現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

助成金の問題

2013-02-28 20:50:08 | 社会問題
先日「老人会の会員水増し」で「やるせない」と
書いた件。

「老人会」にも市から助成金が出る。市は 金をばら撒き
たいから、水増し申請を歓迎してきた。しかし、老人会は
任意。そこに入らない老人もいる。そうした人から見れば、
ごく一部の老人だけが、助成金をもらって、歌ったり、
食べたり、グランドゴルフに興じたりが許せんとなる。
それで、老人会の会員数を水増ししているとの密告となった。
こうして、町内の絆も破壊されていく。それが「やるせない」
ということです。

「日本オペラ連盟」が、文化庁に6300万円水増し請求。
文化庁の芸術団体への助成金は、書類の体裁さえ整って
いれば 貰える仕組み。文化庁も黙認していたはず。
水増し請求をしていたのは、オペラ連盟だけではないで
しょう。みなヒャッとして、首を引っ込めているはず。

2チャンネルでは「オペラなんか(自分は)見ないから
助成金出す必要無し」という意見もありました。

大阪の橋下市長が「文楽なんか、あんなつまらぬものに
助成金出さん」と言ったのと同じ。個人の趣味に関わる
ものに助成金を出すのは 不公平感があります。

たしか、前回の安倍政権の時、邦楽の振興にと 140億円もの
助成金がバラ撒かれました。しかし、民主党政権になって、
「それで、邦楽人口は増えたのですか?」と詰問され、
現実は減る一方。「効果がないならやめましょう」と
大幅カットされた。

邦楽など、数ある種類、団体にどのような基準で出すの
だろうか?。「虚無僧研究会」は、もらっていないようです。
会員数600名では、少数の人だけの趣味だから
ダメなのであろうか。請求すれば貰えるものなのだろうか。

アメリカでは、国家や州が特定の文化団体に資金を
出すことは無いそうだ。税金が一部の人だけの趣味に
使われるのはたしかに不公平。オリンピックの予算に
しても国庫からはゼロ。こうした文化事業の支援は、
民間団体や個人の寄付で賄うものらしい。

それがいいと私も思う。「文楽」にしろ、関係者が
必死になって観客を増やし、スポンサーを見つける
努力をすべき。

サッカーがオリンピックからはずされるというのも、
“見(魅)せる”努力を怠ってきたからと言われます。

「虚無僧」も助成金なんか当てにせず、スポンサー
探しにガンバラなくちゃ。自助努力


水増し

2013-02-28 20:50:02 | 社会問題
「水増し」でコメントをいただきました。

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身近な所から、不適切で、不合理な業務処理を是正する
姿勢がないと、子供達、学校、教育委員会、社会、市、
県、国までが身内を庇い、公平、公正を重んずる組織と
ならないのではないでしょうか・・・
市民が自らの責任で、自らが統治する意識を持ちたいです。

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はい、おっしゃる通り。正論です。

不正を暴こうとしたら、どこでも 叩けば埃(ほこり)が
出ます。

学校だって、予算の水増し請求だけでなく。生徒数が定数に
満たないと統廃合の対象になってしまうため、“越境入学”を
黙認して、生徒数を水増ししているとか。某政治家が、
住民票を引き受けていたとかで刺されましたっけ。

医療機関や介護施設での、職員数やベット数、診療報酬の
水増しは最たるもの。そうでもしなければ赤字解消できない
という現実があるようです。

市町村や都道府県、警察までが、二重帳簿で“隠し金”
づくり。これも担当者が私腹を肥やしたわけでなくても処罰。

三菱電機が 防衛省や宇宙航空研究開発機構、内閣衛星情報
センターとの契約で 水増し請求。NECでも行われていた。

建設業界の工事費の水増しは当然の如く行われています。
不動産部にいた時は、業者から出された見積もりを
精査するのが仕事でした。あまり厳しくすると、今度は
手抜きをされますので、その“目こぼし”の 匙加減が
大事でした。

