現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

つげ義春 「無能の人」

2018-04-30 09:52:26 | 虚無僧日記

つげ義春の『無能の人』に虚無僧が出てくる。

家族で旅行した際に虚無僧と出会う。「虚無僧って
虚無の僧のこと?」と尋ねる妻に、「一種の無用者、
高度資本主義社会に機能しない無用の存在って
わけだ」と夫が答える。
すると妻がいう。「役立たずの無能の人なのね、
あんたみたじゃない」と。

この書評に
「高度に発達した社会に住み、経済的な繁栄を求めて
蟻のように生活している現代人にとって、ここに
出てくる人たちは、何とも無能の人ばかりなのだが、
時間にも金銭にも世間体にも縛られることなく生きる
人の姿に解放感のようなものを感じる。ふっと息が
抜けるような、そんな感じを受ける」と。


虚無僧が門付けに来た時、断りの文句は「ご無用」と
言うのだ。私も「無用の人」か?

「お呼びでない?、こりゃまた失礼しました」


『羅生門』と『藪の中』

2018-04-30 09:49:13 | Weblog

黒澤明の『羅生門』は、全く不可解な映画だった。

まず内容が、芥川龍之助の原作『羅生門』とは全く違う。
内容は芥川の別の短編『藪の中』なのだ。羅生門で、乞食僧が
「自分が見聞きした不思議な話」を語るという設定で、タイトル
が『羅生門』となったのだ。話の内容は、

妻を連れて旅する武士が、山中で野盗に襲われ、妻を手篭めにされ
た上、殺される。その後、野盗(三船敏郎)が捕らえられ、裁きを
受ける。野盗と被害者の女との言い分が全く違う。そこで霊媒師が
登場し、その口から、死んだ侍の無念な心情が語られる。ところが、
三者とも、みな「自分が(で)刺した」と証言しているのだ。
普通なら、「自分は殺ってない」と他人に罪を押し付けるところが、
三人とも、「自分が(で)殺った」と主張している。この話から、
「真相は藪(やぶ)の中」というのが、慣用句になったそうな。

 完成時、大映の社長は「わけがわからん」と不評を示したが、
 ヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲ると、自分の手柄の
 ように自慢したという。君子豹変だ。

初め観た時は、私もちんぷんかんぷん。何度か観て、少し捉えら
れるようになった。三船敏郎演ずる悪盗と、殺された武士、そして
その妻、三者とも、面子にこだわる言い分なのだ。

野盗は、女に「殺してくれ」と頼まれ、男の縄をほどいて、正々
堂々切りあって勝ったのだ。と
女は、「犯された私を、夫は蔑んだ目で見た。もはや夫婦を続ける
ことはできないと夫を刺し、自分も死のうとしたが死ねなかった。
夫は「なんと妻は、野盗に惚れ、『こんな男を捨てて、あんたと
一緒になりたい』と野盗に着いていってしまった。女房に逃げられ
ては男の面目が立たない。自分で胸を刺したのだ」と。

結局、真実は「藪の中」。さらに、ラストがますます不可解。

雨も上がり、乞食僧は、捨てられていた赤ん坊を抱いて、羅生門を
立ち去ろうとする。その時、話を聞いていた一人が問いただす。
「判ったぞ、その男を刺した小刀はどうなったんだ」と。

どうやら、藪の中から、その僧は一部始終を観ていたわけだ。そして、
虫の息の侍にとどめを刺して、胸から小刀を抜いて持ち去り、売り
払って金にした。また子供も人買いに売ろうという話らしい。意外な
結末だ。

この『羅生門』も『藪の中』も、原典は平安時代の『今昔物語』。
千年を経た今日でも、そっくりそのまま、ワイドショーでも報じられ
そうな事件である。

欧米では、真相不可解な事件があると「ラ・ショーモン」というそうな。
それほど、黒沢のこの映画は、外国でも有名らしい。


「土俵は女人禁制」も虚言

2018-04-28 21:45:10 | 社会問題

「伝統と格式を重んじ、土俵は神聖な場所だから
女人禁制」と、マスコミも信じて疑わないが、これも
「相撲は国技」同様、相撲協会の虚言なのだ。

30年ほどまえ、外国人記者のレポートを読んで驚いた。
江戸時代から明治の半ばまで、女相撲が興行として
行われていたのだ。

1991年、早坂暁原作で『女相撲』というテレビドラマも
あった。星野知子、ダンプ松本らが女力士を演じていた。
さすが、テレビでは、上半身シャツを着ていたが、本来は
女がマワシ1本で裸体をさらす。つまりストリップ同様、
エログロの見世物だった。

国技館が建てられた回向院は、江戸時代以来、女相撲が
行われていた所だ。明治になって廃絶の危機にさらされた
「角界」は、見世物興行から、地位向上を図るため、
「伝統的神事」であることを前面にかざし、いかがわしい
女相撲を切り捨てるべく、「女を土俵にあげない」という
仕来りを決めた。

