現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

東電に入ろう

2015-06-30 23:19:38 | 虚無僧日記

「東電に入ろう」、なんと「倒電に廃炉」のブラックユーモア。いやユーモアなんて言っていられない。

https://www.youtube.com/watch?v=z9AlurAWSiM&feature=player_detailpage

 

元歌は「自衛隊に入ろう」。なんと昭和44年の作とか。作詞作曲、歌は「森達也」。

即「放送禁止」になったそうな。現代でも通じる。いや今こそ、声高らかに歌うべし。

https://www.youtube.com/watch?v=XFRkB3mpqD8&feature=player_detailpage


自民党政権批判の替え歌

2015-06-30 23:15:42 | 虚無僧日記

https://www.youtube.com/watch?v=ShUuMyvCisc&feature=player_embedded

1、
大きな態度の安倍総理 おじいさんと同じ
約5年で復帰した ご自慢の政権
民主党の自滅の後に アベノミクスが生まれたの
今はもう円安で 得意顔

原発反対に 四苦八苦 四苦八苦
東電と一緒に 四苦八苦 四苦八苦
今はまだ動かせない 日本の原子力

2、
なんでも企業の言いなりで お父さんと同じ
きれいごとをならべていても 信用してはいけない
株価を上げて円安騒ぎ みな知ってる茶番劇
今もまた許せない その政治

国民生活 四苦八苦 四苦八苦
被災者のみなさん 四苦八苦 四苦八苦
今はまだ故郷(ふるさと)に 帰れない

3、
公共事業のばらまきは お父さんと同じ
原発事故の被災者が 泣いても見ないふり
円安で喜ぶ大企業 国民は辛いだけ
今もだめな自民党 安倍内閣

三党合意で 四苦八苦 四苦八苦
麻生さんと一緒に 四苦八苦 四苦八苦
今はまだ動かせない 日本の原子力

 


NPO邦楽指導者ネットワークの合宿に参加

2015-06-23 21:17:14 | 虚無僧日記

6/20~21 熱海で行われた「NPO邦楽指導者ネットワーク」の合宿に参加。

小学生、高校生も混じって130人。元「日本音楽集団」の田村拓男氏の指揮

により「夏の一日」の講習。裏拍子、変拍子のリズムを小学生、高校生はちゃんと

弾くのに、尺八の大人はオタオタ。田村先生の厳しくも優しい指導に、ずいぶんと

学ばせていただきました。左端、ドアの左にいるのが私。


坪内ミキ子は逍遥の孫?

2015-06-18 21:39:48 | テレビ・映画・芸能人

ネットで「坪内逍遥」を検索していて、こんな記事が。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
女優の「坪内ミキ子」さん。以前、NHK・TVで、「坪内逍遥の孫」と
紹介されていましたが、おかしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと。

なるほど「坪内ミキ子の父 士行は坪内逍遥の子」という記載は
何件かありました。父は「逍遥の子」だが「キミ子は逍遥の孫
ではない」。この謎解きは。

ミキ子の父「坪内士行」(早大教授 劇作家 昭和61年没)は、
逍遥の兄「義衛」の三男で、明治24年(1893)、7歳の時、
逍遥の養嗣子となりました。しかし、大正8年(1919)34歳の
時、養子縁組を解消しています、ミキ子は昭和15年生まれですから、
その時はもう、父「士行」は「逍遥」の子ではなくなっていました。
ですから「孫」ではありません。でも、元「大映」の宣伝部に勤めて
いた方の証言で「坪内ミキ子は、デビュー当時、“逍遥の孫”として
売り出した」と認めています。それで「逍遥の孫」とする記述は
結構あります。

「士行」の養子解消の理由が気になります。
そこで調べました。

坪内士行は、逍遥の兄「義衛」の三男ですから、やはり名古屋で
生まれています。逍遥に子がなかったため7歳のときに養子となった。
1909年、早稲田大学英文科卒業。その後、ハーバード大学に留学して
演劇を学び、1915年に帰国。その翌年、留学中に深い関係となった
アメリカ人女性「マッグラルド・ホームズ」嬢が 後を追って日本に来た。
そこで大騒ぎ。
養父「逍遥」は、「飯塚くに」という女性を「士行」に娶合わせるつもりで
養女にしており、激怒。ホームズ嬢こ会おうともしなかった。

「士行」は逍遥の家を出て、ホームズ嬢と同居したが、ホームズ嬢は
異国になじめず、また認められない事の苦しみから2年ほどで去って
いったという。

「士行」は、1919年、小林一三による宝塚音楽学校創立に関わった。
その年、宝塚歌劇団1期生のトップスターだった「雲井浪子」と結婚。
「逍遥」は、ついに怒りが爆発、養子縁組を解消した。

そして「坪内キミ子」は、「士行」と「雲井浪子」の娘ですが、
1940年の生まれですから、「士行、53歳」「浪子、39歳」の時の子
でした。

「坪内士行」とアメリカ人女性の恋は、「森鴎外」の『舞姫』ごとき
ではないですか。

ついでながら、逍遥が「士行」の妻にしようとしていた養女「飯塚くに」の
父親は、鹿嶋清兵衛。母は、元新橋玉の屋の芸者「鹿嶋ゑつ」で、
この二人は、森鴎外の小説『百物語』の飾磨屋勝兵衛と芸者太郎の
モデルですってさ。もう ややしい、どうでもいい~か。



