現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

短気は損気

2008-06-30 17:32:55 | 虚無僧日記
昨日の出来事、「またキレた」とブログに書い
たら、即刻三人の方からコメントいただき、うれ
しいやら、恥ずかしいやら、汗顔のいたりです。

「牧原さんは、怒れる立場にいる人ですね」とは
鋭いご指摘。
実は、私もこの会の会員の一人で、在籍15年、
師範代ですが、身内だけに、今までのいろいろな
いきさつがあってのことでした。よその会で
仕事として行ったのなら、BGMなどガマンして
笑って堪えたでしょう。

家族でもそうですが、身内だからストレートに
口にして、お互いを傷つけ合う。「他人様同様、
遠慮してものの言い方を考えれば、愛和な家庭
が築ける」と、朝起き会でも教えられているのに、
情けないことです。

最近、“キレる老人”が話題になっています。
「ガマンできなくなるのは老化の始まり」との
コメント。肝に銘じ、受け止めております。

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一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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詩吟と尺八

2008-06-30 16:59:44 | 虚無僧日記
詩吟は、趣味としてやるには、お金がかからない、
発声が健康によい。健康で長生きのためにも、
詩吟は良い。

だが、私が60歳で最年少なのだから、あと20年で、
絶滅する。洋楽も演歌も民謡もダメな人にとっては、
最後の音楽だ。それだけに、聞くに堪えない人も
多いが、その中でもトップクラスになると、実に格調
高く、美しい。詩吟も芸術、芸道になり得るのだ。

さて、その尺八伴奏だが、楽譜はない。アドリブで
ある。その詩の情景、情感に合わせて、その空気を
作り出すのが尺八だ。そのことにかけて、私は人後に
落ちないと自負している。

ところが、詩吟の伴奏をする尺八家は少ないので、
尺八がちょっと吹ける程度の人でも、引っ張り凧だ。
音程も悪い。フレーズもワンパターンの人でも、詩吟
の人たちにとっては満足のようだ。

40年、詩吟の伴奏に創意工夫をこらしてきた私と
音程も悪いワンパターンの尺八家が、ギャラは同じ。
その差を聞き分ける耳も無いことにがっかりする。

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またキレた

2008-06-30 07:57:04 | 虚無僧日記
1年半ぶりにキレた。昨日の詩吟の会。

休憩の合間に、やかましいBGMが流された。
気分が壊される。筝の調絃もできない。「音を
止めてくれ」と頼むと、担当者が「みなさんに、
リラックスしてもらおうと思って」と言う。

その言葉にキレた。「詩吟はつまらないから、
洋楽を聞かせてあげよう」と、詩吟や尺八を
否定しているようなものだ。

実は、昨年もこの会で、楽器類を投げつけて
大暴れした。しかし、怒ったら自分が損をする
だけ。鼓の革は破れ、特製の尺八掛けも壊し、
10万円以上の大損。それだけではない、45
周年大会、婦人部、青年部の大会など、大きな
会の仕事は頼まれなくなった。それだけに深く
反省し、自重してきたのだが。

今回、物を投げつけなかっただけ、少しは自制
心が働いたが、キレた理由を冷静に?分析して
みると、

秋葉原事件の加藤智大と同じ。自分の存在を
無視、否定されたことが、キレた理由だ。
昨年は、「舞台上では邪魔になるので、伴奏は、
客席の中ほど左隅の出入り口の所で」という。
「尺八伴奏なんか要らない」と言われたような
ものだ。実際、吟者は尺八なんか聞いていない。
平気で違う音から出たりする。音楽以前の世界
なのだ。それを尺八でカバーしてあげているの
がわからん人たちだ。しかし、この「やってあげ
る」という心がいかん。あくまで「やらせて
いただく」という謙虚さが無いと、仕事はこない。
そのために、朝起きで「今日も一日、腹をたてず、
笑顔の実践」学んでいるのに、情けない。反省。

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蒲原そして名古屋

2008-06-29 07:53:14 | 虚無僧日記
蒲原(かんばら)は、雪がめったに降らない所なのに
広重は『東海道五拾参次の図』で「蒲原夜の雪」と題
して、一面の雪景色で描いた。しかも広重は8月に
ここを訪れているのにもかかわらずである。云々の
案内板があった。今日6/28も蒸し暑い。涼を求めての
幻想か。俳句で「雪は夏の季語」と聞いたこともある。
昔の人の想像力と創造性に感服する。

公演まで時間があったので、町中を虚無僧で周ってみた。
人影がほとんどない。お店も無い。それでも4軒のお宅
からお布施をいただいた。「おや虚無僧が来たよ」
「ちょっとお待ちください」「ご苦労さまです」と、
会えた方はみなさん温かい。

