毎年載せている記事です。
衝撃の告発。「御巣鷹山に墜落した日航123便はミサイルで撃墜された」
でも、誰も騒がない。無視 無視 虫 虫 蒸し蒸し蒸し えぇ~い蒸し暑い。
1985年8月12日、羽田を発った大阪伊丹空港行「日本航空123便」は、当初から不自然な報道が繰り返された。私も終日テレビを見ていて疑問を感じていた。当初、「相模湾で尾翼が発見された」と、たしかに報道されていた。海に浮かぶ尾翼の映像を私は見ている。隔壁の破損ではなく「尾翼」が落ちたのだ。
なぜ尾翼が落ちたのか。「ミサイルで撃ち落とされた」のだという。
当時、相模湾では米軍と海上自衛隊が演習を行っていた。標的物を飛ばして、それに向けてミサイルを発射するはずだった。その標的が 運悪く 日航機の垂直尾翼に当たってしまった。
その標的に向かってミサイルが飛んでいく。あわてたのは自衛隊。ファントムを飛ばして日航機に近接。これは搭乗者の証言にある。そして、ミサイルは標的物がくっついた尾翼に命中。尾翼を落下させた。これで日航機は操縦不能となった。日航機は羽田への帰還を要請したが、なぜか「横田基地」から、横田への着陸を指示される。
◆ミサイル撃墜説の根拠は
地元民によって墜落現場はすぐ特定されたにもかかわらず、自衛隊は別の場所を指定した。そして、報道関係者や救援隊の到着を遅らせた。
その間、夜を徹して、自衛隊のヘリコプターが旋回し、人命救助より先に、“何か”を探し、持ち去った。“何か” とは、日航機の尾翼に当たった標的物とミサイルの残骸。夜中にヘリコプターが飛んできて、まもなく去って行ってしまったことは、生存者の落合さんも証言している。
尾翼に標的が突き刺さっている写真は当初公開されている。ミサイルの破片とおぼしき物も、いくつも見つかっているが、その後全部 隠匿されている。
生存者の落合さんや川上慶子さんの証言から、墜落時、100人くらいの人が生存していて、呻き声が聞こえていた。しかし、翌日になって、救援隊が到着した時は、多くの遺体が焼かれていた。飛行機や付近の樹木は燃えていないのに、遺体だけが骨まで炭化するほど黒焦げになっていた。おそろしや、夜を徹して、生存者は、証拠隠滅のために焼き殺されたのだ。
さらに、現場で自衛隊員が二人首つり自殺をしている。その写真も当初公開されている。「なんで自殺!?」。自殺なんかするわけがない。
後からやってきて、先遣隊が生存者を焼き殺しているところを見た隊員が、口封じのために、自殺とみせかけて殺されたのだ。
真夏の怪談話か。
JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された
ファイヤー ビーのように見えます。しかも先端を破損している。チャカ2はファイヤー ビーを追跡して訓練をしていましたから点の映像かチャカ2なら必ず手前にファイヤー ビーがいます。