つまり、相撲協会の虚言なのだ。男女平等、女性差別
撤廃の現代に、未だに女性知事も土俵に挙げないという
相撲協会。それこそ“やくざ”な体質ではないか。 その
“いかさま”に誰も異議を唱えないのが不思議でならない。


自殺者減少

2018-04-28 21:44:44 | 社会問題

昨年の自殺者数は、前年から2,885人減の2万7,766人となり、
97年以来15年ぶりに3万人を下回ったとのこと。

2003年に最多の3万4,427人となり、2010年以降は
毎年1,000人以上減少傾向にあった。

交通事故死も、一昨年より201人少ない4,411人。
12年連続の減少で、戦後まもない1951年ごろの水準まで
押し戻したことになる。「交通戦争」といわれた1970年に
比べると、4分の1にまで減少した。

殺人事件の被害者数もガンの死亡も減ったというから、
ますます“死なない”“死ねない”時代になった。

その中で、「阪神・淡路大震災」後の「仮設住宅」に住む
人の孤独死が 1,000人を超えたというニュースも。

高齢被災者にとって、仕事無く、住む家なく、絆無く、
生きる希望なく、生きるのも地獄。

もう一つ。2012年、米軍兵士の自殺者数が349人となり
アフガニスタンでの戦死者229人を上回ったとの記事も。

生と死を考えさせられる。

 


ひろさちや「狂いの進め」

2018-04-28 21:37:02 | 心の問題

仏教評論家「ひろさちや」が『狂いのすすめ』という本を
出した。まさに一休の「風狂の生き方」だ。

室町時代の歌謡集「閑吟集」に「一期は夢よ ただ狂へ」
というのがある。

室町・戦国の世は、戦乱、水害、旱魃、飢饉で、都は荒れ、
餓死者が続出する地獄だった。禅寺は、幕府の保護下にあって、
大名や公家の子息の受け入れ先であり、出世栄達は金次第。
貧しい庶民には目が向けられなかった。一休の生涯は 禅寺の
腐敗との戦いだった。「狂った世の中で生きるには、自分も
狂って、世にすねるか 反抗するしか なかったのである。

「ひろさちや」は、得度受戒を受けた僧侶ではない。
私と同じく「在家」の仏教徒である。彼もまた、「現代の
日本は狂っている。世間のいうことを聞いて奴隷になる
よりは、世間を信用せず軽蔑することで世間に楯突いて
みませんか。社会が言うようなまともな生き方をしては
いけない。奴隷になるより狂いましょう。ただ狂って
遊びましょう。それが本当の人間らしい生き方だ」と説く。

生きがい、人生の目的、過去のしがらみ、未来への不安などに
よって自分を縛ってはいけない。人間は本来「在るように在る」。
人間は存在しているだけで価値があるのだ。反省や後悔をするな!
希望や理想を持たないで、無理なく人生を楽しめばいい。
「少年よ大志を抱け」といって少年を苦に追い込むのは
悪魔の言葉。

「親鸞会」は、「ひろさちや」を激しく非難しているが、
私は、むしろ「ひろさちや」の方に共鳴する。


「常識」はあなただけのもの

2018-04-28 08:26:10 | 心の問題

以前のことですが、あるセミナーで
三遊亭円楽(楽太郎改め6代目)の講演を聞きました。
紺のブレザーに白のスラックス。知能指数IQ 170、
青山学院出のインテリ落語家とあって、講演も
なかなか上手い。

テーマは「おせっかいな大家さん」。
落語の中の大家さんと店子の話から、「昔は
向う三軒両隣り、人情溢れる付き合いがあった。
雨が降ってくれば、留守しているお隣さんの
洗濯物まで取り込んで たたんでおいたりして
あげたもの」てな話。「お隣の奥さん、こんな
○○はいて・・・」なんて、ちょっとお色気と笑いも
まじえて、さすが。

長屋は六畳一間に三畳の納戸とお勝手(台所)。
六畳一間で、ちゃぶ台を囲んで一家で食事をし、
そこで布団を敷いて寝る。親は隅で寝るから
「おやすみ」。(えっ?ほんまかいな)。

お父さんとお母さんが両隅に寝て、間に子供が
寝る。という説明に変に納得。「夜中にオヤジが
むっくり起き上がって、子供の上をまたいで、
厠かと思ったら、母さんの上に・・・・・」と。
たえず、話しを ひきつけ1時間半、飽きさせない。

さて、「常識って何ですか?」と振ってくる。
車から見れば自転車は邪魔。歩行者にとっては
車も自転車も迷惑。

4人のおばさんたちが、横一列に道をふさいで
ペチャクチャおしゃべりしながら歩いてる。
(えーい、邪魔ね)と割り込んで強引に追い越そうと
すれば、「まぁ、何よ、常識ないわね」と。
ここで一言「すみません、ちょっと道を空けて
ください。急いでますので」と声を掛ければいい。

