現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

さつま町の「金吾さぁ踊り」

2010-09-29 11:07:48 | 虚無僧って?
鹿児島県さつま町「別野集落」の「虚無僧踊り」は、
「虚無僧に変装して、仇討ちの本懐を遂げたので、
妻と喜んで踊った踊り」であると伝えている。所作の
ゆっくりした女性的で優雅な踊りである。

ふむふむ、他の「虚無僧踊り」と、ちと違う。虚無僧の
深編み笠ではなく、普通の三角山笠である。帯を「下駄
結び」にし「頭陀袋」を下げているのが、江戸時代初期の
虚無僧の格好に近いか。

この踊りは、さつま町の中津川地区に伝わる『金吾様踊り』
の中のひとつ。「金吾様踊り」とは、織田・豊臣時代に
この地方を治めていた「祁答院(けどういん)島津金吾
左衛門尉歳久」を祀る『大石神社』の境内で、毎年9月
18日(前後の日曜日)に奉納される踊り。

「島津金吾歳久」とは島津義弘の弟で、豊臣秀吉によって
切腹させられ、大石神社の祭神として祀られたそうな。
土地の人々は「金吾様」、あるいは「金吾左衛門尉(きんご
さえもんのじょう)が なまって「金吾さぁ~」と、親しみを
こめて呼び、お祭りしてきたという。


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9/25 詩吟の伴奏

2010-09-27 07:14:38 | 虚無僧日記
「愛知県吟舞道文化連盟吟詠大会」。名称は
「愛知県・・・・・」とでっかいが、今や会員数十名。
年々減少著しい。

京都から来賓の「広」氏は、こうした詩吟界の
現状を憂い、型にとらわれず自由に詩を吟ずる
ことを実践推奨している。今回は松尾芭蕉の句

「塚も動け わが泣く声は 秋の風」

この句は、芭蕉が、門人の杉山一笑の訃報を知って
激しい悲しみの情を顕わにして詠んだ句。

広氏は、「先日亡くなった事務局長の藤井清定氏の
追悼の思いをこめて、この句を吟ずる」というような
前置きを語って、この句を吟じた。

詩吟の伴奏はリハーサル無しのぶっつけ本番。どの音
から出るか、どのような節回しか、狙い定めピタリと
合わせた。特に“間”である。二度繰り返すのだが、
その間、3秒、4秒、5秒と沈黙が続く。そして、
吟者の呼吸を計って、同時に音を出す。もう客席も
緊張で固まっているのを感じる。吟はわずか2分。
吟者との真剣勝負だ。

「こんな詩吟、誰も聞いたことがない。今までに無い
詩吟」。それは私の尺八に対する考えも同じ。二人の
息がピタリとはまって、万来の拍手が鳴る。それが
醍醐味なのだ。


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愛知トリエンナーレ

2010-09-27 03:49:36 | 虚無僧日記
9/23(金)夜8時、名古屋城正門前で尺八を吹いると、
どんどん人が集まってきた。そして城に入って行く。
珍しく深夜11時半まで開門しているとのこと。

どうやら、名古屋城内で「愛知トリエンナーレ」の
イベントの一つが行われているようだ。

「トリエンナーレ」とは、3年に一度の国際芸術祭。
現代美術と舞台公演、世界の最先端のアートが
名古屋の各所で公開されるのだそうだ。

空を見上げると巨大な光の柱が天まで届いていた。
雲に当たって、朧月のような円が空に映っている。
その光の柱の中に、星のような光が数個、ホタルの
ようにフワフワ舞い、2、3秒で消えてはまた現れる。
UFOのようでもある。 これが“ 光の芸術 ”か。

空に向かっての光の柱はかなり遠くまで見えるようで、
光に集まる虫のように、深夜でもどんどん人が集まって
くる。不思議な現象を見た気がした。

9/24は土曜日とあって、昨日の倍以上のすごい人。
豊橋、岡崎、岐阜ナンバーの車もあって、周辺は
大渋滞。

尺八? そう傍らで吹いていても、みな、むしむしむし
無視。自分も“無私”になれる時間だった。


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やっぱり “悪人” だったのか?

