現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

邦楽界のトップによる夢の共演?

2018-01-31 22:26:38 | 虚無僧日記

1月28日 NHK Eテレ「古典芸能への招待」

現代の箏曲、尺八界のトップによる“芸の神髄”とのこと。

夜9時~11時 2時間 しっかり見ました。

昨年の8月に国立劇場大ホールで行われたものの再放送。

そんな演奏会があったなんて全く知りませんでした。

ネットで検索しても、誰も話題にしていません。

全く、一般とは、いや邦楽愛好家からも無視された世界です。

「箏の名手が流派を越え夢の競演!」ということで、各流、各会派の

トップの合同演奏。山田流と生田流、宮城会と正派、琴古と都山、

それぞれ歌の節も手付も奏法も全く違う。それが合奏する。

どうやって楽譜を統一したのだろう。またそれを全員暗譜というから

恐れ入る。見ていて とにかく苦痛。気分が悪くなった。

邦楽は、各流派ごとに、味わいが違うのを観賞するものであって、

全員で同じ節を演奏することに 何の意味があるのだろう。

これを一体何人の人が見ているのだろう。見た人は、結局

「邦楽はつまらない」いう感想しかもたないだろう。

この番組を見て感動した人のコメントはあるのかな?

 

演 目:五段砧、交響譚詩、熊野、根曳の松、長刀八島

出演者:米川文子、野坂操壽、山勢松韻、富山清琴、野坂操壽,

    萩岡松韻,山登松和,米川文清,平野裕子,中能島弘子,

    藤井千代賀,伊藤松超,山勢麻衣子,牧瀬裕理子,中島一子,

    藤井泰和,福田栄香,藤本昭子,川瀨露秋

尺八:青木彰時,川瀨順輔,藤原道山

 


観客動員の苦労

2018-01-28 21:36:01 | 虚無僧日記

以前『邦楽ジャーナル』でもT氏が書いていました。
邦楽の発表会やライブなどで、観客よりも舞台上の
演奏者の方が多い会が目につく。主催者、出演者は
なぜ もっと集客の努力をしないのか」と。

私も思います。「演奏はするが、お客は呼ばない」
「(恥ずかしいから)呼べない」。「聞いてもらいたく
ない」という人が多い。不思議です。
ならば、なぜ舞台で演奏するのか。そういう方は
家に籠もって練習していればいいと。

邦楽の場合、もう家族からもソッポを向かれて、
「身内も来てくれない」という現状のようです。

いやそれは邦楽だけではないようです。
洋楽器のコンサートでも観客5人というのが
ありました。

今年は 次の二つの公演に私の最期を掛けて取り組みます。

 4月20日(金)午後2時~3時 アイリス愛知
10月14日(日)午後1時~4時 名古屋能楽堂


1月19日 「ニセ虚無僧取締令」が出された日 だって

2018-01-27 20:12:09 | 虚無僧日記

今日は何の日 徒然日記」というサイトに、こんな記事を発見。転載させていただきます。


1月19日 今日は何の日  江戸時代 「ニセ虚無僧・禁止令」が出された。 

延享元年(1744年)1月19日、江戸幕府が「偽虚無僧の取締令」を発布しました。

こういう法令が出る時は、それによる被害や もめ事が多発したためであって、
ニセ虚無僧が大勢出没していたって事ですね。

本物の虚無僧というのは、剃髪せずに尺八による「音声説経」をしながら
諸国を回る普化宗(ふけしゅう・禅宗の一派)の僧の事。

その普化宗では、尺八は法器とされ、仏教的に尊いもの。その音は、単なる
音楽の音とは違うわけで、その尺八の音を借りて説法をするというわけです。

とは言え、多くの場合、深い編傘をかぶり、腰には刀を差し・・・という                              怪しさ満載のそのお姿で、無言のまま尺八を吹く・・・

最近の大阪では、とんとお見かけする事がなくなりましたが、子供の頃には、
遊びに行こうと 引き戸を開けると、ド~~ンと立っていはったり、外出から帰ると
家の前で尺八を吹いていはったり・・・と、大人には理解できても、子供には
トラウマになりそうな事が何度もあったもんです。

夜遅くまで騒いでいると、「はよ寝な、虚無僧来るで!」と怒られてました。
(←マジメな虚無僧さん、スンマセン)


