現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

昔は 支払いは「掛け売り」。月末払いだった

2023-02-02 19:48:52 | Weblog

今朝Yさんの話。「私の夫は、床屋に行っても、買い物をしても                                    お金を払ってこない。私がいつもあとから払いに行っていた」と。

子どもの頃を思い出した。毎年夏休みは 父母の実家の会津で過ごした。

母の実家には毎日魚屋さん、八百屋さんが、リヤカーをひいてやってきた。
魚屋さんは調理場で魚をさばいて帰って行く。床屋さんも来た。祖父は
四畳半ほどの鏡の間で床屋さんに髪を刈ってもらう。祖母は日本髪の
髷を結ってもらっていた。

隣りはヤクルトの販売店。窓から手を出せば、ヤクルトをもらえた。
どれも支払は月末払い。そこで生まれ育った従兄弟は この世に“お金”
というものが存在することを、小学校2、3年まで知らなかったようだ。
向かいの駄菓子屋で欲しいものがあれば「これちょうだい」で、お金を
払わないで 貰ってこれたからだ。

こんな話も。戦争中「牧原」という将校が会津の連帯に赴任してきた。                              「牧原」というと、どこでもツケがきくので、料亭でさんざん飲み食い                                したようだ。その請求書がわが家にきた。覚えのない請求に、                                   調べてみると、同姓の将校とわかったそうな。


野口雨情 『赤い靴』

2021-09-04 05:08:23 | Weblog

赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて 行っちゃった

この曲は尺八によく合う。しかしまだ人前で吹いたことはない。
子供の頃、この歌から、私は潜在的に外人恐怖症になった。
赤い靴を履いている子は外人に連れて行かれる。外人は人さらいかと怯えたものである。英語嫌いになったのもそのせいだ。

太平洋戦争で負けた日本には、何千人もの戦災孤児やアメリカ兵との混血児が生まれた。

そうした孤児をひきとって養育していたエリザベス・サンダース・ホームの宣教師が、2千人もの孤児を、アメリカ人に養子として斡旋し、高額の金を得ていたことが問題視され、異人さんは「人買い」だと騒がれた。

私は「赤い靴をはいてた女の子」は、てっきり、戦後の話かと思ってた。

そしたら、『赤い靴はいてた』の歌は、1922年(大正11年)、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡でした。

この歌のモデルがいたということが、1974年北海道テレビで放映された。「その子は 静岡県清水市生まれ、北海道に渡り、生活苦からアメリカ人牧師に貰われ、アメリカに渡るはずだったが、結核で、麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられ、9歳で亡くなったというもの。

番組を制作したのは、北海道テレビの記者「菊寛」で、1979年には『赤い靴はいてた女の子』という本も出版している。

その話を元に、日本全国ゆかりの地に「赤い靴の像」が建てられた。

1979年、横浜山下公園に『赤い靴はいてた女の子の像』が作られた。
1986年、日本平『母子像』
1989年、東京麻布十番『きみちゃん像』
1991年、北海道留寿都村『母思像』
2007年、北海道小樽市『赤い靴 親子の像』

ところがところが、この話は「菊寛」の捏造だという話も出てきた。
「あの文豪の菊寛が?」と思ったら、「文豪 菊寛」は1948年に亡くなっている。同姓同名の別人。記者の名前まで嘘くさい。

(補足)

コメントで、北海道新聞(テレビ)の「菊地寛」は「地」。文豪の「菊池寛」は「池」と字が違うとのご指摘をいただきました。


広島原爆に思う

2021-08-13 15:54:31 | Weblog

私の父は、戦争のことを決して語ることは無かったが、父が亡くなって
遺品を整理していて、父が書き残した『従軍記』が見つかった。今それを
私は『牧原五郎-日中戦争従軍記』として、別ブログを開き、書き込んで
いる。ぜひそちらも見ていただきたい。

そこには、中国人への残虐な行為や従軍慰安婦のことまで書かれている。

私は、父の証言だけでなく、日本人が犯した残虐行為を見聞きするにつけ、
この国の人は本当に「和」を愛する民族なのかと疑いたくなる。
日本人は約3百万人が戦争で亡くなったが、それを上回る数の人を殺して
いる。10倍の3千万とも言われる。
何事も裏と表の見方があって、「原爆被害者」と声高に叫ぶ日本人に対して
東南アジア諸国は「原爆で戦争が終結し、一千万人の命が救われた」と思って
いる。久間防衛大臣の「仕方なかった」発言は、ある意味では世界の共通認識
なのだ。ただ「核兵器の根絶」という点では、「しょうがない」は許せない
という理屈は解かる。


