現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

SMAPコンサート

2008-11-28 16:34:01 | 虚無僧日記
11/27,28両日名古屋ドームでSMAPコンサート。
周辺はものすごい人人人。夜6時半開演なのに、
午後1時から集まっている。グッズを買うのだ。
二日で7万人。それが99.9%女性ばかり。なんで
こんなにもてるのか。小中高生もいる、なんで?
学校も仕事もさぼって来ているのか?

さてさて注目の中居くん。11/28の午前中は、今
公開中の「私は貝になりたい」の舞台挨拶で、101
シアターに現われたとか。一ファンの声だが、
「中居君は『私は貝に』の反応をすごく気にしている
ようだ」と。「砂の器」や「白い影」と同じような末路
なのだが、今回の映画にはかっこよさがないからだ。

コンサートの中のコントで、メンバーに「おまえ死んだ
んだろ?」とチャかされて、「死んでなんかなーい」
「僕は貝になんか なりたくなーい」と叫んだ中居くん。
それが本音だと思う。「どんな状況にあっても、明るく
かっこいい中居くんであって欲しい」というのが
ファンの願いだ。


大 片付け

2008-11-28 09:52:24 | 虚無僧日記
ふゥー、1週間、大片づけに終始した。
なにせ15年間の塵を整理。公演のチラシ、
プログラム、企画書、写真、手紙、楽譜。
一枚一枚見て不要な物を捨てたのだ。全部
思い切って捨てたいのだが、捨てきれない。
それでも段ボール箱5箱分、ゴミ袋で12袋
を捨てた。少しは風通しが良くなったか。

葉書、名刺も随分捨てた。10年も経つと、
自分もそうだが、その会社、部署、住所には
もういない人がほとんどだ。亡くなっている
人も多い。
吉川英史、牧野由多加、長沢勝俊、船川利夫、
水藤五朗・・・・と、私の邦楽人生に彩りをつける
著名人の名刺がファイルから はずされた。


古鏡の尺八

2008-11-28 09:40:12 | 尺八・一節切
コメント欄に「やまさん」という方から度々
メッセージをいただいていた。
「古鏡」の尺八を入手し、修復して、11/24
法身寺での「虚無僧研究会の全国大会」に
持参し、古管研究の大家S氏に吹いてもらった
とのこと。
私はその日、時間はあったが金が無く、東京
に行かれなかった。残念。してS氏のコメント
やいかに?

日中戦争従軍記

2008-11-21 21:54:18 | わが家のこと
中国四川大地震で知られるようになった「桂林、湘江」で
検索すると『湘桂作戦』が出てきた。日中戦争の記録が、
何件も載っている。その中の一つ「大村吾郎」という人の
戦記を読んだ。

私の父も S16年 から21年の引き上げまで 兵役につき、
『湘桂作戦』に加わっていた。父は 戦争のことを一切
語らなかったが、亡くなった後、遺品の中から
『日中戦争従軍記』というのがでてきた。定年退職後に
書いたものだ。「大村吾郎氏」の話の内容は、私の父と
良く似ている。「従軍慰安婦」についても扱っている。
文中に出てくる「慶応出の中尉」は私の父かもしれない
などと勝手な想像をする。

戦争の極限状態の中でも人間の尊厳を守り、略奪、強姦、
無益な殺戮を快しとしなかった兵もいたことを知る。
むしろそのような兵の方が多かった。いつの世も悪人は
居る。一部の悪行が全部と見られるのだ。

私の父は4年もの戦争の中で、直接には一人も殺して
いない。無事に帰国できたことも、自分が無益の殺生を
しなかったから“神仏の加護”と述懐している。
大村氏は、激戦の中、部下が撃たれ、「仇討ちだ!」と
相手を狙撃する。だがすぐ後悔し、玉が当たらなかった
ことを祈っている。それが真人間の心と信じたい。

父の『日中戦争従軍記』も、
別ブログでアップしています。興味ある方はぜひ見てください。


父の「日中戦争従軍記」

2008-11-21 21:51:18 | わが家のこと
父が書き残した『従軍記』を読むと、父は主計
(経理と食料衣料の調達係)少尉だったので、
比較的幸運だった。それでも、主計仲間でも
南方に送られて戦死したり、部下が眼前で
殺られたり、“運命の岐路”を体験している。
同期に、慶応の塾長小泉信三の息子で戦死した
「海軍主計中尉小泉信吉」がいる。無事生きて
帰れたことさえ奇跡なのだ。

父は4歳で父親に死に別れ、母親も16歳の時に
亡くしている。妻子ある部下を多く失い、独り者の
自分が帰国できたことの幸運を喜ぶこともできず、
戦争のことを沈黙してきたのであろう。