で そんな中で、江戸時代 やがて登場するのが 偽虚無僧です。

僧なら、お経の一つも唱えなければ托鉢もできませんが、虚無僧なら、
尺八が吹けさえすれば何とかなりますから、「ちょいと練習してやってみよう」って
輩が出て来るのも、もっともかも知れません。

本物の虚無僧なら、店の前や家の前に立って何も貰えなかったとしても、
それは修業の一環ですから、何も言わずに、ただ立ち去るだけですが、
ニセ者は違います。

「なんで、金を出さないんだ!」と店前で暴れてみたり、脅したり・・・

一般人とのトラブルが絶えない状態となり、とうとう、延享元年(1744年)
1月19日、幕府が 『偽虚無僧の取締令』を出したわけです。

やがて、明治の廃仏の嵐に飲み込まれて、一旦は、廃止となった虚無僧ですが、
ご存じのように、「宗教の自由」が保証された現在になって、再び普化宗が
よみがえり、虚無僧も復活しました。

なので、現在の虚無僧さんは、全員、本物の虚無僧・・・。安心して、
思いっきり「音声説経」をやってもらっちゃってください。
 
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いやはや、判りやすい。当サイトの管理人は、ハンドル・ネーム「羽柴茶々」さん。
どうやら「歴女(歴史好きな女性)」らしい。ありがとうございます。


日蓮宗の者の伊勢代参

2018-01-27 20:07:12 | 虚無僧日記

『名古屋叢書』 第18巻 随筆編 (1)

P.257  「塩尻拾遺」 巻49

或る貴人、家人をして 伊勢・八幡へ代参加の事ありし。

かの家人、日蓮宗なりしが、使いを勤め、帰りて同僚に曰く。

「このたびほど、心の憂き事はべらず。忌々(いまいま)しくも

邪神へ参りて、身も穢(けが)れる心地し、そこそこに代参を

勤めて帰りし」とかや。

ああ、二所(伊勢神宮と岩清水八幡宮)の宗廟をも「邪神」と

ののしり、主人の代参をも疎略にせし。天罪といひ、不忠といひ、

人の賊なり。これ己が邪宗に執して、かくあさましき所存と

なる事、云ふにたらず。その者一両年のうちに癲を煩ひて、

久しく悩みありしが、元禄の末に死して、子も亦ほどなく顛狂して、

跡絶にき。神罰のほども いと おそろし。

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今日、伊勢神宮にお参りしてまいりました。すごい人。

老いも若きも「お伊勢参り」。なんと新人深い人が多いことか。

ところが、今朝、こんな話も。

伊勢には行ったが、お参りはせず、おかげ横丁で飲み食いして

遊んで帰ってきたら、帰りに ころんで、「腰を痛めた」。

「足を骨折した」という人が二人も。

 

 


安政6年にアメリカから娼妓?

2018-01-27 19:55:48 | 虚無僧日記

『名古屋叢書』 第21巻 随筆編(4)  p.126

「感興漫筆」 23 安政6年(1859)  10月

天野某 横浜にて 異人の牛を殺すを見る。

まず、牛の四足を四本の柱に縛りつけ、動かぬようにして、

前足の一部を切り、そこに管を差して、異人交代で血を吸う。

他の足にも順に、管を差して、同様にする。

 

紀州の人、アメリカより来る売妓を買ふ。臥褥に入りて、まず

男子の身をねぶるなり。惣身を余地なくねぶり おわらざれば、

交接を許さず。

 

右の二事をもって推し考ふるに、夷人の獣性を帯びたるを知るべし。

謝罪の時は、手足を地に着けて四つんばいになり、或ひは、

土足にて席に上るなど、皆、人間の礼なし。器用の製等は精巧を

尽くすといへども、仁義忠孝の道は絶えて、其の心に入らざる者なり。

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安政6年は、明治になる10年前。アメリカからの船には 売女が

乗っていたようである。船は女性厳禁というのは日本だけ?

