現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ラジオ体操

2009-08-31 09:18:19 | 社会問題
朝起会の帰り、車の中で「ラジオ体操」を聞いた。
何か変だ? バックにざわめきが聞こえる。主婦の
話し声、笑い声や嬌声も。

夏休み期間中、各地に巡回して行われる。「今日は
最後、奈良県吉野町」とのことだった。

ラジオから伝わってくるのは、まじめに体操をやって
いるとは思えない騒ぎだ。「笛吹けど踊らず」。
体操の号令をかけるお兄さんもやりずらそう。
必死のような、投げやりのような声。

夏休みのこども会でも、最近は「ラジオ体操」をやらない
地区が増えてきたらしい。「前に出てできる人がいない。
子供たちもまじめにやらない」という理由だそうだ。

「子供にやらせきれない親」それ以前に「範を示せない親」
が増えてきたことが、ラジオ体操を見ても言えるようだ。


夏休みにかぎらず、公園などで早朝ラジオ体操をやって
いるのをみかける。集まっているのは年寄りばかり。

私の頃は、中学でテストがあり、完全に覚えさせられた。
私ももう年寄りの仲間入りか。

自民惨敗・民主圧勝

2009-08-31 08:58:27 | 社会問題
大方の予想通り、「自民惨敗・民主圧勝」となった。
自民も民主も“同じ穴のむじな”だと思うのだが、
世の中「政権交代」と大はしゃぎ。

前回選挙も“変革”を期待しての自民党勝利だった。
それが、期待とは裏腹の結果に、民意は自民に愛想を
つかした。今度は民主党政権のお手なみ拝見。ホントに
民意に答えられるのか? 首脳陣も戸惑っているのでは?

上げ潮に乗って、民主なら誰でもいいとばかりに、新人
が多く当選した。名うての政治のプロが新人に負けた。
今やなんでも素人がもてはやされる時代となった。

古い価値観、常識がもはや通用しなくなったか。「老兵は
消え行くのみ」と思い知らされる。

衆議院総選挙

2009-08-30 18:53:00 | 虚無僧日記
8/30 衆議院総選挙の投票に行ってきた。いつも閑散と
しているのに今日は違った。行列ができている。若い人が
多い。投票率70%超との声も上がっている。いいことだ。

ところが、さて、自民党、民主党、共産党それぞれに
おつきあいがある。「実質総裁選」となると決めかねる。

今朝の新聞コラムで「自民党は老屋、民主党は仮設住宅」。
また「自民への不信、民主への不安」とも、なるほどである。
「投票する候補者を決めていくか?」の問いに「6% が、
『行ってから』、これまた意外」とあった。 

今日ばかりは、鉛筆握りながら、しばし逡巡。結局「×」を
書いてしまった。ようするに投票に行ったが「棄権」だ。
誰の話も「聞けん」では、世の中ますます「危険」になるか。


天竺尺八のホッフマン

2009-08-27 07:36:38 | 筝尺八演奏家
8/21 T.M.Hoffman が 夜行バスで名古屋に来たので、
早朝5時から3時間、朝食を共にしながら話を聞く。

23.24 の2日間、東京福祉大学名古屋校でのセミナーに
講師として呼ばれていて、ついでに、その前後の21と25日
県芸術センター内の一室で「インド音楽と筝、尺八」の
デモンストレーションをやるのだという。さらに24日の
夜は、知多半島の河和、25日の夜は犬山に行くという。
彼のスケジュールを見ると、連日ビッシリ。年に何日かは
インドにまで行っているのだから、そのバイタリティには
驚かされる。

ホッフマンは、インド音楽を筝と尺八で演奏する。インドと
日本楽器の融和を通して、インド人と日本人の考え方の相違
を哲学的に論じて、現在は慶応大学の国際コミュニケーション
学科? の講師だというから、恐れ入る。

