世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
人権を蹂躙していないか。
コマーシャルの多さに呆れてる。しかも無断で郵便ポストに入り土足で茶の間に侵入する。
幸福追求 健康で文化的な生活 公共の福祉 に反しないのだろうか?
憲法を変えたい人も変えたくない人も どう考えているんだろう?
毎日 朝から晩まで 見たくないものを一方的に急に見せられてはたまらない。
見どころの多い世の中
アメリカの予備選のことが細かく伝えられてい
世界の現状や今後にそれだけの意味を持つとは考え難い。
南極の氷解 オーストラリアの山火事後の水害の様子 アフリカや中南米の難民 パレスチナ難民
国内でも国民の各階層や子供の生活実態 などコロナ以外でも必要かつ重要な情報が沢山ある。
それらを省いて予備選を伝えるマスコミの全体的社会認識や社会事象のバランス感覚の悪さの方がニュースかな?と思うほどである。
いつまでもこんなことが続くとは思えない。 何故なら 結局はマスコミ自身が現状に取り残されるのだから。
マスコミも立ちどう立ち直りするのか 見どころの多い世の中である。
ウイルスのお蔭?
アメリカとタリバンが和平へ向けての交渉を開始すると言う。
世界各地の武力紛争がここに来て 下火になっているように感じていた。
そう願っているが もしかしたら コロナウイルスのお蔭か? とも思う。
生命や世界経済への影響が大ならば 紛争どころではないだろう。
危機はチャンス
事実を隠す権力や行政の無謬主義が覆う世界や日本が 新型コロナウイルス騒ぎで事実を隠しきれない状況は 今後の社会発展に 大きく寄与するだろうと期待している。
そんな采配やマスコミ報道を期待し注視している。雑音は論外。
個人の生命や経済的利益だけでなく社会機能に関わる事態にどう対応するかが問われてる。
今は必ずしもそこまでは行ってない。
高き山を仰ぎ見るが如し
人は幸せになることを希望しているのだから
新聞やテレビから勇気や元気を貰う量は 社会発展のバロメーターになるかもしれない。
ただ、コマーシャルをはじめとした新聞やテレビの情報の魅力は 少なくなっているとも言われてる。
ソーシャルメディアも基本的には変わらないだろう。
今は 心配や空騒ぎの記事が圧倒的に多く 本当に元気を貰う記事は少ないだけに 今後が楽しみである。 低きは高きを仰ぎ見られる。
高き山を仰ぎ見るが如し
人は幸せになることを希望しているのだから
新聞やテレビから勇気や元気を貰う量は 社会発展のバロメーターになるかもしれない。
ただ、コマーシャルをはじめとした新聞やテレビの情報の魅力は 少なくなっているとも言われてる。
ソーシャルメディアも基本的には変わらないだろう。
今は 心配や空騒ぎの記事が圧倒的に多く 本当に元気を貰う記事は少ないだけに 今後が楽しみである。 低きは高きを仰ぎ見られる。