現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「一日警察署長」を務めて

2013-10-28 21:34:06 | 虚無僧日記
「一日警察署長」を務めることになった経緯は、
中区の「敬老会」に虚無僧で呼ばれたときに
警察署の方もみえていて、私の尺八演奏と
トークを気に入られ、中区や蟹江での「交通安全
キャンペーン」に一役かうことになったのでした。

警察の仕事ですので「宗教色はダメ」ということ
ですから、「虚無僧は僧に非ず、俗人。この格好は
コスプレ(舞台)衣装」と、最初にことわります。

そして「交通安全を祈願して」とか「お祈りします」は
禁句。「交通事故で亡くなられた方のご冥福を祈って
『手向け』を一曲」というのもダメ。

いろいろ制約はあり、夜道を旅した時の体験談から、
「夜 歩かれるときは、虚無僧のように 派手に
目立つ格好を」と。(私は白い着物に金糸の袈裟。
天蓋にもゲ箱にもラメがふってあり、光に反射して
キラキラ光るようになっています。

『黒田節』を吹いて「酒は飲め飲め飲むならば、
車の運転、絶対ダメよ~」なんて替え歌。

そして「オレオレ詐欺」に関しては、「袈裟を
つけているから坊さん(僧)と思っていた人は
騙されやすい人」なんて話。

さて「一日警察署長」の話をいただいてからは、
交通事故・違反は絶対不可。「制限速度なんか
絶対守れない」と思っていた私が、交通ルールを
守って運転できるようになりました。

昨日も「名神高速道路」を時速 80kmで、車間距離を
十分とって運転してきました。これなら、運転の
緊張もイライラも無く、事故も避けられると確信
しましたです。はい。


虚無僧が「一日警察署長」

2013-10-28 20:36:31 | 虚無僧日記
9月12件。10月8件、11月8件の仕事があり、
その打合せ、練習で、スケジュールはびっしり。

早朝4時~6時の「朝起き会」、ラジオ体操、喫茶店での
モーニングは毎日。台風の時も休まずでした。

三重県の津、四日市、伊賀、福井県の武生、昨日は
滋賀県の野洲(やす)と、タレント並み、いやいや
まだまだ売れない旅芸人です。

そんなわけで、ブログ更新できず、すみません。

22日(火)は、津島警察の「一日警察署長」として、
「老人大学」で、 交通事故とオレオレ詐欺について
講演と尺八演奏をしてきました。

津島文化会館の大ホールで、観客は 500人ほど。
「虚無僧が 一日警察署長!?」。お客もびっくり。
私もびっくり。なんで虚無僧の私が一日警察署長?。
「話せば長いことながら、一言で言うと、私が虚無僧
だからです」と切り出すと、笑いも出ました。

つまり「交通安全、オレオレ詐欺」、もうさんざん
聞かされて、わかりきった話。でも被害者は無くなら
ならない。警察としても 通り一遍の話では右から左。
そこで強烈なインパクトが欲しいというわけ。

最後に警察署長さんから「あの すばらしい尺八の音を
聞けば、悪いことをしようなんて心は起きなくなり
ますね」という言葉に、感激したのは私の方でした。

講演の模様は、地元のケーブルTVで何回も放映され、
毎日新聞でもニュース記事としてとりあげていただき
ました。感謝、感謝。


「秋月梯次郎」のこと

2013-10-23 22:59:07 | 会津藩のこと
父の遺品の中から『秋月胤永の一端』と題した小冊子が
出てきた。ガリ版刷りで18ページ。

文政7年(1823)生、父は「丸山胤道」(会津藩士150石)。
10歳で藩校「日新館」に入る。「天保13年(1842)19歳で
江戸に上り、藩儒(藩の儒学者)牧原只次郎直亮 に就いて
経術を学ぶ」とある。その5年後、23歳の時、幕府の
「昌平校」に入る。「牧原直亮」も昌平校で教師をしていた。

安政6年(1859)年、36歳の時、一年かけて諸国漫遊し、
薩摩まで行っている。『観光集』7巻、『列藩名君賢臣事実』
全十巻を著している。

この時、長州・萩で「奥平謙輔」に会っている。その縁で、
会津藩が降伏した翌日、越後水原にいた奥平は 猪苗代の
謹慎所に幽閉されていた秋月に親書を送った。

全文漢文で、かなりの長文である。大意は「貴国(会津藩)は
徳川幕府に尋常ならざる忠誠を尽くした。それはすばらしい
ことであり、天下すべてが、貴国のようになれば、外国人にも
笑われぬ国家となろう。ただ惜しむらくは、降伏開城した
こと。関が原の時、伏見城を守って自害して果てた鳥居元忠に
はなれなかったことである。

