「クリストファー遙盟」氏の著『尺八オデッセイ―
天の音色に魅せられて」(河出書房、2000年)に
こんなことが書いてありました。
彼はアメリカ、テキサス生まれ。1972年に来日。
山口五郎師に師事しつつ、1982年「東京芸術大学
大学院」を修了。
さて、その「東京芸大」に在学中、芸大の総長も
在席されたパーティで、彼は、その総長の所に
挨拶に行って「私は芸大の尺八課の学生です」と
名乗ったら、その総長曰く「芸大に尺八科なんて
有ったっけ?」と全く無視されたとのこと。
正しくは「邦楽科」の中の「尺八専攻」なのでしょう。
でも悲しいね。
そして もうひとつ。ある外交官の催すパーティに
呼ばれた時、事前に「尺八を演奏させて欲しい」と
申し入れておいた。当日、彼は紋付袴に威儀を正し、
出番を待ったが、全く無視。「いつ吹かせてもらえるか」と
聞いたら、みながワイワイ歓談しているさなか、
「その隅っこででも吹いていればいい」と。
そんな扱いなのです。日本では。
私の生徒の一人、アメリカ人の「パメラ・ロー」さん。
女性。来日して、半年で尺八をマスターし、帰国していった。
しばらくして手紙が届きました。
アメリカに帰って、日本の大使館員やらを大勢招待して
ホームパーティを開いた。その時、飾ってあった尺八を見て、
日本人は「何ですかコレ?」と。また「あぁ尺八。これは
難しいんだ。まず音が出ない」と薀蓄を傾ける人も。
そこでパメラは、やおら尺八をとって『春の海』を吹いた。
「オー、ノー」と日本人はビックリ仰天。
「日本人は“尺八は吹けない”と言うことを自慢します。
変ですね」と私に手紙をよこしてきました。
東京オリンピックで日本のお家芸柔道がオランダのヘーシングに
敗れて以来、今や相撲界も外国勢に席捲されている。尺八もだ。
外国人で著名な尺八のプロは、ジョン海山ネプチューンを初め
10人以上いる。ネプチューンは尺八の可能性を広げてくれた。
尺八でジャズでも何でも自由自在に吹く。オリジナル曲を次々に
発表し、レコード部門で「芸術祭大賞」もとっている。今日の若手
尺八奏者に何らかの影響を与えている。
実は私の尺八の師は堀井小二朗と、もう一人ネプチューンなのだ。
私の尺八もネプチューンが作ったもので、パワーも音色も従来の
日本の物とは数段違う。
第100回古典本曲の全国大会が京都東福寺で行われた時、海外
からも10人くらいの参加者があった。半数が女性。黒の道衣に
黒の袴、日本人以上にまさに堂に入っている。演奏も驚いた。
同じメロディを全員一斉に吹くだけの日本人とは違って、6人
で三重奏、四重奏でハモッているではないか。皆唖然。
日本人は伝統に固執して、なかなか殻から抜け出られない。
気がつくと時代に取り残され、忘れられたニッポンとなっている。
こうして海外から新しい息吹を吹き込んでもらえると、尺八の
世界も広がり、もっと流行ると思うのだが。
ジョン海ネプチューン氏の息子のデビット・ネプチューンが 海山氏の
ドキュメンタリー映画を制作し、このほど東京で上映されることとなった。
もう2年も前、ネプチューン氏から電話があり、「牧原さんは私の尺八を
使っている尺八家として、取材させてほしい」とのこと。
名古屋で虚無僧のシーンとインタビューを撮影。
かつて1986年、NHKkのビデオコンテストで、ネプチューン氏を
撮った私のビデオが「ドキュメンタリー優秀賞」を受賞した。
当時は、「外国人が尺八」というのは大変珍しく、奇異の目でみられて
いた。あれから30年。その当時私が撮ったビデオの映像も
今回の映画で一部使われています。
次の一文は 過去に書いた記事、再掲。
私が尺八を始めた50年前、「尺八は外国人には理解できない。
不器用な彼等には吹けるはずがない」と言われていたが、
30年前、ジョン海山ネプチューンの出現で一変した。
私が吹く『鹿の遠音』『鶴の巣篭もり』『下り葉』などは、
実はネプチューンの受け売りだ。尺八もネプチューンの
「スーパー尺八」を使っている。
さらに、You-Tubeを見れば、アメリカ人やその他の外国人に
よって、もっと前衛的で禅的な奏法の「本曲」がさかんに
アップされている。
一方、中国(台湾)人の文松章簫の尺八は、形は尺八だが、指孔
が異なり、ツの中メリ(E)を加えた中国音階で、演奏技術も
すばらしい。日本人顔負けなのだ。
これら外国人が吹く尺八は、日本人とはひと味違う。こうして、
本家本元とは違う尺八がどんどん生まれてきている。
これって仏教の伝播と同じではないかと思う。尺八はどんどん
変化していってよい。その時代、国民、民族に受け入れられる
ことによって存続していくのだ。
私の尺八の師は、アメリカ人のジョン海山ネプチューン。
私が使っている尺八もネプチューンが作ったもの、と
言うと、「なに!?」「なぁんだ」と驚きあきれ、軽蔑され
る尺八家もいる。
今や、柔道も相撲も尺八界も外国人に席捲されている。
くやしいけれど、ネプチューンは尺八界の救世主だ。
尺八界は伝統と型にはまって、世の中から取り残され、
風前の灯にあった。
ネプチューンは、カリフォルニアの出身。ハワイ大学で
尺八を聞き、日本にやってきた。尺八を習うなら京都かと、
京都で都山流に入門した。しかし、「尺八という楽器は
すばらしいのに、尺八の曲はつまらない」と、自分で
猛練習に励み、独自の奏法を開発。オリジナル曲の
レコードは芸術祭レコード部門大賞に輝いた。しかし、
「外国人が芸術祭大賞?けしからん」と、日本の尺八家は
彼に冷たかった。
いち早く彼に教えを請うたのは、私含めて数人。私は
彼から、日本人には無い発想と、テクニックを教わった。
彼が次々と出すオリジナル曲のアルバムは、世界で売られ、
尺八を習いたいという外国人が日本に来るようになった。
するとネプチューンは忙しいので、私を紹介してくれる。
外人嫌いで英語が全くダメな私だったが、彼のおかげで、
たくさんの外国人と知り合い、視野が広がった。
あれから30年、今や第2、第3世代の尺八家が現われ、
技術の進歩もめざましい。私など、もうとても付いていけ
ない。今はネプチューンの真似事で食べさせてもらって
いるようなものである。
先日行われた「国際尺八フェスティバル」で、ネプチューン
は、尺八で和音(ドミソ、シレソ、ドファラ)を尺八で鳴らして
みせたという。どこまでも超人だ。