政府は従軍慰安婦問題についても、沖縄の集団自決についても、南京虐殺に
ついても、これは軍の責任とか、旧憲法下の日本政府のことで、今の政府は
関係ないなどと、責任逃れしているが、これは日本人全体としての罪だ。
広島の人が、「罪もない人が殺された」と云うのに対して、諸外国の目は
「本当に責任はないのか?」と手厳しい。日本国民一丸となって戦争に加担
していたではないか。それを頬かむりして、責任を一部A級戦犯にだけ
押し付けて、自分たちも被害者のように装うのは如何かと思える。

私の親戚には、東条英機に逆らって投獄され、拷問の末、割腹自殺した中野
正剛がいる。また硫黄島で戦死したバロン西も遠い親戚に当たるらしい。
サイパンで玉砕した人もいる。戦争の愚かさを思う時、「憲法9状」を守る
のは当然のことと思うのだが、改憲を唱える理由はどうしても理解できない。
イラク戦争もますます泥沼化して死者は増えるばかり。あのヴェトナム戦争
は一体なんだったのか。武力で平和は勝ち得ないことは証明済みだ。


虚無僧で、天竜川沿いの村々を回ったとき、「殉国の家」という札が、あち
こちの家に掲げてあるのを見た。夫を父を息子を、働き手を失って、遺族は
どんな思いで戦後を過ごしてきたのか。涙にかすみながら、深い鎮魂の思い
を込めて「手向け」を奏する。今年も暑い夏。また虚無僧の旅に出る。


なんか変だがや

2021-03-02 18:32:49 | Weblog

いたずら高校生を殴った警官逮捕。
「犬が人に噛み付いてもニュースにならないが、人が犬に
噛み付けばニュースになる」といわれたのは、ひと昔前。
今は、犬が人に噛み付いてもニュースになる。

高校生のいたずらなんて、昔もひどかった。非番の警官で
なくても普通のおっさんが「こらっ!」と、頭殴って叱る
ことはしょっちゅうあった。警察沙汰にも、ニュースにも
ならなかったはずだ。
これで警察官が処分されれば、高校生達は反省するどころか、
ますます増長するだろう。処分しなければしないでマスコミ
は叩く。高校生の悪ふざけを野放しにするのはマスコミと
いうことになる。マスコミが今や司法の番人気取りだ。

マスコミ人って、そんなにえらいのか?
政治家の不正経理処理、重箱の隅つついて、鬼の首取ったように
騒ぎたてているが、自分たちは、取材費、制作費、一切ちょろ
まかしていないと、胸張って云えるのか。

とにかくパッシングと、バレなきゃいい不正の手口を暴いて、公表
して、次なる犯罪を誘致している。マスコミが犯罪を作り出している
としか思えない。犯罪の抑止に役立っているか、自問自答してもら
いたい。

放送倫理規定では、10%だったか、教育的配慮が求められている
そうだが、社会を悪くしているのは、マスコミの興味本位、煽動的
な報道姿勢ではないのか。

「テレビで1億総白痴」と言われたのは、昭和40年頃ではなかった
かのォ。



とんちんかん

2021-03-02 18:31:26 | Weblog

言ったことが全然伝わらない。とんちんかんな人も
いるものだ。「goo 何でも質問」で「公務員の破廉恥
犯罪はなぜ多い?」と質問された方。回答を寄せられた
方に、お礼のコメントを書いているのだが、これが、
的はずれでとんちんかん。

江戸時代のことなど、何も書いてないのに、「わかり
ました。公務員がいばっているのは江戸時代からなん
ですね」と。

公務員の犯罪件数は、H18年警察庁統計で「総犯罪検挙
数の0.4%(1688件)」と、わざわざ調べて、詳しく
解説しているのに、「公務員の犯罪率の高さには困った
ものと理解できました」と。ちっとも多くないです。

「公務員は民間にくらべて社会的信用も期待も高いから、
事件を起こすとマスコミの集中砲火を浴びる」といった
内容なのに「公務員は社会的信用が無いということが、
よくわかりました」。