と、暗に藩主「松平容保」が自決しなかったことを揶揄している。
その上で「過ぎたことは言うまい。今後は、徳川に奉じたことを
朝廷にいたし、外国からの攻撃があった時は、武装して先頭に
立ち一新の心を表せばよい」。といった内容だった。

秋月は猪苗代の謹慎所でこの手紙を読み、深く感銘し、さらに
長文の返書を奥平に送った。そこには、
「会津藩の精神は元から尊皇にあり、幕府のためためだけには
なかった。鳥羽伏見の後は、国に帰り、ひたすら恭順し、
処罰を待った。それがどうしたことが、大兵が四方に押し寄せ、
財を盗み、子女を害し、とても王師(天皇の軍)とは思えぬ
略奪の限りを尽くした。そのために我が藩としては力の限り
応戦したのも、武士として当然のことではないですか。
しかし、最期まで死守しなかったのは、もしそうすれば、
永遠に、会津藩は王師に敵対した賊としての汚名を蒙ることに
なりましょう。降伏恭順して、天朝の裁きを待てば、わが藩が
先帝(孝明天皇)から特別の恩遇を賜ったことも考慮され、
公平な裁きを得るでしょう。
さすれば、聖天子の寛典な心にわが藩士は感じいり、朝廷に
対し、国家のため、旧に倍する忠勇剛毅な力を発揮することで
しょう。


戦後の混乱のさ中、お互いの居所がどうして判ったのだろう。
奥平は越後の水原にいた。手紙を届けたのは善順とかいう僧。
そして秋月は有為の少年を奥平に託すべく、猪苗代から
脱走させた。その1人が「山川健次郎」。後の東大、京都
帝大総長である。

さて、この時「5人の若者が脱走し、3人は見つかって
捕えられ、斬首された」という記事を読んだ気がするのですが、
さんざん探していて見つからず。それでブログが中断して
しまったのでした。


犬の単独「お伊勢参り」!?

2013-10-08 22:39:00 | 社会問題
猫も杓子もお伊勢参り(失礼)。かつて犬が単独(dog)で
お伊勢参りに行ってきたという話が話題になっている。

最初の記録は、明和8年(1771年)。一匹の犬が、伊勢神宮の
手水場で水を飲んでから、本宮の方へやって来て、お宮の前で
平伏し拝礼する格好をしたという。犬は不浄のモノとされて、
伊勢神宮内には入れないはずだが、神官の目をくぐりぬけて
本殿まではいってきた。まさに椿事(ちんじ)。犬の飼い主は
山城国久世郡槙の島に住む高田善兵衛という者。この犬は、
山城の国のからはるばる山を越えて伊勢までお参りにきた
のである。

その後も何件か記録されていて、最長距離は、幕末の嘉永年間に
3年の月日をかけて、青森・黒石と伊勢神宮との間を往復した犬。
その距離 約 2,400Km 。

はて、犬はどうやって伊勢神宮まで行けたのだろう。どうやら
同行の士に支えられてのようだ。当時、各地方から「お伊勢参り」の
団体を募って、伊勢まで往復案内する“先達”がいたのだ。
今の旅行代理店。

「お伊勢参りなら」と、仕事をほったらかしても、藩を
抜け出すことも許された。その団体客に犬がくっついて
行ったと推定される。皆にかわいがられ、道中「お伊勢参りの犬」と
言えば、お布施を首に巻きつけてもらったり、(そう、犬だから
“お伏せ”。阿波の庄屋さんの犬は、3千文ものお金を
持って帰ってきたそうな。首にさげられないくらい重いから、
道中、いろんな人が かわるがわる運んでくれたそうな。

ほんに、平和で善良な人ばかりの時代でした。

「昭和元禄“お犬様”の時代」から、今やペットも家族の一員。
犬をマイカーに乗せてお伊勢参りをする人も実に多い。だが、
犬は 鳥居から中には はいれない。警備員室で預かるとのことだが、
離れ難。「どうしているのだろう」といつも気になる。

江戸時代の人の方が、寛容でしたな。

「三種の神器」ってカラーテレビ?