2010-09-25 04:09:08 | テレビ・映画・芸能人
映画『悪人』のラスト。「オレはあんたの思って
いるような男じゃなかと」と、深津の首を絞める。
二人のすさまじい演技に、一瞬「ど、どうしたの」
と頭が混乱する。

「やっぱり、妻夫木は“悪人”だったのか?。いや、
『失楽園』のように、二人の永遠の愛のために心中
するのか」とさえ思った。

その後、二人の手が探り求めあいながら引き裂かれて
いくシーンにホッとし、深津が元の職場に復帰した
ことで、納得した。

他のブログで、「“自分のことは忘れてくれ”という
妻夫木の愛情表現だろう 」という解答もあったが、
もうひとつ、
「一緒に捕まれば、深津まで“犯人逃亡の教唆”で
犯罪者となる。元の生活に戻れるようにするには
“被害者”にしてあげること」だったのだ。

その前に深津が「(自首しようとしたあなたを、引き
止めた) 私が悪かった」というセリフに対する「あん
たは悪くない」という返事だった。

あの状況で咄嗟にそこまで気を廻せるだろうか。
ラストシーンにふさわしい“どんでん返し”に、
十分満足させられた映画だ。

原作を読んでいないが、この事件の場合、裁判では
「懲役4~5年」で出所してこれるだろう。そしたら
二人は結婚できる。でも、その間に深津の方は、新しい
めぐりあいがあって、もう結婚しているかもしれない。

妻夫木の方は、まだ若いのだから、人生やり直せる。
そんな光が見える結末だった。


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虐待を ものともせず

2010-09-24 09:15:18 | 社会問題
【なぜ親は一線を越えるのか】(2)しつけと虐待の境界 体罰容認で判然とせず(産経新聞) - goo ニュース


幼児虐待が問題視されている。「ゆうこときかないので、
戸外に出した」というのも虐待になるとのこと。

そりゃ ま、冬の厳寒の中、裸で出したら虐待だろうが、
命の危険がなければ いいのではないか。

N子は、子供の頃よく外に出されて、泣きわめいていた。
それを見ていた妹のM子は、外に出されても平気で、
独りで遊んでいる。母親が戸を開けて入れてやろうと
すると、外からつっかえ棒をして、戸が開かないように
しているではないか。親が家の中に閉じ込められた
格好だ。

全く したたか者で、皆大笑い。二人とも今はいい子に
育っている。いろいろ体験して生きる力を身につけて
いくのだ。

全く叱られないで育った子が、社会に出てやっていけ
るのか。自殺が多いのもそこに一理あるのではないか?

夏のTVドラマ『英霊』で、ビートたけしが石坂浩二に
「なぐられたことあるか!?」と言って何発も顔を殴る。
石坂浩二が「ありがとうございます」と泣きくずれる。
ビートたけしならではの演技だった。考えさせられる。

柄本明と寺尾聡

2010-09-24 00:30:10 | テレビ・映画・芸能人
映画『悪人』で、被害者の父親役を演じた柄本明。
なかなか好評だ。今時の若者圭吾にバカにされ笑われ、
殺意を持つが殺せない。「そうして笑って生きていくが
いいさ」の捨てゼリフに、年寄りの鬱屈した怒りを代弁
してくれている。

それにしても、独身娘の父親にしては歳が行き過ぎて
ないか。どうみても70代のじいさんだ。

同じく、東野圭吾の『さまよう刃』で、中学生の娘を
殺され、犯人に復讐する父親役の寺尾聡も、白髪に
白髭のじいさんだ。55歳過ぎてできた娘となる。
おかしくないか? 私の娘が中学の時、私はまだ
30代で青年顔だった。

そこで二人の年齢を調べてみたら、柄本明は1948年
(S23年)生れ、寺尾聡は1947(S22)年生まれ。なんと
私と同年齢 62~3歳。もう孫がいてもおかしくない
世代だ。

原作を読んでないが、遅く生まれた子なので、よけい
可愛く、復讐心に燃えたという設定なのか。

私が 30代の頃は 血気盛んで、もし娘が殺されたら、
「絶対復讐してやる」と公言していた。しかし、60歳
過ぎれば、「なにごとも天命。殺されたら殺されたで、
その娘の天命」と思えるようになってきている。

ま、いろいろな立場、考えもあろうが。


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割り算の問題で殺人を例に

2010-09-23 23:32:32 | 社会問題
「18人を1日3人殺したら」小学校教諭、割り算で出題(朝日新聞) - goo ニュース


岡崎市立の小学校教諭が、割り算の問題で
「18人を一日3人ずつ殺したら何日かかるか」と、
出題したことで、保護者から訴えられ、担任を
はずされたというニュースがあった。

現代の子供たちはゲームソフトで、相手を倒す
ことには慣らされているようだ。この教諭も
ゲームおたくだったのか。いや、授業に集中
しない子供たちの気を引こうと、ゲーム感覚で
言ったようだ。

