現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

映画「関ケ原」

2017-08-29 21:32:09 | 虚無僧日記

8/26に封切られた映画「関ケ原」観てきました。

「司馬遼太の小説、完全映画化」「今明らかにされる関ケ原の真実」などと

いう触れ込みで期待していましたが・・・・・。悪口は書きたくありませんが

観た人のレビューを見ると、みな私と同意見です。

「期待していただけに大変残念。途中で退場しました」

「歴史を知らずに見た人は絶対に解りません。何を訴えたいのか解らなかった」

「詰め込みすぎ。教科書を早口で読み聞かせしている、そんな感じ」

「役者も早口で、何を言っているのか聞き取れない」

はい、隣りの人も半分寝ていました。

「人間模様が描けていない愚作」

「製作した者がこの小説の本質を捉えていないとしか思えない」

「TBSで放映された『関ケ原』(石田三成を加藤剛)と比較してしまう」と

いう意見も。私もTBSの『関ケ原』には感動し、DVDも買って何回か

見ました。テレビは5時間、映画は2時間半という制約ですから、

どこをどう切り取るかですが、見終わって何の感動もない映画でした。

 

ところで「関ケ原の真実」。Wikipediaをみると、今まで云われてきた定説の

ようなものが、ほとんど後世のものとのこと。

まず、「石田三成は、奥州会津の上杉景勝の家臣・直江兼続と密謀を交わし、

家康を東西から挟み撃ちにしようとした」という定説について、映画でも二人が

会見していましたが、三成と兼続が接触した事実はないとのこと。

 

 なぜ、石田三成は大垣を出て関ヶ原転に向かったのか。

「家康が大垣を無視して佐和山城を陥とし、大坂へ向かう」という流言を流し、

三成が急遽おびき出されたとされているが、これも疑問とのこと。

私も今日大垣へ行ってきました。小さな城でした。大垣は「水の都」。

この時期長雨で、水攻めに遇えば城から出撃できない。三成は当初から

関ケ原で東軍を迎え撃つ計画で、松尾山に堅固な砦を築き、その周辺に

島津、毛利他主力部隊を配備していたと。なるほど、東軍が関ケ原に向かった

との知らせに、急遽夜を徹して関ケ原に向かったとしては、砦など築けない

はず。納得。

松尾山の奥に布陣したま動かない小早川秀秋に、家康が業を煮やして

威嚇射撃を行ったという俗説も私は疑問に思っていました。

家康の鉄砲隊がどうやって松尾山に近づけたのか、また発砲してきたのが

家康とどうして判ったのか。発砲されたら敵に回るだろうに、驚いて家康に

味方したのは不自然。信用できる史料で威嚇射撃は裏付けることは

できないとのこと。結局小説家の創作。

 

このほかにもいろいろ。とにかく「真相が明らかに」と謳う割りには、

俗説通りで何の真相も新しい解釈も無し。

女忍者「有村架純」にいたっては、完全に場違い。石田三成が忍者に恋する

なんて笑止千万。まだTBSの加藤剛と松坂慶子は相応の格で感動でした。