2013-10-08 22:32:35 | 社会問題
伊勢神宮の式年遷宮がおごそかに終了した。
深夜、灯明の薄明かりに照らされて、ご神体が
粛々と新装なった社殿に移送された。

それをテレビで見ていた中学生のPちゃん。
テレビのナレーターが「三種の神器」と説明すると、
「何?あの箱の中にカラーテレビがはいっているの!」と
のたまわった。一瞬、何を言っているのか、皆固まった。
すると大学生のOお嬢も「そうよ、学校で習ったもん。
三種の神器は、白黒テレビに洗濯機、冷蔵庫って」

が~ん。たしかに中学の歴史には、神武天皇も
伊勢神宮も出てこない。「1950年代後半、
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電三品目が
『三種の神器』と呼ばれたという記述はある。

世代によっては、「三種の神器」を カラーテレビ・
クーラー・自動車 (Car)と認識している。

断絶の世代、ここに極まれり。新聞に投書したい
ネタだ。

ところで、伊勢神宮のご神体は「八咫鏡」のはず
だが、誰も見たことがないのだから、本当に
箱の中にはいっているかは判らない。判らないから尊い。

「なにごともおはしますかは 知らねども、
   かたじけなさに 涙こぼるる」 西行法師

感動物語、『海賊と呼ばれた男』

2013-10-08 15:36:57 | 地球人類の問題

百田尚樹氏」著『海賊と呼ばれた男』を読んだ。

「出光石油」の創業者「出光佐三」をモデルにした
ノンフィクション小説。第10回「本屋大賞」の第1位に輝いた。

太平洋戦争がなぜ起こり、どのような結末をたどったか、
石油をめぐっての日米の争いだったことが、実に良く
判った。圧巻である。

多額納税者として貴族院議員に推され、戦後「戦犯」に問われて
「公職追放」されたのは、私の叔父「牧原源一郎」と同じ。
私の祖父は「貴族銀行」に勤務していた。「貴族銀行」の話も
出てきて、戦前のようすをつぶさに知ることができた。

上巻の戦前の話もすごいが、下巻の戦後の話もすごい。

戦中までの出光は海外事業がほとんどで、戦後すべてを
失った。すべてを失っても「社員こそ財産」と、復員してきた
社員も含め、一人もクビを切らず、60歳還暦で、ゼロからの
復帰をめざした。
そして、クライマックスが、イランから石油を運んだ「日章丸」事件。
これは“ノンフィクション”なのか、創作の小説なのかと疑いながら
読んだ。

「誰も知らない、書かれていない。こんなすごい男たちがいたんだ
ということを、今の人達に知ってもらいたいとの思いで書いた」と
百田氏。


慶応「竹の会」の同期のA君が「出光」に入社している。
当時の出光の2代目社長は「出光左三」の弟「計助」氏。

尺八を吹き、尺八界の大御所だった。たしか「三曲連盟の会長」も
務められていた。「出光」が単独スポンサーの『題名の無い音楽会』では、
オーケストラと共に、時々尺八が登場した。その公開録音を見にいった
ことがある。

高度成長期に 忘れられんとしていた尺八に援助の手を差し伸べてくれ、
うれしかった。そして今、自信を失いかけている日本人に、意地と勇気を
与えてくれる「出光」に感謝。

廃棄される食料事情

2013-10-08 15:03:37 | 地球人類の問題
世界の人口の8人に1人、8億4,200万人が飢えに苦しみ、
1日に4~5万人、年間に1,500万人以上の人が餓死している
という。

あぁそれなのに、日本人の食料の半分以上は 輸入。
穀物の自給率は、わずか28%。

年間 5,600万トンの食糧を輸入しながら、その3分の1
(1,800万トン)を捨てているとか。これは、途上国の
5,000万人分の食料に匹敵するという。食糧の廃棄率では
世界1。

食料の輸入が途絶えると、1年後には 3,000万人が餓死するとも。

「これは おかしい」とささやかれながら、誰も改善しようと
しない。「賞味期限」「消費期限」への“変な?”信仰が
あるからだ。

深夜、コンビニやスーパー、飲食店、ホテルの裏口に行けば、
大量の食品が投棄されている。あるケーキ店に勤めるO嬢。
「せっかく作ったケーキを捨てるにしのびない。ホントは
いけないことですが」と、売れ残ったケーキを 虚無僧の
私にくださる。でも、とてもケーキを毎日はいただけない。
先日、50個ものケーキをある団体に届けて 大変喜ばれたが、
内心“罪悪感”がある。“ケーキはもうケッコウ”。


今の子供たちには、「消費期限切れ」や「異物混入」の
食べ物でも 口にする“たくましさ”を教えなければ、
将来、食料危機が来たら、とても生き残れまい。

私は「消費期限切れ」でも「異物混入」でも“平気”で
ござる。 でも食料危機が来る前に 寿命が来るか。


学校給食に異物混入

2013-10-08 12:43:35 | 「八重の桜」
学校給食に異物混入事件が相次いでいる。

【長崎】小・中学校給食に異物混入相次ぐ 諫早  (10月6日)
【社会】ネジ混入の給食センター「点検したが…」 (10月5日)
【社会】給食のマツタケご飯に虫…岐阜の小学校 (10月5日)
【ニュース】給食のすいとんにネジ混入…富山   (10月5日)
【富山】給食のすいとんにネジ混入 氷見の小学校 (10月5日)

