現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「絶対にない」ということは無い

2016-07-19 11:05:56 | 虚無僧日記

2週間 虚無僧“ 行乞”。“修行”と書くのはやめた。

今また借金地獄の私。所持金ゼロ。とにかくお金が欲しい。

“どんとぽっちぃ” である。チラシ配りでも 皿洗いでも

仕事はいくらでもありそうだが、「尺八以外に 吾を生かす道は 無し」

などと こだわっているから 地獄から這い出れないでいる。

谷狂竹と同じ。「尺八吹くほかに能は無し。きょうちく恐縮」。

 

さて、「最近は布施くださる方も居なくなった」とか、

「栄はダメ。名古屋駅に客をとられて、地盤沈下。人通りも少なくなって

布施してくれる人もいない」「外国人が増えたが、外国人は全くダメ」。

「若い女性がめっちゃ増えた。彼女たちは、全く虚無僧には縁がない」

などなど、つぶやくところだが、「絶対に・・・ない」ということは

「ない」ということを悟る日々でござる。

まず栄で、外国人(白人系)のすてきな若い女性が二人、通り掛けに

それぞれが スッと、1000円札を入れてくれた。

名古屋駅では、若い20代の日本人女性が近寄ってこられ、

「どのように(すればいいんですか)?  お参りするんですか」と

手を合わせられる。「いえいえ、私の方が地獄で仏に会った心地です。

あなたは私にとって観音様です」というと、布施された後、彼女は

「ありがとうございます」とニコニコ笑顔。そして10mほど行って、

また、大きな明るい声で「ありがとう!」と手を振ってくれました。

 

地下の商店街を歩いていたら、スラリとしたモデルさんのような女性に

「すみません」と後ろから呼び止められ、私はドギマギ。

「虚無僧さん めずらしいですね。初めてみました」。そして喜捨された後、

「写真撮ってもいいですか」と、スマホでパシャリ。

「大事にとっておきます」と言い残し、身をひるがえして去って行きました。

 

また、高校生の女の子が「これ貯金箱?」と。「いえ賽銭箱です」。

それで布施してくれた。「これはリコーダー?」「あなたはおりこうだぁ、

これは尺八だぁ」と ダジャレで返す。

高校生の3人組の一人が「なんで顔隠してるんですか」と聞いてくる。

「恥ずかしいから」「うそぉ」「見たい?」「うん、見たい見たい」

「見て驚くなぁ」と天蓋をちらりと上げる。そして話がはずむ。こんな

若い子と会話ができるのも コスプレ虚無僧だからか。

 

とにかく、2週間で10人の若い女性に喜捨いただいた。それも4人は千円札。

これまで20年間で 布施していただいた若い女性は10人ほどしかいないのに、

この2週間で10人とはすごいことなのです。

実は 胸ドキドキ、胸キュンの私なのですが、まぁ 楽しい毎日でござる。

 


