正月元旦 10:45~11:00 名古屋駅の上15階 マリオット・アソシエ ホテル の「鏡開き」で
『春の海』を演奏します。筝は村田百合子さん。来年は元旦早々、うれしい仕事が舞い込みました。
4月20日(金)は ホテル・アイリスで
10月14日(日)は 能楽堂 で演奏します。
70歳の老いを跳ねのけて、大フィーバーします。
正月元旦 10:45~11:00 名古屋駅の上15階 マリオット・アソシエ ホテル の「鏡開き」で
『春の海』を演奏します。筝は村田百合子さん。来年は元旦早々、うれしい仕事が舞い込みました。
4月20日(金)は ホテル・アイリスで
10月14日(日)は 能楽堂 で演奏します。
70歳の老いを跳ねのけて、大フィーバーします。
明治元年(1868)徳川幕府は壊滅し、徳川慶喜は静岡へ。それに伴い
旗本、ご家人の多くも静岡へ移住し、殖産事業として牧之原台地の開墾
を手掛けます。しかし慣れない士族の農業は失敗に終わります。その後も
農民たちによって茶畑の開墾が進み、「東洋一の茶園」となります。
私が、慶応中等部を受験した時、社会の入試問題に「東洋一の茶園はどこか」
という問題が出、心中で「ヤッター」と感動しました。
「牧の原台地」と答えられる人は、今でも何人おられることでしょう。
もう一問は「会津若松に行くには何線に乗るか」という問題。当時は
東北本線で郡山で磐越西線に乗り換えでした。これも毎年会津の祖父母の
家に遊びにいっていましたので、正解。社会は ほぼ満点で、見事
53倍の難関を突破して慶応に入学できました。すべて「運」。
その「運」を呼び寄せる努力は必要と、子供の頃から思っていました。
その後、東名高速道路の「牧の原SA」もできたことから、牧の原の名は
知られるようになり、2006年「牧之原市」ができました。静岡空港もできます。
私(牧原)が その市長になるには、歳が行きすぎました。もう70です。
虚無僧牧原一路 四国への旅 昨年夏の画像です。
上は室戸岬 下は足摺岬 岬巡りの旅です。次回は潮岬を予定しています。
face book のコンピュータ占いで占ったら、来年は「人気」が出るとのこと
~ マザーテレサの言葉より ~
人生は、ひとつのチャンス。人生からなにかつかみなさい。
人生は、ひとつの美。人生を大事にしなさい。
人生は、ひとつの喜び。人生をうんと味わいなさい。
人生は、ひとつの挑戦。人生を受けて立ちなさい。
人生は、ひとつの責任。人生をまっとうしなさい。
人生は、ひとつのゲーム。人生を楽しみなさい。
人生は、神秘。そのことを知りなさい。
人生は、悲しみ。それを乗り越えなさい。
人生は、冒険。大胆に挑みなさい。
人生は、幸運。その幸運をほんものにしなさい。
人生はかけがえのないもの。こわしてしまわないように。
人生は人生。人生にたちむかいなさい。
虚無僧牧原一路 画像
風速30m の強風に 吹き飛ばされそう
後方に見えるのが浜岡原発。只今停止中、でも3000人もの人が働いているとか。
再稼働に向けての風当たりも厳しいようです。
虚無僧牧原一路 画像
ここは、静岡県島田市にある「牧野原城」址。
南の榛原町と相良町金谷が平成17年に合併して「牧之原市」と名乗って
しまい、地名の由来の「牧野原城」は島田市にとり残されてしまった。
そのせいか、城跡の案内表示はすべて「諏訪原城」と。
「諏訪原城」は甲斐の武田市が占領していた時の名称。その後徳川家康が
攻め落とし、「牧野氏」を城番としてことから「牧野城」あるいは「牧野原城」と
改められた。天正10年の武田攻めには、この城が中継地となり、甲斐への
進撃がなされた。
箱根神社で「白磁の洞簫」を見た翌日、静岡県の牧の原市へ。
“晴れ男”の私、三日間の旅で全日快晴。富士山の全景が見れました。
このように麓から全容が見れるのは、一年で80日ほどとのこと。
①箱根大涌谷から望む富士
②牧の原の茶畑から望む富士。手前は茶畑
静岡県の島田市にある「牧之原城」に行ってきました。
表示には「諏訪原城路」とあって残念。
「諏訪原城」は甲斐の武田氏が占領していた時の名称。徳川家康がここを攻めとり、
牧野康親と牧野右馬允を城番にしたことから「牧野城」あるいは「牧野原城」と
改められた。
堀・曲輪・馬出など の遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の
築城様式を知る上で貴重なもの。
牧野氏は牛久保(現豊川市)の城主。徳川家康につき、各地を転戦。
子孫は越後長岡の城主牧野氏をはじめ全国に分布。
ところで、当家は「牧ノ原」から「牧原」姓となった。
現在、隣接する町が「牧之原市」となった。牧之原城は島田市にあって
牧之原市ではない。牧之原に城を建てるのが子供の頃の夢でござった。
夢破れて、虚無僧となって参上。尺八の音に見学に訪れた方がたが
「珍しいね」「タイムスリップしたかのよう」「時代劇から抜け出してきた」
と大喜び。カメラに収めてくれはった。
箱根神社に行ってきました。宝物殿に展示されている「白磁の尺八」を見に。
直径2cm程、長さ50cm程の細長い尺八?いやこれは、歌口の形、手孔前に5孔。
現在も中国で使われている「洞簫」でした。ちゃんと竹の節まで作られてます。
根っこのゴロ節までついてます。これだけの磁器は日本では江戸時代まで
作れませんでしたから、明らかに中国で作られたものです。
では、いつ、どこで作られ、どのようなルートで伝来し、箱根神社に奉納
されたものか、全く不明。謎です。
神社の解説文では「義経が静御前に形見として渡したものを、頼朝が取り上げ
箱根神社に奉納した」とのこと。「義経の尺八」というのは、あくまで伝承。
事実かどうかは?クエスチョン。
鎌倉時代のものならば、当時の中国は「宋」。禅宗、道教が栄え、書画、茶、
陶器類が日本にはいって来、大きな影響を受けた。また鎌倉時代の中頃から
「金」「蒙古(元)」に攻められ、多くの難民が日本に移住してき、多くの
文化を伝えた。薦僧もこの時代に宋から渡来したと思われます。
突然、868件ものアクセスがあり、278万件中352位となりました。
翌日からは いつも通り400件前後です。なぜ突出したのか理由は全くわかりません。
昨日は「楽しいというかどんどん引き込まれる存在感のあるブログですね!」という
コメントをいただきました。 ありがとうございます。
ブログ炎上すような記事を書きたいと日々頭を悩ませています。
私のブログは毎日400人前後の方に読んでいただいていますが、全く
コメントが寄せられません。どうしてか不思議でなりません。
感想、ご意見どんどんお寄せください。
facebookも「Shinichiro Makihara」で開いています。こちらは写真を
掲載していますので、ぜひ見てください。