「授業に自信がなくて」とも言っている。

うつ病で登校拒否の教師が7,000人もいるそうな。
「仕事の多忙化、複雑化にくわえ、理不尽な要求を
する保護者への対応でストレスが増大している」とも。
先生も生徒も受難の時代。すべてが「悪人」じゃのォ。

『なにわ金融道』で、校長先生が先物取引に
引っかかって、全財産を失い、学校を去って
いく時、「1+1が2にならない場合もある」と
いうようなことをつぶやく。あのシーンが忘れ
られない。ホントにそうだ。社会に出たら、
1+1が必ずしも2でないことを学校教育では
教えてはいかんのかいな。

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佐賀県唐津市「呼子」

2010-09-23 19:03:34 | 虚無僧日記
映画『悪人』のロケ地に観光客殺到必至!?ロケ地マップを大公開! - goo 映画

映画『悪人』の舞台となった長崎、佐賀、福岡3県が
観光客誘致のキャンペーンを始めたとのこと。

すべて、過去に行ったことがある場所なので、映画
『 悪人』 も 面白く 観れた。

呼子のシーンでは思わず乗り出して観た。他に客は
いない。「俺、人を殺した」と告白する。そこへ店員が
「お待たせしましたぁ。余った分は 後で天ぷらに
しますから 」と。そうそう、あの通りだった。私が
行った時も、他に客はいなかった。

皿に盛られたイカは透明。これが、この町の“呼び物”
なのだ。目が異様にアップされ、殺人現場の再現となる。
憎い演出。そう逃亡者にはピッタリの呼子の町だ。

そもそも、呼子は、松本清張の『霧の旗』と『渡された
場面』の二つの小説に登場してくるので有名になった。
だが、呼子の町の人は、そんなこと おかまいなし。
よそ者の虚無僧にも冷ややか。全く無視。それだけに、
孤独、孤立、閉塞感の小説の舞台としては 打って付けの
町だ。

ところでネットで検索して、「松本清張ゆかりの呼子
(よびこ)高原」というのがアップされているが、こちらは
鳥取県日南町の呼子。清張の小説に出てくる「呼子
(よぶこ)」は、佐賀県唐津市のはずだ。「清張」の
看板まで 他の町に盗られているようた。

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呼子の朝市

2010-09-23 18:39:08 | 虚無僧日記
そもそも、呼子へは、観光案内に「日本3大朝市」
とあるのを見て 行ったのだが、行ってびっくり。

呼子は半島の先の小さな漁師町。「朝市」は、巾
わずか数m、距離は 100mもない狭い路地に、
漁師のおばちゃん達が木箱を並べているだけ。
客もまばら。私の住む中村の「九の市」の十分の
一もない。これで「日本3大朝市」???。

なんでも 以前 「朝市」の人気投票を行った際、
「輪島と高山」、そしてその次は「呼子」に
3票入って3位だったからだそうな。ちなみに、
輪島と高山は「3大」なんて言っていない。

こうまで「看板に偽り有り」だと、可笑しくって、
かえって、いとおしくさえなった。それが、「特に
印象深い町」として、記憶に残ったのである。


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9/23 彼岸

2010-09-23 07:15:47 | 虚無僧日記
我が家は仏教ではないので、「彼岸」に墓参りを
するという習慣がない。だからついつい「9月23日が
お彼岸」で あることを忘れてしまう。

名古屋は結構“因習深い”土地柄だから、彼岸と
いえばお墓参りが行事となっていて、毎年、平和
公園(公共墓地)周辺や岐阜方面への道路は、墓
参りの車で大渋滞となる。

そもそも彼岸に墓参りをする風習は日本だけ。他の
仏教国にはない。日本でも宗派によって異なる。

高野山(弘法大師)の真言宗系では、“霊”の存在を
信じるから、先祖の霊に対して花や香を手向け、
お寺に“お施餓鬼”として何がしかの布施をする。

親鸞の浄土真宗系では、「死ねば皆“仏”になり、
極楽に往生するのだから“霊”は存在しない。お彼岸
だからといって、特にお墓参りをする必要はない」
と説いている。
真言宗と真宗。“言”が有る無しで、えらい違い。

禅宗も、“あの世、西方浄土”の存在を否定して
いるから“お彼岸”に 西を拝むことはない。
だけど浄土真宗や禅宗の檀徒でもお墓参りにいく。

墓参りは、先祖の霊を敬う日本古来の風習なのだ。
それでいいのだあ~。

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