Wikipediaで「アマチュア」を見ると、定義は 次のようでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.プロに匹敵する知識や技術を持っているが、職業として行うための
資格を持っていないか、持っていてもそれを職業としていない人物
2.知識や技術を持っており、場合によっては職業として行うための
資格を持っているが、その技量がプロには及ばない人物
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尺八で言えば「尺八師範」の資格を持っていなければ、どんなに
上手でも「アマ」か?。最近では、流派に属さないで、プロに
なっている人がどんどん出てきている。私もその一人。
二番目の「師範」の資格を持っていても、その技量が「プロ」に
及ばない者。これは、尺八の世界では多い。
「○○流師範」の肩書きを持つ御仁は2万人もいらっしゃるが、
その 99.5% は 素人同然。残り0.5パーセントの 100人が、プロ級の
腕前を持っている。しかし、腕はよくとも「プロ活動」をしていない
人が半数以上。腕はあっても「プロ」と「アマ」の違いは何か?
では「プロ」とは? Wikipediaで見ると
「本来の意味は その分野で生計を立てていること」と。
となると、尺八家の中で、尺八の演奏だけで生計を立てている人は
ほんの0.1パーセントの 20人位でしょう。この定義では、私も
はずされる。私は、年金があるから食べていける。
Wikipediaでは、さらに
1.ある分野について、専門的知識・技術を有していること、
あるいは専門家のこと。
2.そのことに対して厳しい姿勢で臨み、かつ、第三者が
それを認める行為を実行している人
さて、これで私もようやくプロの仲間入りができるか。
別のサイトで、ある評論家が「何事も超一流のプロ以外は皆アマ」と。
けだし明言。ダントツの超一流以外の者が「プロ」を自認するのは
おこがましい。そんな謙虚さも必要か。
一流のプロは、専門外のことをやらせても一流に
やり遂げる。
その昔(S50年代)、TVの「芸能人の隠し芸大会」で、
クレージーキャッツの面々が、尺八で『テイク・
ファイブ』他、ジャズを吹いた。
当時の尺八家で『テイク・ファイブ』を吹ける人は
いなかった。クレージーキャッツのメンバーの一人、
石橋エータローが、福田蘭童の息子であることは
知っていたが、ハナ肇や加藤茶、高木ブーまでが、
全員で尺八を吹いたのだから驚きであった。
その他、三味線やダンスなど、役者が専門外のことで
一流の演技をすることに、“さすがプロ”と思う。
「プロとアマ」で検索して、こちらは「陶芸家」のブログ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陶芸家には、プロの試験も認定制度も資格もない。
土を握って焼成すれば、プロもアマもない。
全国的な陶芸公募展でも、プロだから入選、アマだから
選外という事はない。プロと呼ばれている人でも選外に
なるし、アマと呼ばれている人でも入賞する。プロも
アマもない、あるのは作品だけなのだ。
うまく定義できないが、「プロであるという心意気を
持っていれば、下手くそでもプロである」。
逆に「すごい技を持っていても、自分はアマと思っている限り、
アマと呼ばれている領域から抜け出る事はできない」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はて、 要は、本人の心根次第か?
ただし、この方 「他人が決して真似のできない技を
持っている人が超一流」と述べている。それには納得。
尺八の世界も同じ。プロでも年収300万以下では、 食べていけないのだから、プロとはいえない。 その点では、私はプロといえない。
逆にアマでも、プロ以上に上手な方もいる。だが、 技術的にはすばらしくとも、プロとして認められるには、 強烈な個性、オリジナリティを持っているか否かだ。 その音色、演奏を聴いただけで誰だかがわかる。 それは他人には真似できないものを持っているか否かだ。
ひるがえって私。「9孔尺八」で「5孔」では吹けない半音階の
移行の曲でも吹奏は可能。1尺3寸~2尺4寸までの尺八で、 どんなキイにも対応できる。
それで、演歌、詩吟、琵琶、一絃琴、ご詠歌、声明、
バロック、前衛音楽、舞踊などの伴奏の仕事が舞い込む。
「余人をもって替え難し、オンリーワンの尺八プロ」。
言い方を替えれば「隙間(すきま)産業」で細々と食べて
いけるのでござる。
こちらはマンドリンの先生のブログ。
マンドリン教室の講師と演奏だけで食べていけている人は
20人位しかいない。(ふむ、尺八と同じだ)
「あの人は、下手なプロより上手い」とよく言われる。
(ふむ、尺八界にもプロ顔負けの名人がいる)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「自分が2番目に好きなことを職業にしなさい」という
言葉を聞いたことはありませんか? 「自分が1番好きなことを
仕事にすると、お金が絡んでくるので、好きなことも嫌になり、
やめてしまう可能性もあるから、1番好きなことは趣味に
とっておいて、2番目に好きなことを仕事にしなさい。」という
意味だそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほほう。そういえば 聞いたことがあります。
プロとなると、頼まれれば、好きでない曲も演奏しなければ
なりません。自分の技量を超えた難しい曲でも演奏しなければ
なりません。たしかに苦痛も伴います。時間にも追われ、
やっつけ仕事もあります。でもそれを、こなしていくのが
「プロ」というものでしょう。それに見合った報酬が
いただけたら、「プロ」ならではの大満足です。