建設業界に限らず、出入りの業者は、指名を受けるために、
代金を水増しして、利益の一部を担当者にバックする
という黒い噂など、そこら中にあります。

NHKでは、番組制作費を水増ししていたとかで、
ディレクターがクビになりましたっけ。

私も社内報ビデオの制作をしていましたので、判ります。
良い映像を撮ろうとすると、いくらでも金が要ります。
出張取材や打ち上げの時など、カメラマンやスタッフの
人たちに、飲ませたりもしてあげたいですが、そういう
金は、私のポケットマネーからでした。

この他にも、宗教団体の信徒の数。デモや集会時の
参加者数について、主催者の公表数。

とうとう、国勢調査の結果まで。

税金逃れのために、経費は水増しして、利益を抑える
など。あの板東さんでも・・・・。

要は、程度問題ですが、どこまで許されるのかが問題。

「水増し」を告発して「水澄まし」。
しかしね、「蒸留水」では魚住めず。

「白河の 清き流れに耐えかねて、もとの田沼となりにける」
ですわ。


北京のスモッグ深刻

2013-02-28 13:30:49 | 「八重の桜」
北京「深刻な汚染」、スモッグ覆われ高速道閉鎖(読売新聞) - goo ニュース

微小粒子状物質(PM2・5)とやら、北京周辺を覆いつくし
深刻な事態になっている。一昨年、北京に行った時、空港の
ターミナルビルの両端が スモッグで霞んで見えなかった。
今年はそれ以上。

濃度が1立方メートル当たり、一時500マイクロ・グラムとなり、
日本の環境基準値(1日平均濃度35マイクロ・グラム以下)の
14倍を超えたとのこと。

視界は400mで、欠航が相次ぎ、高速道路も各地で閉鎖された。
小松左京のSF小説『首都消失』の光景を思い出す。


東日本大震災による津波の映像を見て、中国人が「日本沈没」と
喜んだそうだが、“自分の頭の蝿を払え”じゃ。こりゃ、経済
優先政策の失敗。心肺停止になりかねない。心配あ~る。


“対岸の火事”ではない。やがて日本にも影響が来る。尺八家は、
息を吸えなくなって廃業じゃ。

人数の水増し

2013-02-27 15:50:08 | 社会問題
人口水増し、前副町長に「数百人足りない」報告(読売新聞) - goo ニュース


愛知県東浦町での国勢調査の人口水増し事件。
「市」になるために必要な人口5万人に 数百人
足りないことから、人口を水増しして、前副町長
が逮捕。容疑は「統計法違反」。

市になっても、人口減少で5万人を切る市が
たくさんあるとか。静岡県の「牧之原市」も
2005年に 50,655人で「市」になったが、今は
約 47,000人しか いない。

5万人に満たない市は、全789市中262市。
全市の33パーセント(三分の一)もある。

最少人数の市は、北海道の「歌志内市」。
市の要件の十分の一の 4,081人しかいない。

岩手県の「滝沢村」は、53,555人で、市の要件を
満たしているのに「村」。


町や村が「市」になることで得られるメリットは
何も無いそうだ。「東浦町」の副市長は、私的には
何の儲けにもならないのに、逮捕で 晩節を汚した。
哀れ。


ところで、「○○老人会」が解散に追い込まれた。
個人情報非開示で、町内で 65歳になった人の
情報が得られないから、どこも会員不足に悩んで
いる。すでに亡くなっている人、転居している人を、
名簿から削除せずに、毎年名簿に掲載して、市に
提出していたため、老人会長が内部告発に遭った。

会長にしてみれば、誰も引き受け手が無いのに、
会長職を引き受けて、ゲートボールだのカラオケだの、
旅行会だの忘年会だのと、地域の老人のためにと 
やってきたことが、内部告発で「助成金の不正受給」
として摘発された。

