福田蘭童の『新日本膝栗毛』をネットで入手。
40年前、私が20歳の頃、読んだのだが、当時の私はクソ
マジメの青くさい青年だったから、お色気混じりでハチャ
メチャな「虚無僧道中記」には反感を持っていた。
昭和27年の刊行だが、これを元に、S39年、テレビで
『そろりと参ろう』とドラマが放映された。当時私は
中学3年。モノクロの映画フィルムで撮影されたもの
だった。珍竹という弟子を連れて、東海道を京都まで
くだるというストーリーは『新日本膝栗毛』と同じだが、
こちらは結構まじめな展開で、私は毎週水曜日夢中に
なって観ていた。それだけに、原作の『新日本膝栗毛』を
読んだ時は幻滅したのだ。
今改めて『新日本膝栗毛』を読み返してみると、面白い。
しっちゃかめっちゃか、無手勝流が虚無僧の真の姿かと
思えるようになってきた。少しは、私も成長したかな?
一休さんは6歳で安国寺に「童子(ずんなん)」として
預けられた。「童子」とは、寺の和尚さんの世話係り。
夜伽(よとぎ)の相手もさせられるのだ。
やまいだれに寺と書いて「痔」。痔は寺の中での淫靡な
病なのだ。信長と森乱丸、謙信と直江兼続もそうであった
ように、戦国時代まで男色は、日本の文化だった。
一休さんも「男に飽きて、今夜は妻を抱こう」なんていう
詩を残している。本来妻帯はできないはずだが、一休
には子供がいた。子がいたのだから、妻もいた。
芸能界には「ゲイ能人」と言われるくらいだから、男色は
結構あるようだ。
元、光GENJIのメンバー( に なりそこねた人らしいが)、 「木山将吾が、ジャニーズ事務所のオーナー?ジャニー喜多川の 夜の相手をさせられていた。“性の奴隷だった”」とバラした話。
「木山将吾」なんて知らないが、こちらも「買春ネタ(寝た)」で
有名になろうとする人かいな。やぁ~にィ
虚無僧本曲の人気No.1『阿字観』。虚無僧で吹いていて
「“アジカン”お願いします」と言われたことが何回かある。
ハワイ大学での公演でもリクエストされた。
「阿字観」は、大正期に宮川如山が「サシ」を変曲したもの。
宮川如山は、激しく揺りを入れて4分弱で吹いたというので、
「ねりさし」に近いものだったと思える。それが、谷狂竹が
2尺5寸の長管で、ゆったりと静かに吹いたので、その弟子の
西村虚空の録音では9分もの長い曲になっているそうな。
「アジ」「サシ」とは?。梵字の「阿字」と「薩字」の意味
だった。「ア」は、梵字の第一音だから、物事の根源の意味。
「サ」は観音菩薩の種字とか。真言宗に「阿字観」という
修行法があるそうな。難しい解釈はわからん。虚無僧本曲に
は元々深い意味など無いのではと、私は思う。
(「18歳の虚無僧体験」の続き)
村から逃げるように、山の上へ上へと登って行った。
急な斜面の上にも藁葺き屋根の農家があった。こんな
高地でも人が住んでいるのだと感動して、軒先で尺八
を吹く。すると斜面の下の方から、おばあさんが駈け
登ってくる。炎天下だ。おばあさんは、手ぬぐいを
とって、私に頭を下げ、裏口から家の中に入っていった。
そしてしばらくしてお盆の上に白米を山盛り乗せて出て
こられたのだ。
しばし私は躊躇した。白米を偈箱にそのまま流し込む
わけにはいかない。今のようにポリ袋なんて無い時代だ。
いただいても、炊いて食べることもできない。そんな
ことより、「自分は尺八が好きだから吹いているだけ。
この炎天下、汗水たらして作ったお米をいただくのは
申し訳ない」という思いにかられて、「いだだけません」
と断って、また逃げるように山を降りてしまった。
このことが一生の後悔となっている。おばあさんの
志を無にしてしまったのだ。どんなに傷つけたことか。
あれから30年経って、今から12年ほど前だが、思い
出の地を車で回ってみた。ダムができ、磐越道もできて、
村々の様子はすっかり変わっていた。あの山の上の
一軒家も探すことはできなかった。
「『前向きに』と、駐車場でも励まされ」
第一生命の「サラリーマン川柳」だ。
なるほど、スーパーでもコンビにでも、
駐車場の壁に『前向きに』と書かれている。
隣家へ排気ガスが入るからだ。それでも
後ろ向きに止める人がいる。こんな事にも、
他人の痛みを感じない自己中な心を感じる。
「上野の山の西郷さんはどっち向き?」
「夏向き」という駄洒落も昔あった。
今なら「前向き」と答えたい。
これは10年くらい前に書いた記事の再掲です。
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夜11時を回ると、ホームレス達が寝床を求めて
這い出してくる。
半年前1,2度見かけた中年男性にまた会った。
階段に座り込んで、じっと私の尺八に耳を傾けて
くれていた人だ。以前は割りときちんとしたスーツ
姿だったので、ビジネスマンと思っていたが、
今はその服もヨレヨレ。ホームレスになっていた
のだ。
帰る家も無しか。家族は?