岐阜県可児市の小中学校2校で、パン約100個にハエが
混入し、付着した部分を取り除いて食べるように指導して
いたことが報道され、その是非がテレビで論争された。

可児市で混入していたのは、体長約1ミリのクロバネキノコバエ。
「毒性がなく安全上問題がない」として、ハエが付着した部分を
取り除いて食べるように指導した。それが「けしからん」と
問題になった。

さて、私なら・・・1ミリ程度の「蝿」なら、取り除いて食べる。
ネジやガラス片は 怖い。慎重によく噛んで、確かめてから
飲み込むことにしよう。

中国や韓国では、犬の糞やネズミがはいっていたとか。それは
さすがいやだが、髪の毛や糸くずごときでは、騒ぎすぎるのでは
ないか。

かつて、レストランで出された料理に「蝿」が入っていたことが
あった。
 
あらかじめ持ち込んだ「蝿」の死骸を皿に入れて、店長を呼びつけ、
わめきたてて、料金を踏み倒すどころか、賠償金まで要求する
悪い輩もいるとのこと。そのように疑われては困る。騒ぎたてるのは損。

そっとウェイトレスを手招きして、周りの客に気付かれないように、
黙って「蝿」を見せた。ウェイトレスは、さっとお皿を引き上げ、
すぐに店長と料理長が謝りにきて「代わりのものをお持ちします」と
いう。「それには及びません」と辞退しても、すぐ代わりの料理が
用意され、帰りに「料金はいただきません」と。さらに、店で
売っている「菓子」まで土産にくれた。いやぁ、こんなことなら
「蝿」がはいっていた方が ラッキー! 

最近は、衛生面で厳しく管理されているのか、そのようなことは
無くなった。いずれにせよ、マスコミの騒ぎすぎ。寛容さが
無くなったことが怖い。




消費税8パーセントの賛否

2013-10-08 04:04:12 | 社会問題
日経、中日、読売に赤旗。4紙もとっていると、
読むのも大変。

「消費税8%」について、各紙の論調が異なっていた。

「日経」は「財政再建に一歩踏み出し評価したい」と。
「産経」も「日本経済に活力を与える」と擁護。
「毎日」も「首相の判断は妥当と言える」と。
「読売」は「しかたない」。
「朝日」でさえも「やむをえない」と容認。

これに対して、「赤旗」は当然「猛反対」。怒りを
顕わに、「消費税引上反対」のデモ参加を呼びかける。

「中日新聞」も「反対」の立場。一面トップに大きく
「家計に三重苦」の見出し。物価高に年金カットで
「弱いものいじめ」と「赤旗」に同調。

他、「北海道新聞」や「西日本新聞」など地方紙は
こぞって「反対」を表明しているそうな。

「中日」など中部経済界との軋轢はないのだろうか。
新聞の立場によって読者は左右される。

「共同通信社」の世論調査では「消費税率引き上げ」に
「賛成53.3%、反対42.9%」で、賛成がかろうじて
反対を上回った。

はて、虚無僧の私には「消費税」を払うという
実感がない。(買い物をしないので)。

だが、8%では、また1円玉が蔓延し、お布施も
1円玉が増えそう。

諸外国は20%以上という国もあるそうだから、
「8%など半端ではなく、計算しやすく10%に
すればいい」と思うのは私だけ?。

「桜塚やっくん」突然の死

2013-10-07 12:56:15 | テレビ・映画・芸能人
桜塚やっくんの父・充さん、遺体と対面で号泣「お父さんと呼んでくれ」(スポーツ報知) - gooニュース

「やっとかめ」(名古屋弁で「おひさしぶり」)にブログ更新。
途切れていると「あぁ、もう死んだか」と思われそう。
ブログは生きている証(あかし)。

「桜塚やっくん」の死は衝撃でした。

「桜塚やっくん」が 中国自動車道で事故死。
カーブを廻りそこねたか、中央分離帯に衝突し、
車外に出たところを後続車にはねられたと
いうから痛ましい。

私の知っている女性にそっくりだったので、
特に関心があり、好きだった“お笑い芸人”である。

「売れないお笑い芸人のためのシェアハウスを
作ること」が夢だったとか。

やっくんを轢いた後続車も気の毒。

中国縦貫道は25年前 通ったことがある。走行車両は
ほとんどなくガラすき。タヌキも出た。それでも
時速95kmで ゆっくり走っていたつもりだったが、
ねずみ取りに捕まった。高速道路で「ねずみ取り」とは
意外にも意外。しかも、まさか15kmオーバーで捕まるとは。

たしかに、制限時速 80kmで走っていれば、事故は
避けられるかもしれない。

22日、津島警察の「一日警察署長」を仰せつかって
おり、事故・違反は絶対できない。肝に銘じて
気をつけよう。