おかげで、老人会そのものが 霧散してしまった。
なんか、やるせない。

司馬遼太郎 『王城の護衛者』

2013-02-26 22:04:30 | 「八重の桜」
『八重の桜』の主人公は「山本八重」。このドラマの
脚本家は「山本むつみ」。同姓のよしみでしょうか、
熱い“思いいれ”を感じます。「むつみ」さんは
「ドラマはフィクションです」と言っておられるが、
どうしてどうして、史実に即して、いや、史料に
書かれていないような登場人物の感情まで、実に
リアルに描き出していることに感服します。

『八重の桜』は、司馬遼太郎の『王城の護衛者』に
準拠しているようです。『王城の護衛者』は、昭和40年頃
「文芸春秋」に掲載され、その後、文庫本で出版され、
2007年にも出ていますので、結構読まれているようです。

その最初に「文芸春秋」で読んだ時、(私はまだ高校生)
もう わな泣く思いで読み、ボロボロになるまで何度も
読んで、それを 後生大事に持っています。

それまで、正義の味方は「鞍馬天狗」で、新撰組も
会津も逆賊とされた史観に、司馬遼太郎が、初めて
「会津藩主松平容保は至誠の人であり、いかに
孝明天皇の信任を得ていたかを、明らかにして
くれたのでした。

当時、高校の「日本史」の教科書でも「会津は
東北の片田舎だから、世の中の動きに暗く、
旧幕府に忠誠をつくして、新政府に手向かい
処罰された」と書いてあって、私は、随分
悔しい思いをしたものでした。それが、教科書を
編纂する歴史学者の認識でもあったのです。

それを司馬遼太郎は「会津藩主は 徳川への
忠誠ではなく、孝明天皇への赤心」と書いて
くれたのです。徳川慶喜は、鳥羽伏見で、
会津藩士を置き去りにして 江戸に逃げ帰り、
あげくの果て、会津に一切の責任を押し付け
たのですから、会津藩としては、徳川慶喜には
裏切られた思いしかありませんでした。

それを司馬遼太郎は、容保の言葉として
「なんすれぞ大樹(将軍)、連枝(会津藩他)を
投げ捨つ」と書いてくれました。


松平容保の孫にあたる「秩父宮勢津子妃」もいたく
感動され、会津松平家の当主「松平保定」氏を通じて
お礼と感謝の意を述べられたのでした。

「花色」って“青”!?

2013-02-26 20:26:17 | 「八重の桜」
以前このブログで

会津藩では羽織の紐で上下階級が判るようになっていた。
上から納戸紐、黒紐、紺紐、花紐、茶紐、萌黄紐、浅黄紐。
「山本覚馬」や「秋月悌次郎」は、羽織の紐が「花色」のはず。
「青」はおかしい。

と書きましたら、『「花色」は「青」です』とのコメントを
いただきました。なるほど、Wikipedia で「花色」を検索しましたら、

「花色」とは「露草」の花の色で「明るい青」。縹(はなだ)、
縹色(花田色、はなだいろ)とありました。


「花の色」ですから、てっきり赤っぽい色かと思って
いました。びっくりです。

「縹色(はなだいろ)」なら知っていましたが、「縹色」が
=「花田色」→「花色」とは知りませんでした。

「花色」より薄く、グレイがかっているのが「浅葱(あさぎ)」色
です。新撰組の羽織は「浅葱色」で、ひときわ明るく目立つ色ですが、
実は、会津藩では、「浅葱(あさぎ)」色は 最下層の身分の色でした
とさ。

今でこそ新撰組ブームで、新撰組はヒーローですが、
『八重の桜』でも 微妙に 描いていますように、会津藩としては
胡散(うさん)臭い浪士集団で、士分扱いはしていなかった
ようです。

