現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

北海道物産展

2012-02-29 12:31:21 | 虚無僧日記
松坂屋で、年2回開かれる「北海道物産展」。
知り合いのKさんが、蟹(カニ)のキャップをかぶって
「え~、らっしゃい らっしゃい」と。テレビの
ニュースにも出る。

「おつきあいで・・」と思っても、なにせ高い。
タラバガニなど、5,000円~万単位。ウニ、イクラ、
カニの海鮮丼などの弁当は 1,500~2,000円以上。

鈴花の営業力はすごい。会社の同僚から注文を
とって、弁当20個買出しに行く。私は 運び屋。
20個も買うと「ハイ、おまけ!」と1個サービス
してくれる。それが私のお昼。また タダでご馳走に
ありついた。ありがたい。

ところで、ネットで調べてみた。「北海道物産展」で
会場売り上げ No.1は 鹿児島の「山形屋」。

鹿児島市の人口とほぼ同じ延べ約60万人が来場。
約7億~8億円を売り上げるという。2位は 東京の
「東武百貨店池袋店」で 約3~4億。

鹿児島の「山形屋」がダントツなのにはワケがある。

九州の人にとって北海道は、普段 手にはいらない品
という珍しさもあるが、山形屋は、“味付け”については
鹿児島人の舌にあうように、アレンジをするのだという。

例えば、イクラの醤油漬けは、北海道では辛口醤油を
使うが、山形屋では鹿児島の 甘口醤油にする。 出店
業者に 希望の味付けを伝え、納得いくまで作らせる
という。

仕入れも違う。物産展では毎日少量ずつ仕入れ、
補充するのが定石だが、山形屋では担当者が 直接
事前に 道内を回り、ジャガイモ20トン、カニ
12トンと大量に買い付け、コンテナで運ぶ。
「仕入れ値や輸送費を抑え、現地と同じ価格を実現
している」と。 さすがぁ。

そういえば、名古屋のKさんが、なんで北海道の店の
販売を手伝っているのか、不思議に思っていたが、
全員が北海道から来ているのではないのだ。現地
採用のバイトもいるのだ。


ワッフルの訪問販売

2012-02-29 10:56:56 | 虚無僧日記
ピンポーンと鳴って 出てみれば、若いお姉さんが、
大きな箱を両手に抱えて 重そうにしている。
「宅急便か?」と思いきや、「ワッフルなんですぅ」と。
「???」。事情が呑み込めないでいると、「仙台から
来たんですゥ」と、東北なまり。つい東北人のよしみで、
玄関の内に招き入れた。

製造は仙台で、無店舗販売。全国を廻って 訪問販売を
していると言うから、驚き。

普通は、チラシを見せて「いかがですか?」と注文を
とりにくるのだろうが、それではカンタンに断られる。
「現物」を抱えて、4階まで上がってきたとなると、
無碍には断られない。

どうやら、勤め先は「物販会社」で、「ワッフル」に
限らず、モノを仕入れて(取り寄せて)、訪問販売する
という形態のようだ。

近江商人の商人道を示す『天秤(てんびん)の詩』の
ようだ。

「東日本大震災」のことは一言も口に出さなかったのが
気に入った。「震災被害者」として同情をかって売る
のではなく、「こうして、いろんな方にお会いして、
お話ししていただいて、お客様の笑顔を見るのが
好きなんですゥ」という。とにかく明るい。満面の
笑顔がいい。

ワッフル1個 250円。ストロベリー、ブルーベリー、
バニラ、カスタード、チョコと6種類ある。冷凍して
食べれば、アイスクリームのような感触とも。
ついつい、各種類2個ずつ、12個 3,000円も買って
しまった。一日100個売って、どれだけ販売手数料が
はいるのだろう。楽ではあるまい。


