現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

3/8インターネットラジオ「ゆめのたね」

2021-03-08 15:40:26 | 虚無僧日記

今夜3月8日 夜8時30分~9時 インターネット・ラジオ「ゆめのたね」に出演します。

「インターネットラジオゆめのたね」公式ホームページを検索して開いて、

「東日本第1チャンネル」をクリックしてください。


なんか変だがや

2021-03-02 18:32:49 | Weblog

いたずら高校生を殴った警官逮捕。
「犬が人に噛み付いてもニュースにならないが、人が犬に
噛み付けばニュースになる」といわれたのは、ひと昔前。
今は、犬が人に噛み付いてもニュースになる。

高校生のいたずらなんて、昔もひどかった。非番の警官で
なくても普通のおっさんが「こらっ!」と、頭殴って叱る
ことはしょっちゅうあった。警察沙汰にも、ニュースにも
ならなかったはずだ。
これで警察官が処分されれば、高校生達は反省するどころか、
ますます増長するだろう。処分しなければしないでマスコミ
は叩く。高校生の悪ふざけを野放しにするのはマスコミと
いうことになる。マスコミが今や司法の番人気取りだ。

マスコミ人って、そんなにえらいのか?
政治家の不正経理処理、重箱の隅つついて、鬼の首取ったように
騒ぎたてているが、自分たちは、取材費、制作費、一切ちょろ
まかしていないと、胸張って云えるのか。

とにかくパッシングと、バレなきゃいい不正の手口を暴いて、公表
して、次なる犯罪を誘致している。マスコミが犯罪を作り出している
としか思えない。犯罪の抑止に役立っているか、自問自答してもら
いたい。

放送倫理規定では、10%だったか、教育的配慮が求められている
そうだが、社会を悪くしているのは、マスコミの興味本位、煽動的
な報道姿勢ではないのか。

「テレビで1億総白痴」と言われたのは、昭和40年頃ではなかった
かのォ。



とんちんかん

2021-03-02 18:31:26 | Weblog

言ったことが全然伝わらない。とんちんかんな人も
いるものだ。「goo 何でも質問」で「公務員の破廉恥
犯罪はなぜ多い?」と質問された方。回答を寄せられた
方に、お礼のコメントを書いているのだが、これが、
的はずれでとんちんかん。

江戸時代のことなど、何も書いてないのに、「わかり
ました。公務員がいばっているのは江戸時代からなん
ですね」と。

公務員の犯罪件数は、H18年警察庁統計で「総犯罪検挙
数の0.4%(1688件)」と、わざわざ調べて、詳しく
解説しているのに、「公務員の犯罪率の高さには困った
ものと理解できました」と。ちっとも多くないです。

「公務員は民間にくらべて社会的信用も期待も高いから、
事件を起こすとマスコミの集中砲火を浴びる」といった
内容なのに「公務員は社会的信用が無いということが、
よくわかりました」。

何が「よくわかりました」だ。すべて逆に受け止めて
いるのだ。一体ふざけているのか?思い込みが激しい
のか。これでは回答した人もやりきれない。

一休さんも「東映アニメ」のタイトルは「とんちんかん
ちん一休さん」でしたな、なぜか。


2.26事件の「機密日誌」

2021-03-02 18:27:33 | 虚無僧日記

今日2月26日は「2.26事件」の日。事件から81年が経った。

一昨年書いたブログ。あらたな一等史料見つかったとの話。

憲兵司令部の総務部長で、司令官代行だった矢野機(はかる) 

陸軍少将(1887~1992年)の「戒厳機密日誌」。


昭和11(1936)年の2月26日の「2・26事件」で、反乱将校を
自殺させようとする戒厳司令部と、証人として身柄を確保しようと
する憲兵側とのやりとりが生々しく記されている。

陸軍内部では穏便に決着させようとする長老らと、鎮圧を主張する
強硬派が対立。矢野は自殺させず逮捕するために、陸軍省と参謀本部
高官の間を奔走した。

29日の記述では、香椎(かしい)浩平・戒厳司令官が「叛徒
(はんと)タル将校ノ罪ハ大イニ憎ムヘシ、将校ハ全部 之(こ)レヲ
斃(たお)スヲ適当トス」などと述べ、逮捕した場合は自殺させるのが
適当と主張した。これに対し矢野は「此ノ機会ニ軍ノ明朗化ヲ期ス、
該将校ハヨキ証拠人ナリ」などと主張。反乱将校は自殺した1人を除き、
全員逮捕された。

裁判になれば、長い時間がかかり、判決も難しい。このような事件は

「犯人が自殺、自決」してくれることが最善ということか。

ケネディ暗殺の犯人とされたオズワルドも殺された。死人に口なしで

事件の真相は闇に葬られたっけ。

 