彼の話は、インド哲学から、仏教、雅楽、真言密教、声明など
関連知識が必要で難解だ。彼の話は何回か聞いているが、
私でもついていけない。この話だけ判った。

「コップは楽器、中に入っているものが音楽。日本人は、この
コップには水しか入らないと思っている」と。なるほど、
レストランで、水、ジュース、牛乳、コーヒーと紅茶、緑茶と、
みな入れ物が違う。「インド人は、一つのコップに、何でも入れて
飲む。ただしコーヒーに牛乳は合うが、牛乳とオレンジジュースは
合わない。合うもの合わないものを見分ける目と耳を持っている。
日本の筝はインド音楽に最もふさわしい」と彼は言う。


ホッフマンの筝と尺八

2009-08-27 06:45:00 | 筝尺八演奏家
8/25 T.M.Hoffmanのインド音楽を聴きに行った。
例によってインド流、15分遅れ。名古屋の小室真里さんの
サントール演奏が60分も続く。

サントールは台形の箱にスチール絃が3本セットで30音
90本ほど張られていて、木の細い撥で叩いて音を奏でる。
ピアノの原型といわれる楽器。スチール絃で、マイクを
近く当ててスピーカーで増幅するから、キンキンキンキン、
私には、耳障りで辛い音だ。

後半、ホッフマンと入れ替わる。ホッフマンは日本の筝で
インド音楽のいくつかを演奏した。筝の方が心に優しく響く。
やはり日本とインドは対象的。彼は、曲ごとに筝の柱(じ)を
すばやく動かして調弦を変える。その耳の良さには感心。

演奏は右手左手の指10本全部使う。日本人は爪をはめた3本
で弾くものと固定観念にしばられている。「10本も指がある
のに、なんで使わないんですか?」は、インド人。日本人は
「制約された中でこそ、最大の表現」なのだ。

チェロの弓も使って弾く。筝も弓で弾けばチェロのような
音が出せるのかとびっくり。

サントールの撥でも叩く。とにかくホッフマンの手にかかると
筝が筝でなくなる。余韻も異様に長い。3秒ほども続く。
その余韻を半音、一音、一音半と押し手で音を変える。その
音程の正確さは、日本人顔負け。

最後9時過ぎて、ようやく尺八登場。彼が吹くと尺八も尺八で
なくなる。インドの竹の長い横笛バンスリーでメリ、中メリを
吹き分ける。これも日本人の尺八家顔負け。

価値観、固定観念を捨てると、別のものになってしまう。尺八も
筝も、我々が知っている以上に、幅広い可能性を秘めていることを、
外国人によって思い知らされる。


インド人と日本人

2009-08-27 06:20:27 | 筝尺八演奏家
「インド人と日本人は“火”と“氷”。全く考え方が違う」と
ホッフマンは言う。

日本人は、時間は定規のように引かれていて、その上に
きっちり計画を立てて、予定通りに動こうとする。
インド人は「予定なんか立てたって、列車やバスが来な
かったらどうする?。コンサートだって、マイクがない、
途中で停電になった。さぁどうする。時間は常に“今”
しかない。“命”あるこの瞬間をどう生きるか。停電に
なった。さぁどうする。その瞬間瞬間のその人の生き方が
見られている」と、

インド人の時間にルーズなのは、全くあきれる。腹が立つ
ほどだ。昨年、名古屋でのコンサートに立ち会ったが、
まず、予定の時間に来ない。「名古屋城を見学していた」と
4時間遅れで、本番ぎりぎりに到着。リハーサルも打合わせ
もなし。プログラムも無し。終演時間の8時を過ぎても一向に
終わらない。「お客さん、帰りたい人は帰ってもいいよ」と。
そして、9時には楽屋を引き払わなければならないのに、
おしゃべりばかりしていて、一向に片付けない。さんざん
せかして10時。「もう駐車場がしまって車が出せなくなるから」
といってもダメ。車と荷物だけ外に出して、外で全部片付け
終わったのが、夜11時過ぎだった。もうみなに迷惑かけて
平気。そんな経験があるから、もうインド人とはつきあえない。

その“火”と“氷”のインド人と日本人の間をとりもつのが
ホッフマンの役目。国際コミュニケーション学科とは、双方
の考え方の違いを顕わにして、その上でどう理解しあえるか
考える学科なのだそうな。尺八でインド音楽、そしてコミュニ
ケーション学科の慶応大学の講師。すごい展開だ。