ところで、虚無僧の衣服も「浅葱(あさぎ)」色でした。
おしゃれな色と思っていましたが、最下層のシンボル
カラーだったとは、今日初めて知りました。ま、当然ですか。

一絃琴の尺八伴奏で

2013-02-26 12:03:34 | 虚無僧日記
2月24日 津で一絃琴との合奏練習に行ってきました。


3月13日(水)三重県文化センターの大ホールで、
「瀬戸内寂聴」さんの法話があり、その前半で
「一絃琴演奏」が40分。その尺八伴奏を務めます。
主催は「天台真盛宗」。来客は各寺の檀信徒の方々。
1,900席、全指定席で完売とのこと。

「一絃琴」は、津市分部の天台真盛宗本願寺の
住職、尼僧の「荒井真道」さん。出家される前
から、もう20年以上もお世話になっております。

「真道」さんは、ほんとに たいしたお方です。
ニューヨークのカーネギーホールに主演したのを
最後に、近江坂本の西教寺で出家得度。60歳で
「仏教大学」にはいり卒業。津の尼寺「本願寺」の
住職に抜擢されたのですから、すごいことです。

そこで一絃琴を再開し、タイミングよく、私とも
再会し、また二人でコンビを組んでの活動が開始
されたのでした。「一絃琴」の珍しさもあって、
「法話と一絃琴演奏」のセットでひっぱり凧の
忙しさ。隔年のリサイタルでは 800席のホールで、
1日2回公演。立ち見が出るほどの盛況。ついに 
1900人の大ホールとなりました。

ここまでになれたのは、運を呼び込むパワーと、
その運を活かし天空に舞い上がるなみなみならぬ
信念と能力でしょう。そのパワーに私も便乗させて
もらってきました。ありがたいことです。


ソフィアローレン『ヒマワリ』

2013-02-20 14:45:33 | テレビ・映画・芸能人
「ヒマワリ」といえば、イタリア映画、ソフィア・ローレンの
ひまわり』を思い浮かべる。地平線のかなたまで広がる
ひまわり畑。「その1本1本の下に、兵士が眠る」という
セリフは頭に残る。戦争で引き裂かれた男女の再会と別離。
哀しくせつない涙があふれる。

以前、東欧を旅行した時、共産圏から外に出るのが
いかに大変かを味わった。ハンガリーからイタリアまでの
飛行機代が9万円。ハンガリーのガイドの月収が 8,000円と
言っていたから、“年収”に相当する。往復するなら2年分だ。

それだけじゃない。空港でなんだかんだと足止めされ、
賄賂を要求される。やっとの思いで、オンボロ プロペラ機
に乗り、ガタガタ揺れながらアルプスを越えた時は、
感動だった。

そんな体験をしているので、第二次世界大戦後、ソ連から
外国に出ることはまず不可能。アントニオが祖国イタリアに
帰りたくても帰れなかった事情が理解できた。


この映画は「“誰も悪者にしていない、誰も責めていない”。
それが世界中の人の感動を呼んだ」という感想があった。
なるほどである。

一方、ネットで「あのヒマワリに何の意味があるのか
解らない」という書き込みがあった。

「ヒマワリ(向日葵)」の花言葉は「熱愛 愛慕」。また、
西洋では「常に太陽の方を向いている」ことから「主君への
忠誠を表す」との解説を読んで、「ヒマワリ」の意味する
ものが解った。

ところで、「ヒマワリ」は南国の象徴。「寒冷のロシアに
ヒマワリ畑などあるのだろうか」と思ったら、あのシーンは
スペインで撮影されたとのこと。

また「ソフィア・ローレンは悪声なので、別の声優による
吹き替え」という話を聞いたこともある。ソフィア・ローレン
に惚れた私としては、ぜひ彼女の声を聞いてみたい。

会津藩の駐屯地となった黒谷「金戒光明寺」

2013-02-19 20:01:55 | 会津藩のこと
『八重の桜』第6回。いよいよ会津藩主「松平容保」が
京都守護職を拝命して、藩兵1千名を率いて上洛。
文久2年(1862)12月24日 京都黒谷の「金戒光明寺」に
入った。