虚無僧日記 7/18

2016-07-19 11:04:48 | 虚無僧日記

7/18 名古屋駅前の路上

3時間吹いて、お布施をくださった方は3人。

夜10時。前の石段に、一人の女性が腰を下ろした。

30歳ぐらいの美人。服もおシャレ。しばらく目を閉じて、

瞑想している。私の尺八を聞いてくれているのだろうか。

「まさか」と 心の中で打ち消していたら、

しばらくして降りてこられ、私の左横に腰を下ろして

「何か食べた? 」と、カタコトの日本語。ハーフらしい。

返事にとまどっていると「おなかすいてない?」と。

欲を捨てる修行だから「お腹すいてます」とは言えない。

「大丈夫です。夜は食べません」と答えてしまった。

彼女は手にした紙袋の中のものを私にくれようとしていた

ようだが、「食べません」と言われて困ったようだった。

「何が目的?」と。「お金です」とはさすが言いずらい。

「こうして声をかけていただく、すてきな出会いを求めているのです」と。

「お寺はどこ?」との質問に、外国人に虚無僧を説明するのは

むずかしい。

そこへ、ホームレスが割り込んできた。私の右に座って

「どこに住んでるのか」とかいろいろ聞いてくる。

かの女性は、つと立って行ってしまった。ホームレスの男が

「それを貸してみろ」というので尺八を貸した。

世が世なら『慶長の掟書』を振りかざして、手打ちにしても

咎められないところだが、今は、逆らわない、流れに任せる修行。

貸してやったが「鳴らない、難しい」とすぐ返してきた。

「なんで鳴らないんだ」と聞くから「鳴らないと思うから鳴らない、

鳴ると思えば鳴る。難しいと思うから、できない」と。

そのうち、「仕事が無い、3日も食べてない。あんたはいいな、

家はあるんだろ。オレは住む所もない。その(ゲ箱)の中にお金

たくさんはいってるんだろ。少し分けてくれ」と。

それで ゲ箱を逆さにしてみたら、出てきたのは10円玉。

彼も(私も)一瞬がっかり。さらに振ったら100円玉が 2個。

「これで全部」と 210円を 上げてしまった。彼はそれで

あきらめて行ってしまった。

一文無しになった私はそれから また立ち続けた。

するとほどなくして、カッコいい若者が近寄ってきて、

「托鉢ですか?」と。「はい」と答えると、財布から千円札を2枚も。

これぞまさに 神様 仏さまの救い。

つくづく思った。私とホームレスの違い。「難しい、できない」

とすぐあきらめるから、仕事もない、金もないのだ。

それでは虚無僧も無理。

『邦楽ジャーナル』に「虚無僧と物乞いの違い」を書こうとしていた

ところなので、よい体験ができた。すべてはプラスに。

 

 


虚無僧 行乞 一週間

2016-07-15 15:17:49 | 虚無僧日記

『邦楽ジャーナル』に「虚無僧曼荼羅」と題して連載寄稿しています。

ネットでも虚無僧関係の書でも教科書でさえも「虚無僧は禅宗の一派

普化宗の僧。武士でしかなれなかった。尺八は虚無僧以外には吹けなかった。

公儀隠密で、幕府の手厚い保護を受けていた。明治になって江戸幕府と

関連が深かったので廃宗となった」と書かれています。

尺八家の多くがそう信じていて、そのように公言してはばからない。

とんでもない大嘘です。ホラ吹きならぬ、尺八家は大嘘つきです。

ではなぜ虚無僧は普化を始祖とするのか、普化禅とは何なのか、

それを究明するために、私自身 虚無僧として行乞をしています。

普化尺八愛好家の方がたは、私のように「喰うために托鉢する」行為を

「行乞」、乞食の所業と見下し、軽蔑しています。

喰うために布施を求めるのは「乞食」。「虚無僧の托鉢は行化。行化とは

普化禅の高揚、普及、人々を仏の道に導く行為でなければならない」と

おっしゃいます。

一日 裸で 街頭をうろつき、乱暴者で奇行を振りまいた普化のどこに

高尚高邁な禅僧の姿があるというのでしょうか。

一休は、普化を信奉し、名誉や肩書を捨て、風狂で奇特の行動で人々を

驚かせ、善悪の基準、世の常識、こだわりを捨てることを 自らの行動で

示しました。奇行によって、世の人の覚醒を促す。それが虚無僧であると

私は信じるのです。

 

 

 


若き志士たち

2016-07-15 12:18:32 | 山口県と虚無僧

橋本左内 『獄中の作』 

   二十六年 夢の如く過ぐ  顧みて平昔を思えば 感滋多し

  天祥の大節 嘗て心折す  天祥の大節 嘗て心折す

 橋本左内は 越前(福井)藩の医師の倅だったが、攘夷を論じ、

安政の大獄で斬首させた。時に 数えで26歳(満25)。 

吉田松陰も 29歳で没したと知って、維新の志士の没年を調べてみた。

橋本左内   25  安政の大獄による処刑
吉田松陰    29  安政の大獄による処刑
頼三樹三郎  34  安政の大獄による処刑

井伊直弼   45  水戸浪士による暗殺

姉小路公知  24  田中新兵衛による暗殺?
清河八郎    33  佐々木只三郎による暗殺
芹沢 鴨     36  新撰組による暗殺
吉村寅太郎  26  天誅組の乱において大和にて自刃

入江九一   27  禁門の変にて自刃
久坂玄瑞   25  禁門の変にて自刃
国司信濃   22  自刃
中山忠光   20  長州藩恭順派による暗殺?