何が「よくわかりました」だ。すべて逆に受け止めて
いるのだ。一体ふざけているのか?思い込みが激しい
のか。これでは回答した人もやりきれない。

一休さんも「東映アニメ」のタイトルは「とんちんかん
ちん一休さん」でしたな、なぜか。


水戸黄門

2019-05-30 20:23:02 | Weblog

今朝の「朝起会」でのご本読みで「水戸黄門様も
子供の頃は不良少年だった」という話に、目が
覚めた。「天下の副将軍、水戸のご老公、黄門様」
こと水戸光圀は、正室の子ではなく、子供の頃は
自由奔放、粗野で行儀も悪く、異様な着物をまとい、
筝や三味線を弾いたり、遊郭通いもしていたとか。

それが「庶民の心が解る名君」になる肥やしだった
のかとも思う。時の将軍綱吉の「生類憐みの令」に
歯向かって、邸内に入り込んだ暴れ犬を殺させた
とも。

テレビの『水戸黄門』の初代は、東野栄次郎だった。
それまで彼は悪役専門の役者だったとか。私には、
「水戸黄門」といえば、東野栄次郎の印象が今でも
強く残っている。

外国では、「印籠」をふりかざして「これが目に入ら
ぬか」の一言で悪人共が平服するシーンは理解でき
ないそうだ。お上のご威光をふりかざす『権威主義』
だというのだ。

ところがどっこい、水戸黄門は徳川御三家でありながら、
将軍に楯突く存在だった。水戸光圀の『大日本史』編纂
事業が、尊皇攘夷思想を広め、それが徳川幕府崩壊を
導くこととなった。政権を放り出し、幕府を潰した最期
の将軍慶喜は水戸斉昭の子だ。

介さん角さんを従えての「水戸黄門漫遊記」が人気と
なったのは、明治になってからとのこと。“幕藩体制の
非を説いた正義の人”として喧伝する明治政府の思惑も
あったと知る。
 
 
 


『羅生門』と『藪の中』

2018-04-30 09:49:13 | Weblog

黒澤明の『羅生門』は、全く不可解な映画だった。

まず内容が、芥川龍之助の原作『羅生門』とは全く違う。
内容は芥川の別の短編『藪の中』なのだ。羅生門で、乞食僧が
「自分が見聞きした不思議な話」を語るという設定で、タイトル
が『羅生門』となったのだ。話の内容は、

妻を連れて旅する武士が、山中で野盗に襲われ、妻を手篭めにされ
た上、殺される。その後、野盗(三船敏郎)が捕らえられ、裁きを
受ける。野盗と被害者の女との言い分が全く違う。そこで霊媒師が
登場し、その口から、死んだ侍の無念な心情が語られる。ところが、
三者とも、みな「自分が(で)刺した」と証言しているのだ。
普通なら、「自分は殺ってない」と他人に罪を押し付けるところが、
三人とも、「自分が(で)殺った」と主張している。この話から、
「真相は藪(やぶ)の中」というのが、慣用句になったそうな。

 完成時、大映の社長は「わけがわからん」と不評を示したが、
 ヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲ると、自分の手柄の
 ように自慢したという。君子豹変だ。

初め観た時は、私もちんぷんかんぷん。何度か観て、少し捉えら
れるようになった。三船敏郎演ずる悪盗と、殺された武士、そして
その妻、三者とも、面子にこだわる言い分なのだ。

野盗は、女に「殺してくれ」と頼まれ、男の縄をほどいて、正々
堂々切りあって勝ったのだ。と
女は、「犯された私を、夫は蔑んだ目で見た。もはや夫婦を続ける
ことはできないと夫を刺し、自分も死のうとしたが死ねなかった。
夫は「なんと妻は、野盗に惚れ、『こんな男を捨てて、あんたと
一緒になりたい』と野盗に着いていってしまった。女房に逃げられ
ては男の面目が立たない。自分で胸を刺したのだ」と。

結局、真実は「藪の中」。さらに、ラストがますます不可解。

雨も上がり、乞食僧は、捨てられていた赤ん坊を抱いて、羅生門を
立ち去ろうとする。その時、話を聞いていた一人が問いただす。
「判ったぞ、その男を刺した小刀はどうなったんだ」と。

どうやら、藪の中から、その僧は一部始終を観ていたわけだ。そして、
虫の息の侍にとどめを刺して、胸から小刀を抜いて持ち去り、売り
払って金にした。また子供も人買いに売ろうという話らしい。意外な
結末だ。