地元の尺八家の方で、年中行事で虚無僧練りをしている
とのこと。そのおひとり戸田さんが公演前にみえ、いろ
いろ話を伺うことができた。
三橋貴風氏の奥さんの父君も、富士市で尺八を吹かれて
おられ、今日、わざわざ聞きにきてくださった。横山欄保
師につながる方もみえた。

尺八がまだ息づいている“50年昔の日本”がここにあった。
早めに名古屋に戻れたので、名古屋駅前でも久しぶりに
吹いてみた。人は多いが、全く無視。名古屋も、とみに
東京なみになってきた。虚無僧の末路もほど遠くない中、
先日の甲州市、そして今日の蒲原と、呼んでいただき、
尺八を聞いてくださる方がおられるのは“稀有なこと”と
感謝である。

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6/28 蒲原でライブ

2008-06-29 03:04:57 | 虚無僧日記
今日6/28(土)は、静岡市蒲原(かんばら)で
ライブ。会場は、かつて歯科医院だったという
五十嵐邸。

午後1時から「静岡のロマンを探る会」主催の
写真コンテスト表彰式。

2時から「琴・尺八コンサート」で、来聴者は
60名ばかりで満席となったが、なにせ私邸だか
ら冷房がない。蒸し暑く、窓を開放しているから、
音が響かない。演奏会場としては最悪。

それに、観客の大半が、写真コンテストの入賞
式に来たのであって、琴・尺八の演奏を聞きに
来た方ではない、というのも難しい条件。関心
の無い人に、いかに興味を持ってもらえるか、
それが、プロとしての芸の見せ所。

また、来場者の多くが、蒲原の住民ではなく、
沼津、富士、静岡、名古屋からと、よそから
来られた方というのも、想定外だった。

一方、蒲原と静岡、富士市の尺八愛好家の
方も数名来ておられた。あれこれ組立て直し、
虚無僧と一休の話で通した。

虚無僧というもの珍しさで、なんとか喜んで
もらえたようだ。先日の甲州市にひき続き、
今日もまた百戦練磨の体験の一つとなった。

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明日蒲原でライブ

2008-06-29 02:51:43 | 虚無僧日記
明日6/28(土)14:00~16:00 静岡の蒲原で「尺八・筝コンサート」

会場は、大正時代に歯科医院として建てられたという
国登録有形文化財の旧五十嵐邸 054-385-2023
主催は「静岡のロマンを探る会」054-247-3729 (池田様)

ヤマハの竹内氏の紹介で、浜松の楽器店「尚雅堂」さんが窓口。
前日の今日になって主催者の池田さんに電話を入れてみた。

「なつかしの洋館」写真コンテストの表彰式と抱き合わせで、
記念コンサート。今のところ来場者60名。地元の尺八家の
方も「一路」を知っていたとのこと。以前静岡で聞いたとか。
どなたかな?

虚無僧と「一休語り」が期待されているようだ。
これからは、尺八の歴史だの、普化宗がどうのと、知識を語る
のではなく、自分を全面に出して演奏しようと考えている。

筝は笹野大栄。昨日、我家に来てもらい猛特訓した。
準備万端。明日は成功したい。

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首塚慰霊

2008-06-27 21:04:23 | 虚無僧日記
名古屋市北区大杉町界隈を歩いていて、「首塚
慰霊社」という幟が何本も立てられているのを
見つけた。

以前何かで読んだ。江戸時代、一人の虚無僧が現われ、
ある武家の家の門前で尺八を吹いていると、中から
「いね!」と声がした。「入れ」と聞いた虚無僧は、
門の中に入ると、侍が「無礼者!」と一刀のもとに
天蓋ごと首を切り落とした。侍は「去(い)ね」(行け)
と言ったのを、虚無僧は「入れ」と聞き間違えたのだ。
後でそう後悔した侍は、その首を埋めて供養したと。

「それか!?」と、近づいてみれば、10坪ばかりの
敷地に、屋根付きの囲いがあり、その中に社があった。
由来は何も記されてなかったが、虚無僧を祀った社で
あれば、と『虚鈴』『手向け』を吹く。出てきてみると、
三人の奥様方が立ち話しをしながら私の方を見ていた。

「誰か練習でもしているのかと思ったら、上手なんで、
これは違うと思った」と、お隣りに住む方だった。
いろいろ教えてくれた。

「ここは昔、尾張藩家老の竹腰家の屋敷があった所で、
幕府の隠密を切ったので、その供養のために建てた
とか。また虚無僧が来て、その虚無僧が大金を持って
いたので、それを奪うために殺したとか。親から代々
伝え聞いている」と。「虚無僧が大金?」とは、異な
話で面白い。幕府隠密の虚無僧なら大金を持っていた
かも。
実は、数メートル西の道路の真ん中にあったのだが、
道路を造るために、脇に寄せられた。その時、塚を
堀り崩したが、何も出てこなかった。