母の話では、結婚しても10年くらいは、時々夜中に
うなされて大声をあげるので、びっくりしたという。
「敵に囲まれた」とか、「独り戦場に取り残された」
という恐怖の夢を見るのだそうだ。 『従軍記』には、
直接手を下さずとも、見聞きした中国人への残虐行為や
従軍慰安婦のことが、当時としては何のためらいもなく、
平気のこととして書かれている。そして軍隊内の理不尽な
いじめ。連隊本部の上層部の乱れた生活ぶり、デザート
まで付く一流ホテル並の豪華な食事、酒はなんでもあり、
毎晩慰安婦を連れ込んで、酒びたりだったとかが書かれ
ている。

戦後、戦友会には出たがらなかった父だが、一度出向いて
「殺してやりたいほど憎い上官が来ていた」と不快な
気持ちで帰ってきたのを記憶している。楽しいばかりの
戦友会ではないようだ。それはあの「人間の条件」で、
梶が憎い上官を殺して便所の糞の中に沈めるシーンから
でも想像がつく。 何もかも理不尽な戦争。日本人の
残虐性に私は、目を覆いたくなる。いったい日本人は
ほんとうに「和」を愛する国民なのか。

中国の大地震への日本の対応で、反日感情もゆらぎつつ
あるが、自衛隊機の派遣問題で、あの忌まわしい記憶が
再燃した感もある。


日中戦争従軍記-牧原五郎』のブログも見てください。  

1週間のご無沙汰

2008-11-21 21:03:58 | 虚無僧日記
「1日が36時間、1週間が10日あったらな」と思うほど
超多忙な1週間だった。焦る心に水差すかのように、
パソコンは動かない。変換にものすごく時間がかかるのだ。
というわけで、何日かブログをお休みしていたら、桜さんから
「風邪でもひきましたか?」とのメール。ご心配おかけして
すみません。

朝起会に佐賀県武雄市から山口康雄さんとおっしゃる
陶芸家がみえた。11/15~18日まで、名古屋ドームで
開催される「全国やきものワールド」に出展されるため
1週間名古屋に滞在される。ということで、毎朝4時半
に駅前のホテルまでお迎えにあがることとなった。

毎晩、虚無僧から帰るのが 夜11時。12時過ぎに寝て、
3時半に起きる。やればできるものである。かえって1日
緊張と充実した時間が過ごせた。

送迎のお礼にと、山口氏から「虚無僧」の焼き物をいただいた。
天蓋をとると中から現われた顔にびっくり。自分にそっくり
なのだ。虚無僧の人形というのも珍しいが、まだ会ってもない
私にそっくりとは。めぐり会うべくして会う。縁の不思議。

11/16は、三重県松阪で詩吟の伴奏
11/19は、名古屋駅前のホテルで俳句の会にゲスト出演
     夜は「私は貝になりたい」の試写会
11/20は、名古屋三田会

そして12/7の短歌会館での独演会に向けて、案内作成と
送付でてんてこ舞いでした。一通り終えて一段落。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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人一人殺せば

2008-11-21 20:54:34 | 地球人類の問題
「私は貝になりたい」で、石坂浩二演ずる矢野中将が
処刑される前、最期の言葉として述べる。
「アメリカが、都市の爆撃で、無防備の一般人を無差別
大量殺戮したことも、国際法違反ではないか。その責任
者も罰せられるべきである」と。

チャップリンの「殺人狂時代」で、「人一人殺せば殺人と
なり、1万人殺せば英雄となる」という名セリフを思いだす。
戦争を引き起こした責任のA級戦犯として処刑された者は
わずか8名。それに対してBC級戦犯は1,000人も処刑さ
れたのである。そして広島に原爆を投下して10万人を殺
した責任は不問に付されている。

問題発言で更迭された田母神空幕将の論文を読んだが、
「アメリカは(沖縄を武力で制圧し)、日本を占領したが
これを侵略とは云わない。と同様、日本も国と国の合意に
基づいて朝鮮、台湾、満州を植民地にしたのであるから、
これは侵略ではない」というような内容だ。
なるほどである。一理ある。田母神氏を支持する声も少な
からずある。「私は貝になりたい」は一瞬、田母神氏の
発言を擁護する映画かと思った。戦争の理不尽さを思えば
やっぱり反戦映画か。
「上官の命令は天皇の命令」というシーンは、天皇の戦争
責任にまで発展しそうだ。とにかくこのような映画は、
思想が からみ論評が難しい。
体重を9kgも減量して役作りに務めた中居君の努力だけは
賞賛してあげたい。

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羞恥心 上地雄輔

2008-11-21 12:16:41 | プロとアマ
上地雄輔、羞恥心解散は「ない」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

すっかり「おばかキャラ」で超人気となった上地雄輔くん。
インタビューで「怒涛のごとく押し寄せた人気」と表現。
おばかファンは「怒涛」の字幕も読めない。「イミわかんない」。

どうやら「上地雄輔は、本当は頭がいい。おバカを装ってる
のでは」との噂が立ち、実は“秀才”のしっぽを出したようだ。
「セレブと貧乏太郎」の演技も、そのまま地でこなす。