「金戒光明寺」は、法然上人が比叡山の黒谷から出て、
はじめて草庵を営まれた地。浄土宗の最初の寺であり
親鸞もここで法然に学んだ。

京都御所の東2km。寺域約4万坪。小高い山になっていて、
京都の市街が見下ろせる。大方丈と大小52もの宿坊があり、
会津藩兵1千名を収容することができた。

会津藩は、慶応3年(1867)までの5年間、藩士の3分の1
ずつを交代させながら、ここに駐留させた。その間に
元治元年(1864)「禁門の変(蛤御門の変)」が起き、
22人が戦死。慶応4年(1868)正月の「鳥羽伏見」では
115名が戦死した。
意外なのは、それ以外に5年間で 2百名以上が病気などで
亡くなっているのである。

急な階段を上っていくと、山の上の方に約300坪の敷地に
会津藩殉難者墓地』が有り、237柱の墓がある。

会津藩士は大半が神道なので、この墓地は光明寺から
借りているようだ。光明寺に永代供養料を納めた時の
報志者の名盤に、私の父「牧原五郎」をはじめ 叔父たちの
名前が刻まれていた。

牧原一族では「牧原宗仲」の墓がある。「宗仲」は
西洋医術を学びに京都に派遣され、禁門の変での
負傷者の手当てにあたり、過労で倒れたと伝えられて
いる。23歳だった。

同志社女子大のHPに「黒谷・西雲院にみる八重の
おもかげ」
と題して、山本八重が「会津藩墓地での
慰霊祭」に参加した時の貴重な写真が載っていました。



黒谷みやげに銘菓「八ツ橋」

2013-02-19 14:33:30 | 虚無僧日記
20年ほど前、初めて黒谷の「金戒光明寺」を訪れた時、
タクシーの運転手さんに「黒谷」と 行き先を告げると、
「お客さん、通(つう)ですね」と云われた。その頃は
観光で訪れる人は稀だった。

2004年NHK大河『新撰組』が放映された時、金戒光明寺も
「京都守護職本陣」を観光宣伝するようになり、客足も
増えた。

その「金戒光明寺」には、なんと近世筝曲の祖「八橋検校」の
墓もある。

「京都のおみやげ」といえば「八ツ橋」。「八橋検校」に
因んで、「箏」のカタチをしたニッキ菓子として知られている。

ところが、「本家西尾の八ツ橋」は「伊勢物語や謡曲『杜若
(かきつばた)』の舞台となった『三河の国の八橋(現 知立
(ちりゅう)市)』の故事から名付けたと主張している。

「働きに出た母の後を追った二人の幼い子が、川を渡ろうとして
溺れ死んだことから、その供養に 浮き板を八枚ならべて橋を
造った」という話。

その話から、西尾家の先祖が、橋に似せた米の粉の煎餅を
創った。そして、それを 1689年(元禄2年)に、聖護院の森の
黒谷(金戒光明寺)参道で売ったのが始まりという。

「京で一番古い八つ橋やさん」を宣伝文句にしているが、
「橋」では、上が曲面になっている説明がつかない。
その「西尾の八ツ橋」も 現在のカタチになったのは、
明治38年(1905年)とのこと。


一方の『聖護院八ツ橋総本店』では、「八橋検校は貞享2年
(1685年)に亡くなり、黒谷金戒光明寺に葬られた。その後、
師の遺徳を偲び門弟たちが、絶え間なく墓参に訪れるようになり、
1689年(元禄2年)黒谷参道の聖護院の森の茶店で、琴の形に
似せた干菓子を、「八ツ橋」と名付けて発売するようになった」と。

どちらも「1689年」創始と唱えている。「知立の八橋」か
筝曲の「八橋検校」か、さて軍配はいずれに。

ひょっとすると・・・・・。
「八橋検校」は、元は「上永検校」という名だった。それを
「八橋」と改名したのは、 謡曲の「八橋」に因んだのでは
ないだろうか。