現在、所有者は別に住んでいて、時折来ては清掃し、
毎月24日には供養している。祥月命日は12月24日。
200年経っても、こうして手厚く供養されている虚無僧
は他にはいない。自分はどうだろう。無理無理。

そういえば、中日新聞の夕刊に連載されていた『夢の
あと』に、幕府隠密の虚無僧が尾張藩家老宅に忍び
こんで殺される話があった。作家は、ここの伝説を
知って取り入れたのか。作家の探究心と、そこから
想像をふくらます能力には感心する。

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慶応竹の会現役からメール

2008-06-27 12:17:04 | 虚無僧日記
私のH.P.の方に、慶応の筝・尺八クラブ「竹の会」の
現役学生からメールが入っていた。何分H.P.の方は
偶にしか開けないので、メールも開かず、更新もされず、
申し訳ない状態で反省。内容は

 竹之会現役部員のNと申します。
 NHK FMの『船の夢』、拝聴させていただきました。
 牧原さんの尺八の音色は、透き通っていて且つ浮揚感があり、
 絶えず聴く者を取り巻いているような、不思議な感覚を覚えました。
 まさに夢、といった感じでしょうか。
 この『船の夢』、ラストで箏・三絃・尺八が同時に弾き(吹き)切る
 というのは新鮮な感じがしました。いつか是非この曲を弾いてみたいですね。


うれしいですね。よく捉えていると関心する。
慶応の「竹の会」は、先輩に琴古流荒木派の5世家元、
荒木古童(達也)氏が居られ、琴は「三の音会」の滝沢
先生が指導にみえているので、学生三曲の中では、古典
一筋の、超保守派なのだ。

私は、福沢諭吉の孫に当たる堀井小二朗氏についたので、
超革新派である。

古典派は「地唄は盲人の世界だから、花風蝶月を歌っては
いても、色の無い、無味乾燥な世界。色をつけてはいかん」
という。
これに対して堀井小二朗師は、尺八に改良を加え、「古典も
音楽、曲それぞれに応じた情景描写が必要」と、斬新な吹き方
で、邦楽界の革新を図ろうとした異端児。

私は師の考えを推し進め、古曲も楽譜にこだわらず、従来と
全く違った奏法で、曲を表現しようとしている。一昨年の
『千鳥の曲』など、千鳥の鳴き声をトレモロで表現したりして
いるので、古典派保守派からは「とんでもない」とお叱りを
受ける演奏だ。

『船の夢』も、話をいただいてから構想を練り、作譜に3カ月。
ようやく録音前日にできあがっての、ぶっつけ本番だった。
それが目新しく感じてもらえたことはうれしい。

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ピンポン

2008-06-27 11:19:44 | 虚無僧日記
「“ピンポン”に行ってくる」。卓球に行くのではない。
布教公宣活動だ。夜7時、家にいると“ピンポン”と
チャイムが鳴った。「こんな時間に、宅急便か?」と
出ると、20代の弱々しい男性。「仏法のご本を」と。
手にした茶封筒から、すぐ顕正会と判った。せっかく
回って来たのだから、聞いてあげることにした。

「この教えは正しい。日蓮宗の他の教えは、みな
間違っているので、それを正そうとしている会です。
すぐ功徳が現われます。自分の力では限りがあるので、
日蓮上人のお力を戴いて、より大きな望みが叶えられ
ます」というようなことを15分も、訥々としゃべって
帰って行った。

若い者が、こうしたカルト集団に嵌るのも、社会が
おかしいからか。オウムが姿を変えたAlef「アーレフ」
にも、多くの若者が入信している。

「羞恥心」に群がる若い人も同じか。何が若者を
引きつけるのか。それが私の関心事なのだ。

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落書き

2008-06-27 06:43:09 | 社会問題
京産大生もイタリアの大聖堂に落書き 3人の処分検討(朝日新聞) - goo ニュース

岐阜女子短大生に続いて、京都産業大学生。
叱られて気づく幼児並の“おばかさん”。
世界に日本人の恥をさらした“羞恥心的学生”だ。

秋葉原の加藤智大を真似て、ネットに殺人予告を
して検挙された若(バカ)者も共通する。

国内でも奈良の東大寺、長野の善光寺、以前、中国
の万里の長城でも。

楠木正行が、如意輪堂の板扉に鏃で彫りつけた辞世。
「帰らじとかねて思へば梓弓、亡き数に入る名をぞ
とどむる」は、今日立派な観光場所となっている。
そのくらいの“名”をぞ留めてきてもらいたいもの
だが。この古事も知らないだろうな、羞恥心。