法燈国師無本覚心と曹洞宗・時宗・律宗・萱堂聖
無本覚心は今日では臨済宗の興国寺開山として知られているが、 時宗や律宗など他宗派とも深い関わりを持っていた。つまり覚心は 密教や禅宗、念仏という枠組みにとらわれない宗教者だった。
覚心の伝記『鷲峰開山法灯円明国師行実年譜』では、覚心と禅との 関わりのみを強調し、他宗派との交流を一切削除してしまっている。
また他の宗派側でも、正規の伝記にはみえず、後世に記された史料に のみ書かれていることから、覚心と他宗派の交流が実際にあったか どうか、実証は難しい。
曹洞宗と無本覚心の関係は、仁治3年(1242)に無本覚心が道元より 菩薩戒を受戒した時よりはじまるが、その後の関係は瑩山紹瑾(1268~1325)を 通じて説かれることが多い。
瑩山紹瑾は、道元下4世で、曹洞宗の教団確立につとめ、後世には道元を高祖、 瑩山を太祖として併せて両祖とされた。この瑩山紹瑾にも「法灯(無本覚心)が 南紀の興国寺(西方寺)にいる時、師(瑩山紹瑾)は赴いた。(無本覚心は 瑩山紹瑾を一見して大いに称賛し、(瑩山紹瑾はここに)留まって冬を過した」 (『日本洞上聨灯録』巻第2、能州洞谷山永光寺瑩山紹瑾禅師伝)とあるように、 無本覚心参禅説話があるが、多くの瑩山紹瑾諸伝では触れていない。
しかしながら、無本覚心の法嗣である恭翁運良・孤峰覚明(1287~1361)は 実際に瑩山紹瑾のもとに参禅しており、その後も無本覚心の法脈である法灯派と 曹洞宗の関係は続くこととなる。
律宗では久米多寺の道爾(1254~1324)に無本覚心参禅説話がある。
道爾は由良法灯国師(無本覚心)の道風を聞いて、興国寺(西方寺)にむかった。 無本覚心はあらかじめ衆徒に「三日の後に嘉賓(よい客)がやって来るだろう」といった。 禅爾がやって来たということを聞いて、無本覚心は歓喜し、禅爾に対して慇懃に接し 誠実に対応したため、禅爾は宗旨を理解することが出来た。 (『延宝伝灯録』巻第34、泉州久米田寺円戒禅爾法師伝)