現代における気を研究する大切さ

気は西洋哲学や医学には登場しないかもしれないが 在るものは在る と考えている。

 「気の移動や変化を科学する」 病んだ現代社会や個人は必要だろう と思う。

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宗教者の傲慢さ

宗教者や信者は普遍性への憧れを持つが 自然に対してはどうだろう?

 神や仏を仰ぎながら 自然から反れては 御心に適っていると言えるだろうか。

  人の作った観念を最高と仰ぐなら 自然との関係では傲慢ではないか。

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人は顔

 

 安倍さんは「しっかり」と言えば言うほどしっかりして見えない 恰好は付けるけど「しっかり」は見えない。

 ジョンソンさんやトランプさんもそうだが どこか浮わついて見える。習さんやプーチンさんも浮ついた感じではないが どこか足りなく抜けている。

  世界の指導者が問題の本質に向き合わずにいるのだから そんな顔になる。

やっぱ グレタさんや子供 特に乳児や幼児の顔が良い!   皆 正視している。

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見えてしまうものは仕方ない

「人と自然」から「自然と人」の関係に正せるかどうかの壁は想像以上に厚い。

 人も限りなく自然へ接近するが 己を自然とはしない。

  内外の政策や文化は その一線が越えられないでいるように(私には)どうしても見えてしまう。

   自分の感覚がおかしいのかもしれないが 見えてしまうから 仕方ない。

  

 

 

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 向き合わない 向き合えない

 

世界経済が変調をきたして4~50経つが 世界も日本も未だに 事態とまともに向き合っていないのではないか。向き合えないでいるのではないか。

  アメリカは他国にせびり 日本はアメリカにくっつきながら誤魔化す そんなイメージが浮かんでしまう。

 結局解決へとは向かわず 矛盾を深め損失を膨れ上がらせ子孫に残すことになりわしないか と危惧している。

 核兵器にしろ 社会保障や憲法にしろ 問題の本質ではない。

 

 

 

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