「金に目がくらんで」

2012-02-28 00:20:10 | 虚無僧日記
藤原新、五輪確!フリーターの星/東京マラソン(サンケイスポーツ) - goo ニュース

世事に疎い私。26日は「東京国際マラソン」とか。
どうりで 都心の朝は、不気味なほど道路がガラ空きだった。

その昔、まだマラソン・ブームでなかった頃、千代田生命の
冠で「マラソン大会」を企画した。だが、警察署で「車の
交通を止めるなんてとんでもない」と言下に断られた。

今、白バイが先導を勤めている。しかも白バイに乗って
いるのは女性だ。結構な美人。そちらの方にぱかり目が
いく私。

新宿都庁から品川を経由して浅草までを2時間余で走る
とは驚き。忍者でもこんな記録は出せまい。一般人は
4時間。プロとアマの差だ。

結果、藤原 新選手(30)が、2時間7分48秒で日本選手
トップの2位。オリンピックへの期待がかかる川内優輝
選手(24)は14位だった。

さてロンドンオリンピックの出場権はどちらに?

「失業中、無職、フリーター」のランナー「藤原新」氏の
苦労、努力を思うと、望みを叶えてやりたいものだ。
「2位なら賞金400万、3位だと300万、100万の差なら」
「金メダル」ではなく「金(かね)に目がくらんで」頑張った
とは、正直。

でも、何年も苦労、努力してきた結果としては 400万とは
少ない気がする。せめて 2000万は欲しいだろう。

マラソン選手は短命とも。なにせ、マラトンからアテネ
まで走って勝利を伝えて息絶えた兵士の故事にのっとって、
その距離は「42.195km」とか。なんと「死(4)に(2)行(1)
く(9)覚悟(5)」ではないか。

一生どころか、短命に終わる危険(リスク)を賭けてまで
えらいこっちゃ。

この日、女子バレーの監督だった「米田一典」氏も
61歳で死去。

男の修行

2012-02-27 22:27:25 | 虚無僧日記
東京に独り住む母は、88歳。「米寿」の祝いをしたら、
急に足腰が弱ってきた。もう室内を歩くのもやっと。
外には出れない。「最近、記憶も途切れて、時々、
子供の顔も思い出せなくなった」と。いよいよきたか。

「あれが無い、これが無い」とぶつぶつ。
 (それはこの前、私にくれたでしょう)

それでいて、「あの時 ああだった こうだった」と
過去の話しを何度も何度も蒸し返す。

ひたすら“無言の行”で 聞き流す。

山本五十六の言葉だったか。

「苦しいこともあるだろう、
 言いたいこともあるだろう、
 不満なこともあるだろう、
 腹の立つこともあるだろう、
 泣きたいこともあるだろう、
 これらをじっとこらえてゆくのが
 男の修行である」

これで、帰りがけには 少しは元気になった。




東京

2012-02-27 21:16:15 | 虚無僧日記
私の生家は、東京目黒区にある。

40年も前なら、近所の人は皆顔見知りで、道で人に
会えば 挨拶をしたものだが、今は、道行く人は
皆見知らぬ他人。顔をそむけ、ことさら無視して
すれ違う。自分の“故郷”ではなくなっている。

駅の改札口で、年寄り二人が もめている。どうやら、
新幹線に乗るのに、東横線の「菊名(きくな)」で
横浜線に乗り「新横浜」から乗ろうと、一人が
主張している。

私の感覚では、品川か東京駅から乗った方が近いし、
座れるから良いと思い、「東京駅の方がいいですよ」と
いらぬ口出しをしてしまった。

するとその爺さん「解ってます!、解ってるから
いいんです!」と血相変えて怒りだした。

まあ、東京は見知らぬ人とは口をきいてはいけない
所だ。駅名からして「聞くな(菊名)」だった。

名古屋に帰ってきたら、駅に「どうしました?と
一声 声をかけよう」というポスターがずらりと
貼ってあった。


3日間、東京へ行ってきます。

2012-02-25 05:32:09 | 虚無僧日記
エンディングノート」の書き方を指導する本が
たくさん出ている。その大半が「遺言書の書き方」や
「葬儀の段取り」だ。

「最期を迎えるまでの日々を いかに生きるか」を
一緒に考えるコンサルタント・ビジネスも生まれて
いるらしい。人生経験を生かして、私にもできるか?

