【同時株安は日本の問題ではない】

 小見出しは1月22日の世界同時株暴落後の、首相の記者会見で述べた言葉。【日本の経済の基調はしっかりしてる】とも述べている。
ちなみに、
大田金融担当大臣は、【今のところ、政府として対策は考えてい                         ない】     
額賀財務大臣は         【静観する】
   
  この世界や日本の経済の混乱下、「バタバタすべきではな               い。」  
と私も思う。
    しかし、意味が全く違う。
    ここではコメントはしないが、日本の政治の実態を表す(記念          すべき?)言葉として残しておきたい。 →    

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

温暖化対策

温暖化対策で福田首相は、低炭素社会の実現を呼びかけ、サミットでは、日本の技術力を以って世界の指導的役割を果たしたいと表明した。是非、そうあってほしい。

 ただ日本が考えてる仕組みや構想で地球を救えるか?とも思う。環境や経済の壁を前にして、壁の内側、我々がいる所からの発想と対策のようだ。壁をはさんだ上から、壁のこちら側と向こうがを俯瞰して考えられないものか思う。
 みんな一緒に進むのはいい、しかし温暖化はこちらの都合で進行しない。我々の都合でどうにかなるものなら、とっくの昔に対策はは講じられ、問題は発生していないはずである。
 
  要するに、人為によって地球が異変を起こしているのだから、地球の立場で人間がどうしなければならないかを発想しない限り、解決しない。例えば削減目標を設定する場合、根拠を我々の都合を優先するか、地球の都合?を優先するか、それによって結果は異なる。
 言うまでも無く、温暖化の場合、地球の都合に人間が合わせない限り、解決するはずは無い。
 日本だけでなく全体的に発想の転換が出来ていないように私には見える。
 「低炭素社会」と炭素に限定する発想そのものが、いかにも人間の都合ではないか。地球は炭素だけで悲鳴を上げているのではない。

 同じようなことが世界や日本経済の混乱や崩れにも言える。経済もまた壁の内側からみた話になっている。

 何故今日のようになったのか?地球と世界と日本を俯瞰して見るといい。限界のある地球を掘り起こし燃やして富を得る経済が行き詰まるのは当然なこと。
 財政投資したり金融緩和は人間の都合を優先した手段で、人間の都合だけで経済は成り立っていない。が成り立たっていない。

  ここで、株が上がるか下がるかするだろうが、どちらにしても          「付け」を先送りする事にしかならない。   
   
     子供達や地球のための1票は
                         どこへ投票したら良いのか? 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

とうとう来たか。‥‥バタバタするな!

ブッシュ大統領が景気刺激策を発表した翌日以降、アジアを含む世界の株は暴落している。このことが何を意味してるかを、今まで目にした報道や国会論戦を見ている限り、誰も分っていないように思う。パニック状態といっても良いかもしれない。アメリカ発のスタグフレーションや日本の行き詰まりが近いことは、かなり前から予測し、このブログにも書いてきた。「いよいよ来たか。」が率直な実感。国会論戦を見ていると、与野党、質問す方も答える方も、今、我々が置かれている世界や日本の状況が全くと言って良いほど分っていない。(偉そうで恐縮だが、率直に他に言いようが無い)象徴的だったのは、お互いに、「言葉が踊ってる。」と言い合っている場面だった。ホワイトハウスは船の操縦不能に陥っている。その後についている日本丸の操縦が困難なことはある意味で仕方が無い。だからと言って、放っておくわけにも行かない。国会では与野党が、ガソリンだ、道路だと言ってるが、私はどちらも、間違っていると考えている。日本は財政再建国家のような赤字国である。どこにお金を使えるというのか?社会はあちこち壊れかけ、経済は体力を損ね、安全を脅かす物が、遠くにあるとはとても考えられない。こういう場合、家族ならどうするか?バタバタ慌てず、健康と安全第一で、凌ごうとするのではないか。次のお金儲けを狙い、借金してでもお金を使うだろうか?新しい事業を始めるだろうか?先ずは、今日に至った原因を考え、体制を整えるまで、同じ誤りは繰り返さないだろう。いくら大変だと言っても、当座を凌ぐぐらいのものはあるのだから、水道の水漏れ防止にも似た社会的な損失(リスク)に対し早くセーフテーネットを整備することではないか。安全を確認してから、反省に基づき、徐々に積み重ねればいい。国会では与野党とも、そんなことはお構いなく、分け前の分捕り合戦のように、行け行けドンドン、とやっている。(人柄は好きだが)福田首相も、現在の経済状況を理解出来ずに、発想は従来の枠から外れることが出来ないでいる。一方、財界や、メディアの中に、政府お無策を論ずる声があるが、災難時、バタバタ動くのは最悪で、安全確認に全力を尽くすべき。