NHKのドラマ「上海タイフーン」を思い出す。
突然リストラされ、家族には言えず、「やりたい
ことがあるから会社を辞める、離婚してくれと」と、
離婚届を送って、上海に留まる男(古谷一行)と
娘の再会のシーンだった。「これって私のことだ」
と思いながら見た。
これから世の中ますます厳しくなる。虚無僧が
夜な夜な吹く尺八の音は、暗い世相の到来を予言
しているのか。
夜10時を過ぎると、駅前の空気も急に怪しくなる。
数人の目つきの鋭い男たちに取り囲まれた。
思いっきり尺八を吹く。ムラ息、風息、甲乙、大甲
(ダイカン=3オクターブ上)縦横自在、自分でも驚く
ほど上手に、一心不乱に吹きまくった。
連中は、じっと腕組をし、訝しげにこちらを見つめて、
しばらく聞いていたが、私の尺八吹奏に付け入る隙が
無かったか、目くばせをして行ってしまった。
袈裟も数珠も付けていないので「僧にあらず」とみたか。
名古屋駅で、修学旅行の一団にめぐり会った。
女の子がしきりに手を振る。手を振って応ずると
大はしゃぎ。
「お坊さんですか?」「虚無僧でござる」
(尺八を指して)「これなんですか?」
「悪い人がいると、これで頭叩くんですか?」
(尺八を一吹して)「悪い心を吹き飛ばすのでござる」
人なつっこく話しかけてくる。三重県松坂の
中学校とのこと。スレてない 純真なかわいい
子たちだった。
修学旅行で東京に行くという。東京で何を見つけ
てくるのだろう。怖い目に遭わなきゃいいが。
それも社会勉強か。
最近さっぱり反応が無いが、いいことも。
3日間で9人だが、内、若いお嬢さんが4人。
今までは100人に1人くらいだった。もっとも、
夜10時過ぎても、道行く人の9割は若い女性ばかり。
男は数えるほど。分母が多ければ、心ある女性も
もいるということか。
昨晩は、若い女性の二人組。
「“明暗”だって」
「あの箱に、カネいれるんじゃない?」
「えぇー!お金?」
と大声出しながら 20mほども行き過ぎてから
戻ってきて、金きらの財布から1円玉を。
「きれいな心に感謝です」というと。
「“きれい”だって、おだてられるとうれしく
なっちゃう」と小銭をじゃらじゃら入れてくれた。
「“徳”は何倍にもなって返ってきますよ」
「ありがとう!」
今朝も、交差点で信号待ちをしていると、自転車に
乗った若い女性が近づいてきて、偈箱にチャリン。
ふいを突かれて、あっけにとられる。若い女性は
“縁無きもの”との思い込みを叩き割ってくれた。
名古屋駅のコンコースをぶらぶら歩いていたら、
「すみません、100円あげるから、写真撮らせて
くれませんか」と背後から袖をひかれた。
振り向くと、若いきれいなお姉さん。
「どうぞ、どうぞ」とホクホク顔の私。天蓋で顔は
見えないか。彼女には若い男性が二人付いていて、
その一人がケータイのカメラを向ける。
すると彼女は私と腕を組んで「ハイ、ポーズ」。
「私のお父さんね、不動産業やってんだけどさ。
会社つぶれたら、こういうの(虚無僧)やりたいって
言ってんだ。写真送ってあげようと思って」と。
「私も会社がつぶれたので、この道に・・・」
「ほんとう?!」
なんだか私の娘のように思えてきた。
男性も私の右に寄ってきて、3人で肩寄せ合って
ハイポーズ。
「300円入れちゃおうかな」と彼女が大きな財布の
中をごそごそ。
「駅構内なので尺八は吹けませんので」と断りながら、
ピヒャーとひと吹き。すると男性も、
「俺、500円」。
さらにウヒャー。
周りの人が驚いて一斉にこちらを振り向く。