世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
安全保障は国家を越えて
安全保障上 パンデミックは武力衝突以上に危険ではないか。
武漢から 動物から人 人から人へと伝染する新種のウイルスが拡がっているらしい。
ウイルスには国境が無いから 舞台は世界、 世界はどう対処するんだろう?
国連が動き出したが 世界的な協力体制を敷く必要があるが 中国がどうのこうの論評は 後回しで良いのに せこい報道は不愉快 明日は我が身。
もう一つの自然環境
意思は 生理的な機能が順調に働いた時 順調に機能する。
つまり 人の意志にとって生理的な条件は自然環境であるかのように。
人は地球や自らの自然環境を壊していないだろうか?
内外の自然を壊すのは 自然と人の関係をとり違えているに他ならない。
学校教育が子供の自然環境(生理的機能)を壊しているように思えてならない。
一日 5時間も6時間も じーっと座って勉強する この間 子供は身体感覚や探索的な動きを
止めるにのは 生体的にストレスを加える違いない。
結果 自律神経が関与する 末端の体温を下げ呼吸を乱し 辺縁系が関与する感情の安定を損なう。
子どもは心身の異常を察し 生命の維持のため その場を避ける。不登校や情緒障害に学校や社会が関与していないと 考えられようか。
自然無しに 人も社会も存在出来ないことを 今一度心に留めるべきだろう。
大人だから分からない
世の中 何所を見ても 消費 消費 消費だらけ 度を過ぎて もう「浪費」だろう。
政府を先頭に 街も電車の中も 新聞やテレビはニュースを避けて宣伝ばっか
これだけやったら社会保障もクソもあったもんではない
こんなの子供でも分かる理屈
そうか 大人だから分からないのか。
危険知らずのリーダーと私
人は自然無しには生きられないが 自然と人の関係をとり違えてる。
基本的な関係をとり違えているから混乱し行き詰まるのは仕方ない。
100年もしたら 思考錯誤が実り 気づくだろうと希望を持ち期待しているが、グレタさんに耳を傾ける人は少ない。
トランプさん 習さん プーチンさん ジョンソンさん 安倍さん 何れも程遠い。
GDPの伸び悩みとオーストラリアの山火事 どっちに危険を感じる?
危険も知らずに どうするの?
今日は同僚と親睦会の打ち合わせと老人介護の勉強会。
人一倍自己中心性が強く 負けず嫌いな自分は 染みついたものを 今になっても拭えないでいる。
似たり寄ったりだ。
世迷い言
トランプさんがだダボス会議で「アメリカ経済は好調」をアピールするのも 安倍さんのアベノミクスが「迷い言」だと 後々明らかになるのかな。
世の出来事だけでなく何事も 切り取り方によって どんな形にもなりどうにでも言える。
問題は発信する内容と受信する内容が違っている事ではないだろうか。
言葉は便利な道具ではあるが 意味は固定されておらず曖昧で解釈にかなりの幅がある。
この世は 意味の取違いによって成り立っているのかもしれない。世迷い言で 地球号や日本丸が
今日のように成ったのかもしれない。
同時進行しながら転換
時代の転換は破壊から新築へと横一線で変化することなく むしろ入り乱れて徐々に新たなステージに至るのではないだろうか。
現在 守旧的な流れと新たな流れが 同時進行しているが 今は 転換の初期段階で守旧的な流れが横溢している。やがて 新しい動きにとって代わるのは世の常。
政治のリーダーたちはその辺の理解が出来ないでもたついている。
基本的認識
首相「日米安保は不滅 世界の平和と繁栄の不動の柱。」トランプ大統領「過去60年 世界の平和と繁栄に不可欠だった。」
両首脳の世界の状況認識は一致しているようだ。
状況認識は色々あって良いとは思うが 実際に 世界の状況が「不変」なことは有り得ることだろうか
観念は不変でも事物は常に変化しないか。
社会を科学的に判断する時の基本的認識だと思う。
ただ 残念なのは 両者に反対する人たちも同じように描く観念が違うだけで 観念的な認識に縛られていることである。
これでは議論しても言葉遊びに似て 現状は浮かび上がらないから 懸案の安全や経済の方途を見出したり解決するのは難しい。現在はそこで行ったり来たり 右往左往しながら行き詰まり先が見えない。
せこい発想は嫌
起業も良いけど「隙間産業」が目に付くが どこかせこい。
せこくて 済む時代ではないにの 発想は政府も似たようなものだから何とも情けない。
結局は教育の問題 人の自己中心性を脱却する そんな教育だろうな。
日米安保の見直しの時期
日米安保条約を結んで60年になる。 首相は日本にとって最大の柱 と 防衛大臣は 金銭に替えられない と明言した。
これが今日の日本政府の正式見解だと思うが 見直しが必要ではないか。
今後 歴史的な評価がくだされるとは思うが 世界の状況の変化は 予想を越えている。
大事に至る余裕が何所に有ろう。
現代における気を研究する大切さ
気は西洋哲学や医学には登場しないかもしれないが 在るものは在る と考えている。
「気の移動や変化を科学する」 病んだ現代社会や個人は必要だろう と思う。
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