 こんな時、地球環境で、世界に訴えた12歳のカナダの少女(セヴァン・スズキ)のような普通の常識を持った人の言葉に耳を傾けられたらこんなことにならなかったのにと思う。

 私が子供の頃、近所のおじさんやおばさんでも、小学校もろくに出ていない両親からも、政治家や話す前から何を言うか見当がつき、言ってることがコロコロ変わ、メディアに登場するタレント学者や有識者のような、バカなことを言うのを聞いたことが無い。

  地球環境の悪化にしろ,世界的な経済の崩れにしろ、

   結局は子供達に対して、本当に悪いことをしたもんだ。      

    いつの日か、強欲な人間の神話になるかもしれない。
      

   どうすればいいのだろう?

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

身体感覚の起点

自分が自分の体(身体)であると感じる感覚は、自分自身も変化する。恐らく、人や個人によって異なりそして、常に変化しているだろう。
 
 身体感覚は頭から足の裏まで一様ではなく、意識的には集中する点があり、そこを起点に他の身体感覚や外界の認識も広がる、と私は考えている。
 大学以来の自分に対する仮説実験的なテーマだった。50歳を過ぎて仮説は正しかったと確信した。
 禅寺へ行くと、壁に≪足の裏で考えろ。≫の張り紙が貼ってあったり、古来「真人、踵を以って思惟す。」の言葉もある。
 
学生時代、私は全くそういう状態ではなかったし、努力しても出来なかった。しかし、仮説として考え、自らも教育の場でも、実践してきた。結果、(50歳を過ぎていたと思うが)実践した両方で、仮説は正しかったと確信できた。自分自身は続けてきて本当に良かったと、思っている。
 
身体感覚の起点は、認識に関わって来るから、絵画や写真だけでなく、芝居やダンスなどの表現活動に留まらないだろうと思う。
 残った時間その辺を確認してみたい。誰かこのテーマに関心を持ってくれれば良いなの思いもある。
人の体や心に関わる教育や心理や創作活動の上でも、大きなテーマではないかと考えている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

宗教・政治・メディア

先日、スペインで国連の呼びけかと思うが、この世界のリーダーが集まって世界平和についてのオープンなフォーラムがあった。(財界代表がいないので?とも思ったが、政治が代弁するのかも知れない。)
 世界の平和に影響を与える3つの部門と言うことだろう。その場の3つの分野ににメディアが入っていたことが意外だった。
 しかし、すぐその通りだと思った。
 
私は以前(3M時代)としてこの世を動かすのはマネィー(お金)マイト(権力)メディア(情報媒体)と書いたことがある。
この3者が癒着関係で支配しているのだろうと思っていた。
 今回は、お金の換わりに宗教だった。意外だったが、なるほどと思った。
 宗教のはいろいろな意味で見えにくいが、全ての法律以前の「自然の法」として、信仰とは関係無く、全てに基本的に関わっいる。
よし!これからは3M1R時代としよう。(宗教R りりジョン)

  思いたくないが拝金主義でこの4者の中、お金が最高トップにに君臨していなければ良いが。
  しかし、そういう事件や出来事は上から下まで、組織も個人も良く目にする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

