現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

正月元旦はホテルマリオットで

2017-12-30 22:19:00 | 虚無僧日記

正月元旦 10:45~11:00 名古屋駅の上15階 マリオット・アソシエ ホテル の「鏡開き」で

『春の海』を演奏します。筝は村田百合子さん。来年は元旦早々、うれしい仕事が舞い込みました。

4月20日(金)は ホテル・アイリスで

10月14日(日)は 能楽堂 で演奏します。

70歳の老いを跳ねのけて、大フィーバーします。


虚無僧一路と 東洋一の茶園「牧之原台地」

2017-12-19 08:43:25 | 虚無僧日記

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明治元年(1868)徳川幕府は壊滅し、徳川慶喜は静岡へ。それに伴い

旗本、ご家人の多くも静岡へ移住し、殖産事業として牧之原台地の開墾

を手掛けます。しかし慣れない士族の農業は失敗に終わります。その後も

農民たちによって茶畑の開墾が進み、「東洋一の茶園」となります。

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 私が、慶応中等部を受験した時、社会の入試問題に「東洋一の茶園はどこか」

という問題が出、心中で「ヤッター」と感動しました。

「牧の原台地」と答えられる人は、今でも何人おられることでしょう。

もう一問は「会津若松に行くには何線に乗るか」という問題。当時は

東北本線で郡山で磐越西線に乗り換えでした。これも毎年会津の祖父母の

家に遊びにいっていましたので、正解。社会は ほぼ満点で、見事

53倍の難関を突破して慶応に入学できました。すべて「運」。

その「運」を呼び寄せる努力は必要と、子供の頃から思っていました。

 

その後、東名高速道路の「牧の原SA」もできたことから、牧の原の名は

知られるようになり、2006年「牧之原市」ができました。静岡空港もできます。

私(牧原)が その市長になるには、歳が行きすぎました。もう70です。

 


来年は「人気」が出るそうな

2017-12-17 11:21:41 | 虚無僧日記

 face book のコンピュータ占いで占ったら、来年は「人気」が出るとのこと

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あなたの2018年はどんな感じでしょう!
 
 
 来年 4月20日(金)14時~15時 名古屋市中区丸の内のホテルアイリスでライブ
    4月21日(土)18時~20時 郡上大和の古今伝授の里「ももちどり」でディナーショー
 
  10月14日(日)13時~14時 名古屋能楽堂にて「牧原一路 尺八独演会」
 
とにかく集客のためには、笑顔、笑顔!

 

 ~ マザーテレサの言葉より ~

人生は、ひとつのチャンス。人生からなにかつかみなさい。

人生は、ひとつの美。人生を大事にしなさい。

人生は、ひとつの喜び。人生をうんと味わいなさい。

人生は、ひとつの挑戦。人生を受けて立ちなさい。

人生は、ひとつの責任。人生をまっとうしなさい。

人生は、ひとつのゲーム。人生を楽しみなさい。

人生は、神秘。そのことを知りなさい。

人生は、悲しみ。それを乗り越えなさい。

人生は、冒険。大胆に挑みなさい。

人生は、幸運。その幸運をほんものにしなさい。

人生はかけがえのないもの。こわしてしまわないように。

人生は人生。人生にたちむかいなさい。


牧の原城址に 虚無僧牧原一路 参上

2017-12-15 19:33:52 | 虚無僧日記

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

 虚無僧牧原一路 画像

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ここは、静岡県島田市にある「牧野原城」址。

南の榛原町と相良町金谷が平成17年に合併して「牧之原市」と名乗って

しまい、地名の由来の「牧野原城」は島田市にとり残されてしまった。

そのせいか、城跡の案内表示はすべて「諏訪原城」と。

「諏訪原城」は甲斐の武田市が占領していた時の名称。その後徳川家康が

攻め落とし、「牧野氏」を城番としてことから「牧野城」あるいは「牧野原城」と

改められた。天正10年の武田攻めには、この城が中継地となり、甲斐への

進撃がなされた。


富士を望む

2017-12-15 05:52:23 | 虚無僧日記

箱根神社で「白磁の洞簫」を見た翌日、静岡県の牧の原市へ。

“晴れ男”の私、三日間の旅で全日快晴。富士山の全景が見れました。

このように麓から全容が見れるのは、一年で80日ほどとのこと。

①箱根大涌谷から望む富士

画像に含まれている可能性があるもの:空、山、屋外、自然

 

②牧の原の茶畑から望む富士。手前は茶畑

画像に含まれている可能性があるもの:空、山、雲、自然、屋外


牧之原城にて

2017-12-14 21:55:07 | 虚無僧日記

静岡県の島田市にある「牧之原城」に行ってきました。

表示には「諏訪原城路」とあって残念。

「諏訪原城」は甲斐の武田氏が占領していた時の名称。徳川家康がここを攻めとり、

牧野康親と牧野右馬允を城番にしたことから「牧野城」あるいは「牧野原城」と

改められた。

堀・曲輪・馬出など の遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の

築城様式を知る上で貴重なもの。

牧野氏は牛久保(現豊川市)の城主。徳川家康につき、各地を転戦。

子孫は越後長岡の城主牧野氏をはじめ全国に分布。

ところで、当家は「牧ノ原」から「牧原」姓となった。

現在、隣接する町が「牧之原市」となった。牧之原城は島田市にあって

牧之原市ではない。牧之原に城を建てるのが子供の頃の夢でござった。

夢破れて、虚無僧となって参上。尺八の音に見学に訪れた方がたが

「珍しいね」「タイムスリップしたかのよう」「時代劇から抜け出してきた」

と大喜び。カメラに収めてくれはった。

 

 

 


箱根神社の白磁の洞簫

2017-12-14 21:07:21 | 虚無僧日記

画像に含まれている可能性があるもの:室内

箱根神社に行ってきました。宝物殿に展示されている「白磁の尺八」を見に。

直径2cm程、長さ50cm程の細長い尺八?いやこれは、歌口の形、手孔前に5孔。

現在も中国で使われている「洞簫」でした。ちゃんと竹の節まで作られてます。

根っこのゴロ節までついてます。これだけの磁器は日本では江戸時代まで

作れませんでしたから、明らかに中国で作られたものです。

では、いつ、どこで作られ、どのようなルートで伝来し、箱根神社に奉納

されたものか、全く不明。謎です。

神社の解説文では「義経が静御前に形見として渡したものを、頼朝が取り上げ

箱根神社に奉納した」とのこと。「義経の尺八」というのは、あくまで伝承。

事実かどうかは?クエスチョン。

鎌倉時代のものならば、当時の中国は「宋」。禅宗、道教が栄え、書画、茶、

陶器類が日本にはいって来、大きな影響を受けた。また鎌倉時代の中頃から

「金」「蒙古(元)」に攻められ、多くの難民が日本に移住してき、多くの

文化を伝えた。薦僧もこの時代に宋から渡来したと思われます。

 


868人もの方からアクセス

2017-12-08 21:57:41 | 虚無僧日記

突然、868件ものアクセスがあり、278万件中352位となりました。

翌日からは いつも通り400件前後です。なぜ突出したのか理由は全くわかりません。

昨日は「楽しいというかどんどん引き込まれる存在感のあるブログですね!」という

コメントをいただきました。 ありがとうございます。

 

ブログ炎上すような記事を書きたいと日々頭を悩ませています。

私のブログは毎日400人前後の方に読んでいただいていますが、全く

コメントが寄せられません。どうしてか不思議でなりません。

感想、ご意見どんどんお寄せください。

facebookも「Shinichiro Makihara」で開いています。こちらは写真を

掲載していますので、ぜひ見てください。