「完璧にこなすのがプロ」と言うなら、
オリンピックでミスや失敗をするのは
プロとはいえない。だからオリンピックは
“アマチュア競技”か。
だがオリンピック選手は、プロ以上に難しい
技に挑戦している。だからオリンピックは
“競技”なのだろう。
フィギア選手が「アイスショー」のプロに転向
すると、より無難な技で、完璧さ、安定感、
安心感のある演技で観客を魅了する。
プロは技術だけでなく、プラスα、観客を魅了
する“オーラ”がある。
音楽家もそうだ。音楽大学を出て、技術は完璧でも、
オーラがなければプロといえない。演歌歌手は、 音大には合格できなくても、観客を惹きつける “花”がある。それがプロとアマの違いか。
プロとアマの違いは何だろう。
プロにも二通りある。楽譜通り正確に吹くプロ。それはそれで
感動を与えるが、往々にして何かつまらない演奏になる。
オリンピックのフィギア スケートは難易度の高い技に挑戦して
緊張と感動を与えてくれる。一方、プロのアイスダンス ショーは、
完璧なすべりで 観客を魅了する。そこには、見ていて、絶対に
失敗しないという安心感もある。
それと同じか。楽譜にしがみついて吹くのは、たとえ完璧に
吹いても、観客に不安感を与え、プロではない。プロは楽譜が
あったとしても、余裕を見せる。
演奏の姿勢もアマとプロの差が現れる。プロは舞台に出てくる
ところから違う。観客を呑むオーラを発する。終始うつむき
加減の演奏では、観客に“見せる姿”にならない。
プロの尺八家 阪口夕山氏が「私にとって 古典本曲は“趣味”です」と。
「古典本曲ではお金をいただかない」という。「古典本曲のプロではない」と
いうのか。「古典本曲は人に聞かせて金をいただく性質のものではない」
という意味か。
私はプロの虚無僧でござる。舞台で演奏するのも、街頭で尺八を吹くのも同じ。 舞台演奏でも「お代は見てのお帰りに」で、「感動していただけたら それに応じた喜捨を」と告げている。その方がチケットの売り上げより 多かったりして、反応が即金額で示されるから、真剣勝負。
先日「カタチばかりの虚無僧が多いが、初めて“ホンモノ”の 虚無僧を見た気がした」と言っていただいた。
ようやく板についてきて、ホンモノになれたたか。
「プロとアマ」で検索して、ある方のブログ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「プロは、他人に満足を提供して、お金をもらえる人、
アマは、お金を払って、自分の満足を得る人」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なるほど、けだし明解な定義でござる。
尺八の世界でも、素人さんは会費を払って舞台で
演奏して、自己満足に浸る。観客の不興などは
関係なし。プロは、主催者からお金をいただいて
主催者と観客に満足を与える。
いかに主催者の期待に応え、お客に満足して
いただくか、それがプロの仕事でしょう。
「プロとアマ」の違いから転載
させていただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プロと呼ばれる方は気持ちの持ち方が違うと感じます。
■出来る方法を考えるのがプロ、できない言い訳をするのがアマ
プロは、困難な仕事であっても、それに意欲的に挑戦し、
できる方法を考える。アマは、できない言い訳を考える。
■常にチャレンジするのがプロ、現状に満足するのがアマ
■仕事を楽しむのがプロ、仕事を楽しめないのがアマ
■行動を起こすのがプロ、批判をするのがアマ
壁に直面した時、プロは、何が悪いのか?なぜそのように
なったのか?どうすれば解決するのか?を考え行動に起こす。
アマは文句を言って思考停止してしまう。
■時間を効率的に使うのがプロ、時間を浪費するのがアマ
■約束を必ず守るのがプロ、約束を守らないのがアマ
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる
めざそう!プロの道
プロとアマ、尺八で云うならば、音の力の差。
プロは “迷いの無い”音。音に自信がある。
素人の音は 不安定で迷いがある音と云える。
詩吟の発声も尺八も共通する。
「あーーいーーーうーーーえーーーおーーー」と
発生練習をする時、一度「あ」と発声したら
絶対 口を動かしてはならない。大山などのユリの時も
口の形は変えない。腹筋を使ってユる。
これが素人とプロの差。
尺八の場合、ローツーレーチーとそれぞれ歌口のポイントが
違う。ロのままでは甲のツなど きれいに出ない。
そこで歌口のポイントを探って出す。それが“不安感”として
音に出る。これを自信をもって決める。そして強く出す。
口を動かさずにロツレチが出せる特訓をすればプロだ。
それがわかるまでに60年かかった。
プロとアマでは “間(ま)” の処理の仕方が違う。尺八に
限らず、歌でもそうだ。素人は息継ぎが下手。フレーズごとに
ブツッと切れる。プロは息継ぎがわからないように、次の
フレーズへとつなげる。プロの技を公開しよう。
車の運転をイメージしてもらうとよい。ブレーキをかける時は、
少しずつ、徐如に踏んだり、離したりしながら踏んでいく。
それと同じようにデ・クレッシェンドして 息を抜く。
素人の “間” は、急ブレーキを かけられた時のように
ガクッと切れる。
そして、そこで、完全に息が止まってしまうと “素(す)” に
なってしまう。それが何回も繰り返されると、聞きずらい。
スッーと息を抜いて、止まった瞬間にブレーキを離すように、
“吸い”にはいる。 “間” が短い時は、瞬時に吸う。
“間”が長い時は ゆっくりと おもむろに 吸う。完全に息が
切れることのないようにすると、音は無くとも “間” は
つながって聞こえる。
ようするに “間(ま)” の間(あいだ)にも “気” は みなぎって
なければならないということ。