彼は「選ばれた“神の児”」だ、天才だと、人気はますます
急上昇。ブログ『神児遊助』もアクセス数世界1でギネス
ブック認定。アメブロ人気タレントランキング連続第1位獲得。
次々と活躍の場を広げるミラクル・ボーイ。

一方「未曾有や頻繁、踏襲」を読み間違えて、おばかキャラを
演出している麻生総理。こちらは「正真正銘のおばかでは?」
との噂がたって人気急落。イソップ物語のロバか。

私も“おばかキャラ”で売り出したいのだが、麻生総理の
二の舞になりそう。

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私は貝になりたい

2008-11-21 11:49:18 | 虚無僧日記
11/22封切られるというのに、一足お先に観てきた。
「私は貝になりたい」の試写会である。
開演前に司会の挨拶で、「昭和33年に、テレビドラマで
フランキー堺が演じて大変な話題となった作品である」
との説明があり、「それを観たことがある方」との質問に
勢いよく手を挙げたのは私一人だった。「歳がバレますね」
と司会のフォロー。

昭和33年といえば、私は10歳。早熟でませた子だった。
フランキー堺の家が、私の家の近くにあった。東横線
中目黒駅からよく見える丘の上に、当時ではまだ珍しい
スレート瓦の青緑の屋根がひときわ目立っていた。

それもあって、フランキー堺には親近感を感じていた。
収容所の中で、上官や仲間の髪を刈る場面や、13階段を
上るシーンも鮮明に覚えている。それからというもの、
階段を上る都度「イチ、ニィ、サン、シィ・・ジュウサン」と
数えるようになった。戦前に立てられた我家の階段は
13段だったのである。「縁起が悪い」とよく親に訴えた
ものである。「あなた方はどこの国の話をしているのですか」
そして判決の「デス、バイ、ハンギング」の声も覚えている。

そのくらい、フランキー堺の「私は貝になりたい」は、私に
とっては、トラウマのように強烈に記憶されているのである。

今回リメイクされた「私は貝になりたい」で、渋谷や池袋の
シーンが出てきた。空襲で破壊されたビルの残骸や、ヤミ市の
テントが立ち並ぶ光景も知っている私である。

巣鴨プリズンの跡地には西武の池袋プリンスホテルが建った。
池袋駅からプリンスホテルに向かう時はいつも、巣鴨プリズンの
事が頭から離れない。その道が、今回の映画でも仲間由紀恵が
子供の手をひいて歩くシーンとなって現われた。

プリンスホテルに泊った時、戦犯で処刑された人々の無念の
声が聞こえるようで、寝付けなかったのは私だけだろうか。

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私は貝になりたい 2

2008-11-21 11:48:53 | 虚無僧日記
試写会で、司会者が「中居君のファンの方は?」と
訪ねた時、数人しか手を挙げる人がいなかったのも
意外だった。名古屋人はシャイなのか。

さて、ストーリーを知っているだけに、泣けるかとタオル
まで用意していったのであるが、正直泣けなかった。
疑問点がいくつかある。

①主人公の清水豊松(中居正広)は片足を引きずっている。
障害者まで兵隊に狩り出すことはなかったと思うのだが?

②墜落で落下したアメリカ兵を殺害した罪というが、実際は
腕を刺しただけ、しかもそれ以前に捕虜は死んでいたという。
山の中の事件である。落下時に死亡していたことにすれば、
罪にはならなかったはず。いったい誰が密告したというのか。
無実の罪で死刑という設定が、まず腑に落ちない。

愛知県でも、落下傘で降下したパイロットを住民が惨殺したと
いう事件があった。その遺体を手厚く?埋葬したことで、後に
アメリカの遺族から感謝状を送られ、心痛んだという話もある。

③四国の高知である。妻の仲間由紀恵が雪の中を、助命
嘆願の署名集めに回るシーン。それなりに涙を誘うが、
高知ではあんなに積雪は無いと思うのだが。

④最後、減刑かとの喜びが一転しての死刑。なぜ唐突に、
しかも豊松だけが死刑???。説明がつかない。

仲間由紀恵の必死の努力が報われて、死刑から一転、減刑
というなら、サクセスストーリーで拍手だが、なにも報われず
に死刑では、一体なんだったの?である。

映画が終わって字幕スーパーが始まると、どんどん席を立って
帰る人々。泣いてる人はいない。後味の悪い映画だった。

中居ファンにとっても、あんなぶざまな最期は観たくないだろう。
中居君は、結局、捕虜を殺していなかった。妻の努力も実って、
無事家族のもとに帰れるというハッピーエンドで終わった方が、
後味スッキリしたのではないか。

せめて、死刑と決まったなら、開き直ってかっこよく死んでもら
いたかった、というのがファンの気持ではないか?。
帝国軍人として潔く従容として死についた石坂浩二や、先に
死刑となった草なぎ剛君の方が光ってみえた。

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