まずは、身内から。私の母は、今88歳で、必死に生きて
いる。体は思うように働かなくなってきているので、
そろそろ「エンディングノート」をつけて欲しいのだが、
応ずる気配はない。

こんな小話があった。
「人は、死が近づくと、目も澄んできれいになり、 
仏様のような笑顔になるんですって」と妻が言うと、
夫「じゃ、おまえは まだまだ死なんな」。

私の母も“生”への執着はすさまじい。老いてますます、
社会を呪い、人を憎み、親不幸者の私を憎んでいる。
その形相は、とても“仏様”とはほど遠い。「神仏」を
信じない母だ。成仏はできまい。

このままで、死なれては困る。母と子、憎みあったままで
死なれては、私も後味が悪い。母のこれからの毎日を
心豊かに“幸せ”に、過ごすにはどうしたらよいか。
「ソフト・エンディング」を考えなければならない。

というわけで、今日から3日間、また東京に行って
きますので、明日のブログはお休みです。月曜日の夜
帰って書きます。結果報告をお楽しみに。

エンディング・ノート

2012-02-25 04:49:08 | 虚無僧日記
「エンディングノート」を書くのがトレンディらしい。

映画「エンディングノート」は、「定年退職後まもなくして、
癌で余命半年と宣告された父親(砂田知昭)の 死までを追った
ドキュメンタリー」。退職時の元気でイキイキとしていた顔が、
どんどんやせこけていく、役者では 演じきれないリアリティに
圧倒される。誰にでも訪れる“死”にどう向き合うか。“葬式”
という人生最期の、たった一度きりの一大セレモニーをどう
演出するか。『私今“終活”に忙しいんです』というキャッチも
またすばらしい。

この映画は“終活”“エンディングノート”という言葉を
流行らせてくれた。その影響か、今「エンディングノート」を
書くことがトレンディとか。

「エンディングノート」は ただ「お葬式の準備」というだけで
なく、「死を意識することによって、残りの人生をどう
生きるかを考えるきっかけにもなる」という。「周囲との
関係性や自分が大切にしてきたことを振り返ることで、
日々の過ごし方について見つめ直す」ことはいいことだ。

「震災があって、『明日どうなっているのかわからない』、
『今を大事に生きよう』『周囲にいる人を大切にしよう』と
考える人が急速に増えてきた。人生を振り返り、残りの
時間を有意義に過ごそう」という意識が高まってきたと
言われる。

いままで独身を通してきたミドルの「結婚」だけでなく、
シニアの「結婚」も増えているとか。「最後くらい 添い
遂げる人が欲しい」と考える人が増えている証だとも。
「残りの人生を愛する人と楽しく過ごしたい」と思うことも
「死生観の変化」という。

逆に離婚も増えているとか。「震災で『絆』の大切さが
再認識されたと同時に、『たった一度の人生を、この人と
一緒にいてもいいのか』『自分らしい生をまっとうしたい』と
考えるようになったからとも。

私には、その両方とも、逐一「ごもっとも」と納得いく。








余命10年と決められたら『蜩の記』

2012-02-25 03:58:12 | 心の問題
“死”を達観した人々が目指す心豊かな人生とは?震災から1年、「エンディングブーム」が起きる背景(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

直木賞受賞作品、葉室麟(はむろ りん)の『蜩ノ記』
(ひぐらしのき)が 好評だ。満場一致で決ったという。
審査員も 読後感想も みな絶賛している。

だが、私は「歴史小説」が好きではない。「刃傷沙汰を
起こし切腹を免れ・・・」とか、「藩主の側室と不義密通を
犯して、“十年後”に切腹を命じられた」とか、まず
「有り得ない」と私は思ってしまう。「有り得ない」
奇抜な発想だから「小説」なのだろう。

「事実は小説よりも奇なり」、事実をそのまま書けば、
リアリティもあって、驚きも感動もあると思うのは
私だけか?

