2023年1月8日 いよいよNHK大河「どうする家康」が始まりましたね。
期待はしていなかった。ちょっとがっかり。馬に乗って走るシーンなど
50年前のテレビドラマよりひどい。作り物の馬であることがバレバレ。
前々日、山岡荘八原作の映画「徳川家康」をTVで観た。
こちらは、幼少の頃から利発な立派な殿様。それと真逆。
今回のドラマは「弱虫、泣き虫、どうしようもない家康」。
築山御前(瀬名=有村架純)との関係も、相思相愛のラブラブ。
山岡荘八版では、竹千代(元康)は、妹の亀姫に横恋慕していたが、
今川義元の命で姉の鶴姫(瀬名)を押し付けられる。
姉さん女房で、とかく今川の威を傘に、元康に強圧的。
だから、後に殺される事になる。
今回、有村架純とラブラブでは、殺すに至る理由付けはいかがになるのか。
さて、第1回は早くも桶狭間の戦い。義元が討たれて、逃げ惑う元康。
これについては、さもありなんと私は思っている。というのは、
私は、家康は桶狭間で討ち死にに、家臣たちは替え玉を立てて、岡崎に
帰り、今川との独立を勝ち取ったという説に興味がある。
以下は以前に書いたものの転載です。
家康暗殺説
明治35年 村岡素一郎が『史疑・徳川家康事跡』を世に出して「徳川家康 替玉説」を唱えた。
家康の伝記には不可解なところが多い。
まず、三河松平郷の出でありながら、「徳川」に改姓し、松平本家の「太郎左衛門家」は、
江戸時代を通じて、わずか五百石と冷遇されていたこと。
第二に、正室の「築山殿」と長男の「信康」を、あっさりと殺害してしまったことなどである。
その謎に、初めてメスをいれた書である。
村岡説は、「松平」氏は本来、三河松平郷の豪族で「藤原」」姓であったのに、
家康が「先祖は 新田一族の世良田某で、「源」姓であると系図を作り変えたことに
疑問を投げかけ、家康は、流れ者の願人坊主「世良田二郎三郎元信」で、
桶狭間のどさくさで「松平元康」を討ち、元康にすり代わったというもの。
「願人坊主」とは、物乞いをする有髪の僧を指す。(これは虚無僧と同じ)
「世良田元信」は駿府生まれの駿府育ち。永禄3年、「桶狭間の戦い」の直前、
元信は、駿府に人質としてきていた岡崎の松平元康の子「竹千代(後の松平信康)」を
誘拐して逃走した。
そして 桶狭間で義元が信長に討たれると、混乱に乗じて浜松城を落とし、
織田信長と通じて、岡崎の松平元康を暗殺する。
「元信」の切り札は「元康」の子「竹千代(信康)」を擁していたことだった。
村岡説では、家康の祖父「松平清康」が家臣の阿部弥七郎に暗殺された「守山崩れ」は、
実は「元康の死」を「清康の死」としてカムフラージュして語らせたもの。
「先祖が徳川郷から流れてきて松平の養子になった」という系図は、
先祖ではなく「家康」本人の話。
そして、「松平元康」の正室「築山殿」とその子「信康」は、邪魔な存在だから殺してしまった。
ま、「荒唐無稽」な創作話だが、これを受けて、何人家の作家が「家康替え玉説」を
唱えている。矢切止夫の「桶狭間で元康は殺され、重臣たちが非人の中から容姿の似た人物を
元康に仕立てて、岡崎に戻った」とするのが、すっきり納得がゆく。
大河では、一人逃亡して浜辺をさまよっている元康を本多平八郎が捕らえて連れ戻す。
「平八郎が捕らえたのは、本物ではなく偽物の元康だった」とすれば、「家康討ち死に説」となる。
「家康」の出自が「願人坊主」ということに私は注目する。
虚無僧が「神君家康公のお墨付」を頂いていると主張し、それが徳川200年の間、通用してきた。
幕府もそれが「偽書」とわかっていながら黙認してきた。
現代なら「公文書偽造」で即刻逮捕。江戸時代なら死罪は免れない。
それがまかり通ってきたのはと、家康の出自が「願人坊主」であったことに
関係しているのではないかと思えるのである。