自分のことしか頭にない私である。「そうだ『宴乃桜』さんの
ブログを覗いてみよう」と、今頃になって ようやく気づいた。
多岐にわたって、精力的に書いていらっしゃることに まず脱帽。
8月14まで遡って、やっと見つけた。私のことが丁寧に書かれて
あった。すばらしい表現力。もったいないので転写させていた
だこう。
「今日、一路様にお目にかかりました。(^^)徳島から当地に来られ、
明日は高知とか。「たく鉢」と言っていいのでしょうか、門前で吹かれたり、
吹き歩いてらっしゃいました。虚無僧のお姿を堪能しました。屋外なのに、
また歩かれているのに、素晴らしい張りのある音でした。さすがにお上手な…
まさにプロだな…と感じました。有無を言わさない実力と、人の視線を集める力、
その視線を吸収してしまう。すごいものなのですね…
一路様は「芸能」と「芸術」は違うとおっしゃっておいででした。
確かにイメージとして「芸能」といえば、現金の垢が纏わり付いている
イメージもあるかもしれません。芸術といえば、一切の雑念を寄せ付けない
磨き上げられた真空状態の芸の姿、というものかも。
そういう意味なら今日の一路様は芸術だったと思います。その存在感、
人々の目はたやすい視線でなく、喜びと、触れてはならない神聖なものを見た
という視線でした。一路様はただ自然、泰然…。天蓋を脱がれて人に話し掛ける
時の自然さ、風の様な。人々も警戒心なく会話が続くのは、そのあまりの
自然なお姿からでしょう。
色々勉強されられました。芸術とは、まずは美しくなければ。
一路様の美学、美意識、見習わねばと感じ入りました。
暑いので
「これ(天蓋)貸しましょうか?」
とおっしゃった時は大笑いしてしまいました。(^^)
スカートはいた女が天蓋かぶって往来を歩いたら…
お巡りさんが走って来るかも。(^^)しかしそういうの本当は好きな性格なので
困ってしまいます。一度借りてみたらよかったかもしれません。(^^)」
「やはり天蓋を お貸しすればよかった。詰めの弱い、
最後でひいてしまう私です」(一路)
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
ブログを覗いてみよう」と、今頃になって ようやく気づいた。
多岐にわたって、精力的に書いていらっしゃることに まず脱帽。
8月14まで遡って、やっと見つけた。私のことが丁寧に書かれて
あった。すばらしい表現力。もったいないので転写させていた
だこう。
「今日、一路様にお目にかかりました。(^^)徳島から当地に来られ、
明日は高知とか。「たく鉢」と言っていいのでしょうか、門前で吹かれたり、
吹き歩いてらっしゃいました。虚無僧のお姿を堪能しました。屋外なのに、
また歩かれているのに、素晴らしい張りのある音でした。さすがにお上手な…
まさにプロだな…と感じました。有無を言わさない実力と、人の視線を集める力、
その視線を吸収してしまう。すごいものなのですね…
一路様は「芸能」と「芸術」は違うとおっしゃっておいででした。
確かにイメージとして「芸能」といえば、現金の垢が纏わり付いている
イメージもあるかもしれません。芸術といえば、一切の雑念を寄せ付けない
磨き上げられた真空状態の芸の姿、というものかも。
そういう意味なら今日の一路様は芸術だったと思います。その存在感、
人々の目はたやすい視線でなく、喜びと、触れてはならない神聖なものを見た
という視線でした。一路様はただ自然、泰然…。天蓋を脱がれて人に話し掛ける
時の自然さ、風の様な。人々も警戒心なく会話が続くのは、そのあまりの
自然なお姿からでしょう。
色々勉強されられました。芸術とは、まずは美しくなければ。
一路様の美学、美意識、見習わねばと感じ入りました。
暑いので
「これ(天蓋)貸しましょうか?」
とおっしゃった時は大笑いしてしまいました。(^^)
スカートはいた女が天蓋かぶって往来を歩いたら…
お巡りさんが走って来るかも。(^^)しかしそういうの本当は好きな性格なので
困ってしまいます。一度借りてみたらよかったかもしれません。(^^)」
「やはり天蓋を お貸しすればよかった。詰めの弱い、
最後でひいてしまう私です」(一路)
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。