というわけで、読んではいないが、「10年後の切腹」
というテーマに、気を引かれた。この年(64歳)になると
「10年後生きているだろうか」「寿命があと10年
だったら、どう生きようか」と 考えるようになった。

最近「エンディング・ブーム」とか。“死”と向かい合う
ドラマや映画が多い。自分の思いを書き残す「エンディング
ノート」の「書き方講座」まである。「自分はどんな死に方を
すべきなのか」「自分の寿命が限られているとすれば、
今やらなくてはいけないことは何か」。「東日本大震災」で、
「生と死」を意識する人が増えたからとも言われる。


『蜩の記』は、こうした潮流に乗った作品といえる。
今後10年間の生き様を 現代人に問うている。その
現代的視点が「直木賞」に輝いたようだ。
 

すばらしい出会い

2012-02-24 11:42:21 | 虚無僧日記
20日(月)名古屋駅前で 大分のYさんにお会いした。
私は虚無僧姿。3年前 九州を旅した時、お世話になった方。
もともとは名古屋の方で、数年前に大分に引越しされ、
5年ぶりの名古屋とのこと。

1、2曲 聞いていただき、ご喜捨いただいた。
その後、外国人のカップルが 前の階段に腰を下ろして
しばらく聞いてくれた後、私に手を合わせ、喜捨して
くれた。その後も、次から次へと。ご年配のご婦人も
「上手だねぇ」と。若い女性は「すみません、入れさせて
いただいて よろしいですか」と。1時間ほどの間に
10人。いまだかってない体験だった。

22日(水)Yさんが、お二人の友達を連れて、わが家に
みえた。月曜日のお礼を言うと「そうなの、私、人を
呼ぶみたい」と。私も自分ではそういう力があると
思っている。客がいない店でも、私が帰ったあと、
次々とお客がはいることがよくある。

そう、「虚無僧がくると混むそうだ」なのだ。

Yさんは、私以上にパワーがある。そんな話で、
盛りあがり、私と“波長”が合う。

お連れいただいた方は、アコーディオンのプロとの
ことで、近所に住むNさんからアコーディオンを
借りてきて、私の尺八とコラボした。

ポピュラーから演歌、クラシックまで、なんでも
合わせてくれる。「ハンガリー舞曲」などでも、
尺八に合わせてキィを変えても弾ける。もちろん 
全部暗譜。

彼女は「チンドン家」もするという。「邦楽にも
関心がある」と言われる。こういうパートナーを
探していた。Yさんから、すばらしい出会いを
いただいた。感謝です。

南京大虐殺紀念館

2012-02-23 21:22:00 | 虚無僧日記
南京に「南京大虐殺紀念館」というのがあるそうな。

ネットで調べて驚いた。なんと日本人が造ったという。
社会党委員長を務めた「田辺誠」が、総評から3000万円の
建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された。
3000万円の資金のうち建設費はわずか 870万円で、余った
資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計も
日本人が手がけた。

その後、拡張工事を行い、2008年1月16日に再オープン
してから、「30万人殺戮」を入り口に掲げ、旧日本軍の
「非人道性」を強調し、“反日教育”の場となっている。

残虐な被害写真が多く展示されているが、その何点かに
ついて、「南京以外のもの、中国共産党による国民党の
虐殺。合成写真、中国人が演じて撮らせた捏造写真である」
と指摘されている。

こうした南京市の「反日宣伝」こそ、日中友好を阻む
ものではないか、「その誤りを正すべき」というのが
「河村市長」の真意か。