Youtubeで、NHK大河ドラマ『獅子の時代』を観た。
NHk大河ドラマで 1980(昭和55年)に放映されたもの。
慶応3年(1867)から明治22年(1889)までの激動の時代を
全51回の長編で丁寧に描いている。
「苅谷嘉顕(加藤剛)」という架空の人物を中心に、時代が
進展していく。
第一回は 1867年のパリ万国博覧会から幕開け。ここで、
江戸幕府と薩摩との鞘当てがあったことなど、現代の人の
多くは知らない。幕末、幕府だけでなく、薩摩、長洲、
会津藩からも多くの若者がヨーロッパに派遣されていたのだ。
会津藩士「平沼」と薩摩の「苅谷」は、共にパリで知り合う。
そして、会津戦争、函館戦争、西南戦争と、敵でありながら
不思議な友情で 複雑に絡んでいく。
山田太一によるオリジナル脚本で、歴史に翻弄される下級武士、
庶民にスポットを当てて描かれていることが、さまざまなことを
考えさせてくれた。
多くの血を流して成った“明治維新”は、はたして庶民の生活を良く
したのだろうか。最後は秩父事件という農民一揆の軍隊による鎮圧。
そして、自由民権運動を封殺してできた「大日本帝国憲法」の発布で
幕を閉じる。
最近、「幕末・明治維新史の誤りを正す」という本が出た。
「徳川幕府は無能で、維新の志士は優秀だったから幕府を倒し
明治維新が成し遂げられた」と教科書で教えこまれてきたが、
はたしてそうだろうか。「幕府側の人間も十分優秀な人材が多くいた」
というもの。
たしかに、中津藩から出て、幕臣となっていた「福沢諭吉」も、
幕末に欧米諸国を見聞して、文明開化に大きく貢献した。
その福沢諭吉は、「立国は私である」と喝破した。その意味する
ところはいろいろな解釈があるが、単純に受け止めると「明治政府など
私利私欲で 徳川から勝ち取ったもの」となる。福沢諭吉は「幕臣」で
あったことで「ニ君に仕えず」の信念で明治政府の公職には就かなかった。
「獅子の時代」を改めて視聴して、はたして明治政府がやってきたことは
正しかったのだろうか。日清、日露戦争の勝利が、太平洋戦争の敗北の原因
とも言われる。悲惨な結末となったわけだ。「大日本帝国憲法」の下、
多くの庶民が辛酸を舐め、命を奪われた。明治維新は「庶民の幸せ」の
為のものではなかったという思いにかられた。