所信表明明演説を見て

昨日、国会で、福田首相が所信表明演説をした。
 背水の陣内閣らしい切羽詰ったものを感じたし、福田さんは「キャラ立たない」の声も有るが誠実さも感じた。
 出来れば(背水の陣だから)ここに至った反省と謝罪の言葉がほしかった。これまでの為政者も同じだが、そこを棚上げしたのでは、本気さが今一伝わらない。
 もう一つ、演説は内容的には、実によく出来ていたと思うが、全体に、状況の認識の深さと関連性に不足を感じた。
 個々の政治課題が張り合わせの感じだったのは元の原稿の役所の違いからだろう。
 前回より気合の入った演説だったが、それでも、内から湧き上がるものが弱く、きれいなことばとは裏腹にちょっと軽さも感じた。
 ところで、昨日はアメリカでブッシュ大統領が行き詰まった経済不安の解消に緊急に景気対策を発表した。内容は財政出動で減税が主な内容だった。ここに来て日本もアメリカも与野党はも、国と世界が不景気に陥らないかと焦ってるようだ。
 景気刺激策を見ると、アメリカも日本も政府与党は、生産者の企業の競争力強化に重点の置き、野党は消費者の内需拡大に重点を置く。
 これは言葉の使い方で、大企業中心か国民本位かの、2項対立的に言われることが多いが、果たしてそれで経済は良くなるだろうかと心配になる?何故なら、従来の経済政策はこれを繰り返し、その結果が今日の困難に至っているからだ。加えて生産者者中心と消費者中心は実態はどこがぢうちがうか?

(受動態と能動態同様、言い方はどちらにでも変換できる。)


 財政、金融、財産の切り売りなどで立て直そうとするが、肝心の産業の在り方・産業の発展方向は論議のテーマにも上らない。(多分、目先のお金のためには産業の在り方どころではないのだろう。)
 
 それにしても、今日のように、地球環境や資源確保が世界最大の政治課題とまで言われるのに世界も日本もそれを経済対策とはつなげて論じない。与野党の生産者ー消費者 外需ー内需 どちらの立場に立っても、地球は悲鳴を上げ、資源は底をつく。

産業は地球環境なくしては存在しないのに、政策は別々に立てられる。実は、福田首相の所信表明演説も、政治課題が別々に把握され対策に一貫性が無い。縦割りの専門家や役所のせいか、分業という現代文明のせいなのか。
全体的に捕らえ全体像も仕組みもが無いようだ。

 今年は仮に消費者元年と言われても、政治元年には程遠い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

混乱の中で感じる繋がり

テレビや新聞の報道は、地球や世界や日本が、そうとう大変な中にいる事を知らせているようだ。
暮らしの中での実感もそれは同じ。
謂わば、「混乱」してると言っても良いのかもしれない。
ところで、こんな聞きたくも無い報道の中で、(少し変かも知れないけど)人の繋がりを感じる事が時にある。
 今朝は、アメリカの予備選挙で、経済問題が大きく浮上していることを報道していた。景気の浮揚策を見ると日本で語られるのと変わらない。新たな発想は見られない。
 
地球上は、どの国の誰もが安全や地球環境と経済の事で喜び、そして頭を悩ませているのだと、(当たり前と言えば当たり前だが、より苦難に直面している姿に、頭でと言うより)人の繋がりのような感覚でそれを感じた。