 

 

 

 

 


魅せる詩吟をめざして

2018-01-26 20:47:42 | 虚無僧日記

平成28年2月21日 「つるの恩がえし」 名古屋能楽堂

 

写真は 昨年2月に能楽堂で開催された『つるの恩返し』。

主催は、一路会の女性グルーブで結成された「姫ローズ」。

語りと詩吟に 筝、三絃、鳴り物、笛などの演奏が加わる。

単なる伴奏ではなく、それぞれが それぞれの場所で主役となる。

来聴者は40代50代の方が数百名。子供連れの若いママさんも。

「詩吟も邦楽も初めて」という方がほとんど。

全国コンクール優勝の肩書をもつ澤田千鶴香の語りと詩吟は圧巻。

敬遠されがちな詩吟だが、「初めて聞いたけれど、すばらしい」

「詩吟がこんなにすばらしいものとは思わなかった」

「ぜひ、次回は友達を誘って来ます」との絶賛の声。

詩吟や邦楽の衰退に歯止めとなるか。

ご要望に応えて、今年10月14日、能楽堂公演。乞うご期待。

 


詩吟の未来

2018-01-26 20:45:11 | 虚無僧日記

平成28年4月17日 「詩吟・詩舞・剣舞 奉納演奏」奏

 泰洲流 吟剣詩舞道大会

写真は伊勢神宮・参集殿での奉納吟詠。

こういうシチュエーションでは詩吟や剣舞もぴったり。

一般参詣の方も足を止めて、しばし見入っていました。

「観る人の心にはいる」。それが芸能公演の第一。

観客の期待に応えられない独りよがりの公演では

観客が集まらないのも当然。 

「詩吟や尺八」というと「いやいや、結構。興味ない」

と言われるような公演を続けてきた尺八家、吟者の

責任は大きい。私の師堀井小二朗は、50年も前に

「尺八は尺八家によって、詩吟は吟者によって滅びる」と

予告した。「音楽以前の低レベルでは、一般人の心を

打たない。これでは廃れて当然」と。

 


詩吟と長寿の因果関係は?

2018-01-25 21:49:27 | 虚無僧日記

詩吟愛好者の平均年齢は80歳近いのではないでしょうか。

でもみなさんお元気です。

そこで面白い話を耳にしました。詩吟は健康にいい。

大声を出す。腹式呼吸で声を出すことが長寿の秘訣。

そのことは、現役の人たちを見れば判ることだが、それを調べた研究は無い。

科学的にまだ証明されていない。どこぞの医療機関で調査してもらいたいが

誰もやろうとしない。やってくれない。それは・・・・

 

「詩吟が健康長寿につながる」となると、医者が困るからだというのだ。

医者は病人を作ってこそナンボ。だから検診を勧めるのだという。

検診で検査値の大小をことさらに騒ぎたてて手術を施せば、医者は儲かる。

詩吟でみな健康になってしまうと医者は儲からない。

というわけで、詩吟は絶滅寸前。もったいない話です。

 


詩吟の未来

2018-01-25 21:47:35 | 虚無僧日記

詩吟が壊滅状態にあるのは、詩吟愛好家の層が高齢であり、音程もロクに

とれない、詩吟の声も出せないという人がほとんどだからでしょうか。

音程もしっかり、声も美しいスターが出れば、再興の余地はあるでしょう。

詩吟の家元の娘である歌手の「石原詢子」、そして今話題の「千本桜」を

歌っている「和楽器バンド」の「鈴華ゆう子の」に一縷の期待をかけたいものです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=olguD6WJ3Qc

 

https://youtu.be/0m1y7m0HkvQ

 


詩吟の過去、現在、

2018-01-25 21:46:36 | 筝尺八演奏家

 私の師「堀井小二朗」氏は、昭和30年代、詩吟の発展に大きく貢献しました。

当時、大野恵三氏が自由形式の新体詩を作り、それに堀井小二朗が作曲して

詩吟の大きな大会や NHKラジオでも度々放送されたものでした。楽器の編成は

筝は高低二面に低音の十七絃、尺八も二人、それに効果音として鉦、太鼓などの

鳴り物をいれて6重奏。舞台の下のオーケストラボックスで演奏したものです。

全詩に 各パートの手付け(作曲・作譜)をするのですから、作曲料をいだたきます。

その額が50万円。そして演奏者には一人5万円のギャラ。6人だと30万円。

併せて80万円。当時は 初任給が、月給4万円。年収でも 5~60万の時代です。

でもこのような会は年に1~2 回あるかないかですから、これでは食べてはいけません。

堀井小二朗氏の生活は悲惨なものでした。

そしてあれから40年。当時を知る人が今 7~80代。あの頃の燃えるような

情熱も消え、詩吟界は亡霊のように唸っている状態です。

私も「昔は・・・」なんて云う歳になってしまいました。