岡田以蔵   27  処刑
武市半平太  36  自刃
藤田小四郎  23  処刑
山南敬助   32  自刃

伊東甲子太郎  32  新撰組による暗殺
藤堂平助    23  新撰組による暗殺
坂本竜馬    33  見廻組による暗殺
中岡慎太郎   30  見廻組による暗殺
高杉晋作    28  肺結核による病死

世良修蔵   33  仙台藩士による暗殺
沢村惣之丞  24  自刃
神保修理   30  自刃
近藤 勇    34  板橋の刑場にて処刑
相楽総三   28  「偽官軍」として新政府により処刑
山本帯刀   23  官軍による処刑
沖田総司   27  肺結核のため病死
佐々木只三郎  35  鳥羽伏見で負傷し、紀州に逃れて死
原田左之助  28  上野戦争にて戦死

土方歳三   34  箱館五稜郭にて戦死

あの厳(いか)つい顔の近藤勇でさえ、京に上った時は29歳。
会津藩主松平容保が京都守護職に就いた時は 26歳。
その弟で桑名藩主松平容敬は、京都所司代になった時 17歳。

現代では信じられぬ。歴史に名を残した人たちは、みな20代で
ヒーローだったからか、最近のアニメやゲームソフトで描かれる
武将の顔はみなイケメンだ。それが“歴女”ブームになっている。
いいことだ。

私はもう 2.5倍生きた。「人生50 功無きを恥ず」(細川頼之)の心境



私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp



世間の愚弄と嘲笑を浴びながら

2016-07-11 16:07:41 | 虚無僧日記

貯金は一銭もない。食べるものも底を尽いた。

この一週間゜、7日間の内雨天の2日を除いて 5日虚無僧に出た。

名古屋駅前は 華やかな若者たちで溢れている。その片隅に

異様な虚無僧。しかし誰も見向きもしない。気づかないのか

無視゜しているのか。

彼らの冷ややかな嘲笑と愚弄に堪えながら、ひたすら尺八を吹く。

騒音迷惑にならないように、細心の注意を払い、一音一音に心を

こめて吹く。 だが3時間吹いても反応はなし。

絶望とあきらめの窮地に立たされた時、一人の若者が、通りすがりに

さりげなく小銭を入れてくれた。そんな時、絶望の中に一筋の光明を

見た気がするのだ。

 

周囲にはチラシやティッシュを配る人、広告のプラカードを掲げて立つ人。

そのバイトの方が、よほど収入になるだろう。1日で6000円とか。

でも私にはできない。私には尺八しかない。私にとって尺八は

唯一の生きるための道具なのだ。そこまで追い詰められて、ようやく

普化の禅を悟れるのだと私は思う。

 


「普化の禅」とは

2016-07-11 09:17:16 | 虚無僧日記

中塚竹禅によって「普化と法燈国師と虚無僧は本来無関係」ということが

明らかにされたが、それは「普化禅」を否定するものではない。

ここが大事。中塚竹禅はいう。

「法燈国師や興国寺のおかげで、今日の尺八界が現出したのではない。

野に山に里に、あるいは他人の軒下に、樹下石上に、涙ぐましい苦難の成長を

遂げてきたのが、純真なる普化道者。喰うものもなく、着るものも無く、野に伏し、

山に寝、全国を旅し、ひたすら(尺八の)曲を求め、音を尋ねて、幾日も幾夜も

眠らない日を続けた先覚者たち。立身出世や栄耀栄華を捨てて、専心尺八に

自己を没し、社会の愚弄と嘲笑を浴びながら、尺八一本を守って来た。

それこそが まことの普化道なのだ」。

この竹禅の地の底からの叫びに私は落涙滂沱。竹禅にとって尺八は

余技ではなく生きる命そのものだった。

私もその片鱗を拝し、今、尺八を杖として生きているのだ。