アメリカは、広島に原爆を落とす前に37発もの模擬爆弾を投下しテストを行っていた。
8月6日広島に落とした後も5発、9日の長崎の後、14日に愛知県の春日井市と豊田市で7発。計30の都市に49発。
これをつきとめたのは、市民団体「春日井の戦争を記録する会」(愛知県春日井市)。
広島、長崎に落とした原爆の投下訓練として、米軍の特別部隊が1945年7月20日から8月14日にかけて、本州、四国の18都府県、30の都市に計49発の「模擬原爆」を投下させた。死者は400人を超え、1200人以上が負傷。
広島型の原爆は2個、その他は長崎に投下されたプルトニウム型とほぼ同じ形状の4・5トンの通常爆弾。黄やオレンジに塗られた外見から「パンプキン(かぼちゃ)爆弾」と呼ばれた。
このことは、もう25年ほど前、NHKでも報道されたが、どうも関心は少ないようだ。あまり知られていない。
私としては、「何事も一発ぶっつけ本番では事は成らぬ。用意周到にテスト、訓練をしてから成功するもの」という事例として講演などで話してきた。
それが、「赤旗」日曜版8/1号 に掲載された。
以前NHKで報道された時は、アメリカは、広島まで無事に到達できるか、日本の防空体制をも徹底的に調べつくしていたと。途中で撃墜されたら元も子もない。
それにしても、これだけ異様に大きな爆弾を落とされても、日本軍は何も気が付かなかったのだろうか。