この『羅生門』も『藪の中』も、原典は平安時代の『今昔物語』。
千年を経た今日でも、そっくりそのまま、ワイドショーでも報じられ
そうな事件である。

欧米では、真相不可解な事件があると「ラ・ショーモン」というそうな。
それほど、黒沢のこの映画は、外国でも有名らしい。


岡 〇〇様から 詩が送られてきました

2016-03-19 05:06:49 | Weblog

広島を旅した時、知り合った岡弘子様から詩が送られてきました。

  虚無僧

  人や車の往来の激しい橋の上に
  虚無僧が一人佇んでいた
  風に吹きちぎられた尺八の調べに 
  知らず知らず招き寄せられたのは
  好んで尺八を吹いていた父のことを 
  思い出したからであろうか
   
  轟音を上げて通り過ぎるダンプカーの振動が
  まっさかさまに私を 奈落へ突き落とそうとしたとき
  澄み渡る音色は あたかも父の腕(かいな)のように
  危うく私を抱きとっていた

 
  来世に跨る橋に立って
  無明の闇路を辿るものたちを
  慈しむように奏でる九孔の尺八

  はていずこより来たりて 
  いずこへ立ち去ろうとするのか
  時空をさすらい歩いて 
  ふと辿りついた橋は 
  折りしも落下しきりの  
  桜の季節であった 



「美しい国」逆さから読むと

2016-02-22 02:29:42 | Weblog

本日、左派系の団体の誕生会に招かれた。自民や民主からも

引っ張られている私。拙僧は節操がない。

阿倍総理が推奨する「美しい国にっぽん」がけしからんとのこと。

 「うつくしいくに」を逆から読むと「にくいしくつう」だ。なんてことだ。

だが、わからんでもない。

半世紀昔の「古き良き日本への回帰」ノスタルジァでは、時代錯誤と

いわれても仕方ない。なんて虚無僧の私が云うのはヘンか。


実は、安倍総理の父君、晋太郎氏にはお世話になった。(社)邦楽
振興協会」を設立して、高円宮様を総裁に、安倍晋太郎氏を名誉会長
に迎えて、さまざまなイベントを企画し公演したことがあった。
大企業も後援してくれ、2000万円もの協賛金が集まった。ところが
その金を一部理事たちがさらに増やそうと、不動産投資に走り、
バブルがはじけ、破産してしまった。
それをマスコミがかぎつけて、文部省の管理責任が問われるハメに。
すると、安倍晋太郎先生は、「名前を勝ってに使われた」と告訴に
及んだ。結局これは、晋太郎先生も亡くなられて、告訴取り下げ、
被害者がいるわけではなく、うやむやになって、今では忘れ去られた。

私の名古屋左遷もこの事件と無関係ではない。
安倍晋太郎は、学校教育へ邦楽を取り入れる事を推進するなど、
邦楽家にとっては救世主だった。それを受け継ぐ安倍総理に期待はして
いるのだが、それが五割の国民が反対では、はなはだ困ることである。
全員が納得し賛同してくれる「美しい国づくり」であってほしい。


常光院八橋寺と「八ツ橋」

2015-06-07 17:13:19 | Weblog

黒谷金戒光明寺の山門脇に常光院という小さなお寺がある。
金戒光明寺の塔頭(たっちゅう)の一つ。入口に筝の柱(じ)を
イメージしたような碑があり、八橋寺と書かれている。
ここは筝の八橋検校(けんぎょう)の菩提寺なのだ。

八橋検校は、慶長19年(1614)福島県岩城平に生まれ、大阪、
江戸、福岡で筑紫流の筝を学び、その上で平調子という
ミファラシドの陰音階の調絃法を考案して、「六段」などの
器楽曲や組歌を多く作曲した。中世の音楽は陽音階だったのが、
八橋によって陰音階が広まった。

八橋の評判が高くなり、宮中に召されて、演奏を披露したが
「なんて下品な音楽」と、公卿には不評だったようだ。
たしかに雅楽とは赴きが異なる。大坂冬、夏の陣で豊臣氏が
滅び、幕藩体制の確立とともに、華やかな元禄文化が生まれる
直前の1685年、八橋は亡くなっている。この年、ヨーロッパ
ではバッハが生まれている。

江戸時代の文化芸術が庶民のものだったにもかかわらず、
音楽は陰音階だったという矛盾は、どう考えればいいのか。
詩吟も尺八曲も平調子の音階が基調となっている。

ところで、京都のお土産の代表格「八ツ橋」は、この八橋
検校に由来している。八橋は倹約家で、米櫃の底に残った粉
で焼き菓子を作ることを考えたとか。また八橋の没後、寺に
参詣に来る人たちを相手に筝の形をかたどった菓子を売って
いたとも。『八つ橋』は、橋ではなく筝(こと)の形だった。