こんな感覚は初めてのことだ。所詮そんなものと言えばそれまでだが、何か手ごたえのような、うまく言葉に表せないが少なくてもプラスの元気の出る力を感じた。

    この年になって、全く予想もしなかった事である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

日本の現状と今後

 5年前、日本列島に荒涼とした焼け野原のような心象風景を描いた。
  2年半前の衆院選の時、日本は5年以内にニッチもサッチも行かないぐらい行き詰まるだろうと、かなりの確信をもって予測した。
  2年前、アメリカ発のインフレを伴った不景気が世界を巻き込むのは時間の問題だと思った。それで、 政府やメディアそれを報道し、警戒を呼びかけるだろうと待ったが、いっこうに、その気配無く「いざなぎ以来の好景気ー力強い景気の拡大傾向」と言う政府やメディアの情報一辺倒だった。
 だから、私はこの時点で日本か株から完全に撤退した。 
  昨年 教育基本法や教育再生の議論を見て、コメントする気にもならなくなった。(子供のことを考えたら、現場では考えられないようなことを 昼間、国会で堂々とやっている。)  
   昨日(1月15日), 東証平均は14000円を割る。 過去1年間の株の暴落率は先進国50数カ国の中でサブプライムを発したアメリカや強く影響したと言 われるヨーロッパをはるかに凌ぎ、50か国中世界第2位( 金融資産の多い日本がこれほど影響を受けるのは常識的には考えられない。)と言う現実があった 。    

  予想通り、政治も経済も教育も社会問題も行き詰まり、どれも出口が見つからない状態にあると、私は思った。
  今後、 地球や世界的な不安定さはさておき、日本だけ        見ても、その危うさは著しい。               
 経済は体力をなくしているし、政治はその現状をつかめず、解決策を持てない状態だから、回復し立ち直るのにかなり時間がかかるだろう。  
  とりあえず、一息つくまでの時間の見当をつけたいが、  
  現在の既成政党はどこも解決策はなく、政権交代しようが再編成しようが無理だろう。 
 (バブルがはじけて景気上昇に10年以上かかったことを考えると)2~3年内の、庶民が実感できる景気上昇は考えにくい。

 お調子のいい(田分けた)話は明日にも聞かされるだろうが、実際は 何時のことやら?
   

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

触発されて出てくる言葉

会話の中で、雰囲気や相手の話しに触発されて出てくる言葉がある。いい物が出てくる場合も悪いところが引き出されることもある。その違いは何か?    
両方を自分も経験し他人にも経験させている。想像力の不足だろうか?受容的な態度だろうか?  
 日常的にお互いに付きまとう事ことだから 、考えてみよう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

情報の氾濫と不足

今、「情報不足だ」と感じている人はあまりいないのではないだろうか。むしろ「情報が溢れていて、処理するが難しい」が実感かもしれない。
 確かに「情報が溢れてる」と言えば溢れてる。しかし、社会や個人に本当に必要な情報は提供されているだろうか?
 長く関わってきた教育や、今関心を持っている経済で言えば、(差別用語を含む言いかただが)「つんぼ桟敷」の状態だとつくづく思う。
 為政者やメディア情報と現実の開きがあまりに大きい
。教育の実態やそれを表す統計と語られる情報の開きが大きすぎたり、方向が逆の場合も珍しくない。
 政府や日銀の景気予測がことごとく外れるように、これも実態や統計と、語られる情報の開きは常識を超えて大きい。
 だから、教育と経済に関しては今後かなり長い期間にわたって
、公に語られるところとは違った予想外な展開が続くだろうと思う
 恐らく世界的に突出した学校不適応児・生徒数(不登校)や発達障害児の急激な増加、子供の努力と反比例的に進行する学力低下は誰が予測しただろう?
 経済の景気の指標となっている株式の下落がこの1年で、世界第2位となることは誰が予想し語っていただろうか?
 定年後の暇人である私もこれらのことはただの一度も耳にした事が無い。
 さっきも、NHKニュースで株価の下落原因を「日本の企業の魅力がなくなってきたのではないか」と解説していたが、この解説自身、端的に(今日の情報の貧しさと不足を伝える情報)だった。
 過去1年の株の下降率が「企業の魅力」と直結するとは普通は考えられない。この分析は【特殊】だと思う。
 
 我々は特殊な≪情報の真空地帯≫にいるのではないだろうか?

(こんな話は突拍子も無く、馬鹿らしい、相手にされないような話かもしれないとは思っている。) 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »