「スパルタ教育」がいいか、「ほめ育てがいいか」。藤吉郎が
まだ信長に仕えたばかりの「草履取り」だった時のこと。
槍術指南の某が「短い槍の方が、機敏に動け有利」と主張するのに対し、
藤吉郎が「長い槍の方が勝つに決っている」と いちゃもんをつけた。
「長短どちらが有利か」。双方50人ずつの足軽を宛がわれ、一週間後に、
信長公の御前で試合をすることとなった。
その一週間の間、槍術指南は 足軽たちに 徹底的に槍の扱い方を
教えようとした。毎日、はげしい稽古で みな傷だらけ、足腰立たぬ
ほどフラフラになりながらも猛特訓した。
一方の藤吉郎は、足軽たちに連日 酒ご馳走をふるまい、50名を
二組にわけ、半数は長い槍を上下に振って、敵の頭を、半数は
左右に振って、敵の足を払うよう、それだけ練習させた。その上で、
「敵の槍を奪った者には百文、敵を捕らえた者には二百文、大将
(槍術指南)を捕らえたら五貫文の褒美をやる」と宣言する。
いざ 御前試合となり、藤吉郎の方は「三間槍(5.4mの長い柄の槍)」。
一旦引き下がって、槍襖(やりぶすま)を築く。そして 二組に分け、
半数は長い槍を上下に、半数は左右に振る。相手は、連日の猛特訓で
怪我だらけ、足腰もフラフラ。槍を振り回し、必死に突いても
槍が短いので届かない。体力を消耗して自滅してしまった。
勝負は藤吉郎の勝ち。信長から「足軽大将」に抜擢される。
この話、槍術指南の名前が「上島主水」だったり「鈴木主水」だったり
「片桐孫四郎」だったり、ネットでいろいろ出てくる。出典が不明。
どうせ 江戸時代に創られた講談のようだ。
子供の頃『常山奇談』で読んだ気がするが、この話は、ずっと
今日まで私の脳裏にある。「体力勝負」より、「知力勝負だと。
まだ信長に仕えたばかりの「草履取り」だった時のこと。
槍術指南の某が「短い槍の方が、機敏に動け有利」と主張するのに対し、
藤吉郎が「長い槍の方が勝つに決っている」と いちゃもんをつけた。
「長短どちらが有利か」。双方50人ずつの足軽を宛がわれ、一週間後に、
信長公の御前で試合をすることとなった。
その一週間の間、槍術指南は 足軽たちに 徹底的に槍の扱い方を
教えようとした。毎日、はげしい稽古で みな傷だらけ、足腰立たぬ
ほどフラフラになりながらも猛特訓した。
一方の藤吉郎は、足軽たちに連日 酒ご馳走をふるまい、50名を
二組にわけ、半数は長い槍を上下に振って、敵の頭を、半数は
左右に振って、敵の足を払うよう、それだけ練習させた。その上で、
「敵の槍を奪った者には百文、敵を捕らえた者には二百文、大将
(槍術指南)を捕らえたら五貫文の褒美をやる」と宣言する。
いざ 御前試合となり、藤吉郎の方は「三間槍(5.4mの長い柄の槍)」。
一旦引き下がって、槍襖(やりぶすま)を築く。そして 二組に分け、
半数は長い槍を上下に、半数は左右に振る。相手は、連日の猛特訓で
怪我だらけ、足腰もフラフラ。槍を振り回し、必死に突いても
槍が短いので届かない。体力を消耗して自滅してしまった。
勝負は藤吉郎の勝ち。信長から「足軽大将」に抜擢される。
この話、槍術指南の名前が「上島主水」だったり「鈴木主水」だったり
「片桐孫四郎」だったり、ネットでいろいろ出てくる。出典が不明。
どうせ 江戸時代に創られた講談のようだ。
子供の頃『常山奇談』で読んだ気がするが、この話は、ずっと
今日まで私の脳裏にある。「体力勝負」より、「知力勝負だと。