常識と常識をつなぐものは「言葉がけ」です。
という結論でした。

最近の文科省の調査で、エレベーターで
「すみません、降ります」と ひと声をかけて
降りると回答した人が7割と、以前の調査よりかは
増えたとのこと。逆にみると、声も掛けずに
押し通るという人が3割いるということですか。
ま、世間ってそんなものですかな。


口は禍(災い)の元

2018-04-28 08:24:00 | 心の問題

養老先生の「さかさま人間学」によると、「解剖学上
“口”は存在しない」そうです。思わず「へぇ~!」です。

「普通“口”と言っているのは“機能”その“働き”の
ことを指しているのであって、構造としては“唇”と
“口腔”」とのこと。

なるほど、「口は禍の門」というのは、「しゃべったことが
思わぬ災難を招くということ」で、“口”そのものが“禍”
ではないですね。

ついでに、芭蕉の『物言えば 唇寒し秋の風』は、「人の悪口を
言えば 後味の悪い思いをする」という訓戒の句とされていますが、
ネットで見ると、こんな説がありました。

芭蕉が、道徳的、教訓的な内容を句にするはずはなく、本来は、
「秋も深まり、口を開いたら、唇が寒かった」というだけの
意味だとか。これも「へぇ~」でした。

でも「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」という
座右の銘に添えられた句だそうですから、教訓として
理解されてもOKでしょう。

「朝起会」で毎朝 お誓いしてい『五つの誓い』の第2条
「人の悪を言わず、己の善を語りません」は、芭蕉の「座右の銘」
でもあったと知って、またひとつ 腹に入りました。。


まともに働くとは

2018-04-19 21:00:58 | 虚無僧日記

Tさんから説教された。「まともに働きなさい」と。

「ガードマンでも土方でもいいから働いて、まともな収入を得ろ」と。

汗水たらしての肉体労働は「まともな仕事」で、好きな尺八を吹いてるだけで

人様の情けにすがって生きるのは「けしからん」という。

でも、私が「虚無僧」でなくなったら、この世での自分の存在がなくなる。

私は「世界でオンリー・ワンで ナンバー・ワンの虚無僧」であることで

自分の存在を主張している。

 

Sさんは、「ケータイを持て、テレビを買え」と普通の人の暮らしをするように

勧告してくれる。

「カキクケコ」の無い生活を講演の売りにしている身だったが・・・・。

 カ カード(信販・サラ金)

 キ キャッシュケース(財布)

 ク クオーツ(時計)

 ケ ケータイ

 コ コンピューター(パソコン)

今は全部持っている。無いと仕事ができない。

虚無僧も時代の波には抗(あらが)えないか。

そう「平成の虚無僧」でござる。 


虚無僧ってどうやって食べているの?

2018-04-17 17:21:43 | 虚無僧日記

「虚無僧ってどうやって食べてるの?」というコメントをいただきました。

このところ、一日2時間立って、お布施は10円。数年前までは2、3

百円にはなってんですがね。それでも 不思議とゼロの日はありません。

2時間で1万人の人が通り、その中で一人でも心優しい人が現れて

くれることに、ほっとします。世の中まだまだ捨てたもんじゃないと。

 

虚無僧はどうもイメージが悪いようです。2chでは「インチキ、詐欺

だから気をつけなさい」というコメントが多数寄せられています。

そうした悪い風聞を打ち消すためにも、虚無僧を続けているのです。

 

お布施ではとても食べてはいけませんが、フシギといろいろな方が

食事をおごってくれます。ですから、食べていくには困りません。

これ「人徳」ですかね。つまり、虚無僧は「徳積」の修行なのです。 

 

 


尺八の生徒募集はいかにして

2018-04-17 17:20:10 | 虚無僧日記

尺八人口はとうとう1万人を切ったようだ。日本人1億2千万中の1万人。

1万人中 1人。人口230万の名古屋では尺八愛好家は 230名ということに

なる。しかし、名古屋駅で立っていて、1万人が目の前を通り過ぎるが、

尺八を吹いているという人は一人もお目にかかれない。

尺八愛好家の平均年齢は70歳以上。このままでは、あと10年で

数百人にまで減少する。

その一方で、若手の新進気鋭のプロ奏者が出てきている。彼らの存在を

知らしめることで、尺八を習おうという若者が出てくるかも知れない。

この波に乗って会員増強。今、教室の使用料と広告宣伝費に 毎月 

5万円かけている。生徒数が 毎月10人いないと大赤字。

高校大学の前で、また駅や繁華街で、若者をターゲットに

チラシ撒きでもキャッチセールスでもやるっきゃない。