぱい同じだ。それぞれ「専門」と称して、他の専門には立ち入らない、どうも礼儀のようでもある。そもそも高校から文系と理系がコース化され学習する強化も分けられる。自然科学と社会科学は専門以前に分けられる。端的に言えば自然科学者は社会科学の勉強をしていない。社会科学者もその逆で自然科学を勉強していない。だから、ある意味で専門家がリードしている世界で、総合的に存在する人間や子供、地球や社会を研究している専門家はいない。地球の3つの危機を研究し勉強している専門家はいない。自然科学と社会科学を合わせて勉強した【専門家】はいない。子供と付き合う先生達を指導する大学の先生達に子供と付き合った【専門家】はいない。まして文科省の役人や政府の大臣は仮に行政や政治の【専門家】だとしても子供の専門家ではない。そこが分っていない。

原理的に先生は子供との付き合い方も子供そのものも教育されていない。子供のことをを教えてくれるのは子ども自身だし子供のいる学校や家庭などの子供のいる現場だがそこは社会的地位は低く、専門家などの上意にはかなわない。考えて見ると子供だけでなく、食料にしろ、暮らしにしろ、病気にしろ、気候にしろ、そこから研究が始まるのではなく、分けられた≪専門分野≫からそれを覗く。あの亀と同じだ。大きな社会的な縛りの中から、対象を覗く。だからか、東大とか何とか言う専門家が具体的現象に対処できるはずがない。人一倍でっかく厚い甲羅を背負って歩いているのだから。多分これは地球どこも同じだろう。分業で能率を上げる手法や制度の行き着くところだろう。地球の3つの危機は(上滑りの)メディアや政治が言うほど、体制自身が整っていないだろう。と月よりの使者は思い、一息ついた。ハー。

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