 


2.26事件「憂国の士、渋川善助」

2021-03-02 18:27:05 | 虚無僧日記

2.26事件で、民間人でただ一人処刑された「渋川善助」は会津の人でした。

渋川善助」は、会津若松市七日町にある海鮮問屋「渋川」の長男でした。

大正時代に建てられた建物は 今も当時のまま残り、現在は「料亭」として

 営業しています。二階の六畳間は「憂国の間」として「渋川善助」の遺影が

飾られており、会津の観光名所のひとつになっています。

「渋川」は、私の母の実家と近かったこともあり、私の子供の頃、

よく「渋川」から板前さんが来て、魚の調理をしていたのを覚えています。

そして、「あの2.26事件で処刑された渋川善助の家よ」と、子供の頃から

教えられていました。

しかし、なぜ、会津の渋川問屋の息子が、民間人でありながら
2.26事件に関与して「死刑」になったのか、ずっと謎でした。

ネットで調べてみれば、なんと「渋川善助」は、会津中学で“神童”と
呼ばれ、陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほどの逸材でした。

ところが、陸軍士官学校(39期)の本科卒業目前に、教官の腐敗と堕落を
糾弾し退学となるのです。その後、明治大学法科に学び、国家主義運動に
かかわり、1932年(昭和7年)に、杉田省吾、西田税、福井幸、加藤春海等と
ともに維新同志会を結成。

当時、日本は大恐慌以来の不況に苦しみ、東北では 凶作により娘を身売り
するほど困窮していた。それを解決できない政治家、また、そうした民衆の
苦悩を省みず、一部財閥と軍部の首脳が癒着し、贅沢三昧の生活をしている
ことが善助は許せなかった。「民の苦しみは陛下のお心を悩ますこと」と、
義憤から2.26事変に加わった。

渋川善助は、湯河原に滞在していた前内大臣「牧野伸顕」の襲撃に加わったが、
牧野伸顕は危うく難を逃れている。襲撃部隊を率いて突入した「河野寿」は
警護の巡査の反撃に遭って負傷し、3月6日に自殺する。

つまり、渋川善助は 牧野伸顕を殺害していないにもかかわらず、死刑と
なった。その理由が謎です。

善助を知る人は、海鮮問屋の長男であり、食事も一品、二品旨いものが
並べられたが、彼はそれらを 「使用人の誰々に」と分け与え、自分も
使用人たちと同じものを食べることを望んだという。

渋川屋の一室を「憂国の間」と名づけたのは三島由紀夫だった。

なお、妻「絹子」の甥が 俳優の「佐藤慶」。佐藤慶は、会津若松市役所の
戸籍係に勤務するかたわら、地元で「新劇愛好会」を結成して
演劇に打ちこんでいた。しかし会の発表会の日に無断欠勤したことで
役所を免職され、東京に出て俳優を目指した。

私の叔母は、その劇団に所属していた。そんなこともあって、佐藤慶は
デビュー当時から応援しており、私の好きな俳優でした。


2.26事件は事前に予知されていた。

2021-03-02 18:26:47 | 虚無僧日記

「2.26事件」の真実に迫る番組がNHKで過去、何度か                         放映されている。 You-tubeで見れます。

①1979年「戒厳指令『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」と、
②1988年「二・二六事件 消された真実―陸軍軍法会議秘録」。

当時、関係者や要注意人物の電話は盗聴され、当時としては
最新技術で、レコード盤に録音されていた。

事件発生前から関係者の電話が盗聴・録音されていたと
いうことは、「2.26事件」は事前に予知されていた?。

「戒厳司令官」として 反乱軍を鎮圧する立場の「香椎中将」が、

「陸軍大臣告示」を 午前10時50分に近衛師団に下達していた

という事実から、反乱と鎮圧のシナリオが事前に用意されていた。

「香椎」や「山下奉文」さらに「荒木大将」や「真崎大将」までが

「反乱軍を幇助」した、というより、影の首謀者だったのではないか。

さらに、昭和天皇の弟君「秩父宮」もからんでいた。

(秩父宮妃は旧会津藩主松平容保の孫娘)。

しかし、真相が軍の上層部に及ぼうとした時、調査は中止され、

香椎以下、全員「無罪」となって、真相は闇に葬られた。


その電話の盗聴記録の中に「中野正剛」の名が頻繁に出てきていた。

中野正剛は、私の母方の遠戚になる。2.26事件のあった 1936年

(昭和11年)「東方会」を結成し、自ら総裁となった。後に東條英機と

対立して投獄され、出所後、抗議の割腹自殺をする。2.26事件の時、

どのような立場にいたのか、知りたいところである。