① 九州~山陽道を廻って

2009-08-22 21:45:24 | H21. 8月 九州、中国地方への旅
8/18 8日間の虚無僧の旅から帰ってきました。

毎年、お盆には先祖供養を兼ねて旅に出ます。
今年は、西南戦争で戦死した祖父の兄の墓を訪ね、
大分まで行きました。

事前に、小菊さん、家股さんが手配をしていただき、
また大分護国神社や佐川官兵衛記念館に手紙を送って
おいたので、行く先々でいろいろな方にお世話になり、
有意義な旅でした。

12日午前 豊後高田の「昭和の町」で 虚無僧行脚
   夜  国東市富津の「夕涼み会」の舞台で 尺八吹奏

13日午前 国見町竹田津の大光寺 
      なんと「普化宗の日本開祖、法灯国師開山の寺」でした。

14日午前 臼杵市大橋寺 (西南戦争で警察隊の宿所となった寺)
   夜  大分市に戻り護国神社の「みたままつり」で尺八吹奏

15日  南阿蘇の「佐川官兵衛記念館」と戦死の地
     中津の「福沢諭吉生家」

16日  福岡県豊津の郡長正の墓
     下関「赤間神社」耳なし芳一の像と平家一門の墓     
     
17日  倉敷
     備中高松 清水宗治の墓

18日  京都黒谷金戒光明寺「会津藩墓地」
 

② 8日間で 2,000kmの旅

2009-08-22 21:45:12 | H21. 8月 九州、中国地方への旅
昨年は「青春18切符」で四国一周。旅費は12,000円で済んだが、
各駅停車だとえらい時間がかかる。1日の大半が列車の中だった。

そこで今年は、新幹線と在来線で大分県中津まで行き、中津で
レンタカーを借り、国東半島を一周、大分、臼杵、竹田、阿蘇と
600kmを走破した。12,13,14,15の4日間はレンタカーで移動。

レンタカー代金は1日当たり4,000円。車中で寝れるから、ホテル
代よりは安い。また、しばしば雨に降られたが、雨の時は車を走ら
せているか、車中で仮眠したので、楽な旅だった。

その後、16,17,18 の3日間は、普通列車を乗り継ぎ、下関、尾道、
倉敷、岡山、京都と廻ってきた。

大分まで往復乗車券とレンタカー料金、ガソリン代で5万円。
食事は、三ヶ所でごちそうになった。それ以外は、1日 おにぎり
3個。虚無僧で旅すると、全くお腹が空かない。何も欲しくなく
なるのだ。トイレが困るということもあって、ほとんど食べない。
それでいて、帰宅して体重を量ったら、1kgも減っていなかった。


③ 8/11 大分県中津

2009-08-22 21:44:33 | H21. 8月 九州、中国地方への旅
8/11(火) 静岡で地震があり、新幹線が大幅に乱れた。
夜7時名古屋を発って一路小倉へ。30分遅れで小倉に着き、
日豊線に乗り換え、夜11時過ぎ、中津に着いた。

豊前中津は福沢諭吉先生の出身地。駅構内にも、福沢諭吉の
写真や、『独立自尊』の額が飾られていて、駅前には福沢諭吉の
大きな銅像が立つ。その駅前のバス停のベンチで夜を明かす。

朝5時でもまだ暗い。レンタカーの事務所が開くのは8時半。
それまで市内を散策する。

福沢諭吉通りなどもあって、武家屋敷街や寺町など城下町の
面影を残す。福沢諭吉の生家も行ってみた。以前来た時は
無かった記念館が建っていたが、当然閉まっていて入れず。

中津城は黒い板張りで風情がある。散歩の人もチラホラ出
だした。漸く8時半になって駅レンタカーの事務所が開き、
手続きをして、軽自動車を借りる。

中津を発ったところで雨。散歩中でなくてよかった。
ひとまず国東半島の入り口豊後高田に向かう。