心の壁

2015-06-12 23:41:32 | 心の問題

ドラマ「ドアー・ツー・ドアー」は、心を閉ざしている
人に、その扉を開けさせる話だった。障害があって
言葉も不明瞭な青年が、浄水器の訪問販売など、
絶対できっこない。誰もがそう思う。しかし、彼は
トップセールスになった。

尺八をやっていても思う。3尺以上の超長管は「絶対
無理」と、はなからあきらめていた。児玉竹坐氏から、
「やっているうちに指も伸びてきて届くようになりますよ」
と言われても「まさか」であった。ところが、一年経って
3尺2寸管が鳴るようになってきた。

鼻から吸って同時に口から吐く「循環呼吸」も、ようやく
メドがたってきた。

詩吟で最高音がF(ファ)までしか出なかったが、2年間の
ボイストレーニングで、A(ラ)まで出るようになった。
「絶対ダメ」と思っていたのに、「絶対」はないと知る。
その心のしばりを取れば、限界は超えられるのだ。

尺八初心者も、「尺八は難しい」と自分に納得させて、
「無理、絶対無理、できない」と自ら心を閉ざしている。
その心の壁を取っ払えば、不可能も可能になるのだ。

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp





真の仏教徒とは?

2015-06-12 23:40:01 | 心の問題

日本の仏教界には、さまざまな対立がある。
まず奈良仏教と平安仏教の対立。その平安仏教も、
最澄の比叡山天台宗と、弘法大師空海の高野山
真言宗の対立。
そして平安末期、法然によって浄土宗が、さらに
親鸞によって浄土真宗が開かれ、「南無阿弥陀仏」
と唱えるだけで、悪人も救われるという他力本願の
念仏宗が起こる。
その一方で、自力本願を説く禅宗が武家の間で広
まるが、禅宗も、曹洞宗と臨在宗の二つに。

さらに平行して、日蓮による日蓮宗が起こり、禅宗や
念仏宗を激しく誹謗排斥する。

五木寛之の『親鸞』は、平安末期の比叡山の堕落
ぶりと、そこから 「仏教とは何か」 を真剣に問い求
める親鸞の姿を描く。

水上勉の『虚竹の笛』も然り。室町期の五山に代表
される禅門の腐敗堕落から脱した異形の僧たちを
描く。それが虚竹と一休、そして一路だ。
水上勉の『虚竹の笛』は、「竹の中にこそ真の仏教
がある」と代弁してくれているようで心強い。すべて
の仏教を超越したものが「虚無僧」なのだ。そこには、
仏も釈迦も経典も無い。あるのは人々の心の中に
宿る仏性を呼び覚ます竹の響きのみ。




礼は服にあり

2015-06-12 23:37:42 | 社会問題

「服装は礼をもって飾り、言葉は詩によって飾る」
言葉も服装も乱れが激しい昨今である。

SMAPのコンサートを毎年観ているが、数年前までは
観客もそれなりの服装でビシッと決めていた。今年は、
どうもだらしない服装が多い。「どうせ客席は暗いのだから、
服装なんかどうでもいい」というのだろう。ファンとしての
気合が入っていない。これは最近すべてに云える傾向だ。

「ヨーロッパ人は、アメリカ人と日本人が嫌い」という
コラムがあった。オペラやオーケストラのコンサート会場に
行くのに、ヨーロッパ人はタキシードやドレスに正装して
行くが、アメリカ人と日本人は平気でジーパンや短パンを
履いてくる。その傍若無人さが、ヨーロッパの文化を土足で
踏みにじられる思いがするというのだ。

先日の名古屋能楽堂での「能の公演」では、観客席に
和服のご婦人も多かった。カジュアルな恰好の人は一人も
いなかった。さすが名古屋である。能楽堂というシチュ
エーションがそうさせるのだ。聴く側の姿勢で、演奏者の
“気”も高められると思うのは私だけか。


雇用崩壊から拡大へ

2015-06-12 23:34:10 | 社会問題

「派遣切りで職を失った人に福祉事業、農業、林業への
雇用拡大」。「地元の企業にUターン就職者増加」。

まさに苦難福門。雇用崩壊で地方の労働力不足、敬遠
されていた農業、林業への人材確保ができ、いいことだ。
光が見えてきたかな?仕事は探せばある。それを「新しい
ことを覚えるのはイヤだ」とか「責任ある仕事はイヤ」
「人と接する仕事はイヤ」などと、自分で閉ざしていては
道が開けない。なんでも新しいことにチャレンジ!いや
チェンジか。

宮地ゆきおも「泥棒と殺人以外、どんな仕事でもやって
きた。それがパーソナリティとしての肥やしになった」と。
織田信長の言葉「仕事は自分で探して創りだすもの、
与えられた仕事しかしないのは雑兵」が、名言の1位に
選ばれたというのも、うなづける。雑兵に甘んじるか、
将となるか。新たな勝ち組が生まれるチャンスだ。